第40話 母君

「やれやれ、私が完全に悪者だな」


 窓際でジュノーンが乗る馬車を見えなくなるまで見ていた愛娘を横目に、フリードリヒ王は嘆息し、独り言のように呟いた。


「女の子の父親というのは、いつの世も悪者にされるのですよ」


 妻であるメアリー王妃が、くすくす笑って、夫を慰める。

 彼女も王妃である前に一人の女である。過去に父親を悪者にして怨んだ事に身に覚えがあったのだ。


「それに、彼ならば……本当に竜騎士になって戻ってくるかもしれません。その時は、色々覚悟しなければならないのはあなたの方かもしれませんよ?」


 王妃は悪戯に微笑み、夫をからかう。

 娘の事で夫をからかう事こそ彼女の楽しみの一つだった。そして、それは宰相イエガーも同じなのだろう、とこの王妃は理解している。


「か、覚悟とは何の覚悟だ! さっぱりわからん!」


 フリードリヒ王は、顔を赤くして否定する。

 リーシャももう十七である。これから先も親のエゴで縁談を断る事ができない事も、王妃は理解していた。後は、如何にこの国王が認める男がリーシャの心を射止めるかどうか、である。そういう意味では、ジュノーンはうってつけであると彼女は思っていたのだ。


「ほら、ジュノーンと言えばお顔も綺麗だし、男気もありますわ。それに、きっと女性を大切にする殿方なのでしょうね。あなたもそう思いませんこと?」

「な、ならんならん!その様な事は絶対に許さぬぞ!!」


 もはや会話が噛み合っていない夫妻である。そんな王を見て、王妃は喉の奥で笑うのだった。

 そのリーシャは今もまだ、馬車が消えた方を窓際からみている。

 だが、彼女もまた、ジュノーンが戻ってくるまでゆっくりと過ごしてもらうわけにはいかないと王妃は思っていた。

 それは無論、ヴェーダから聞かされた、イザルダの予言──大陸を覆う闇についての話である。

 辺境の国ハイランドとて、大規模な戦乱が始まれば無視はできないし、もし本当にその予言通り、闇の神〝メフィスト〟が復活する兆しがあるのであれば、五大使徒マルファ=ミルフィリアの血族として、責務を全うしなければならない。

 そしてそれは、自分ではなく、娘であるリーシャに託さなければならない事も彼女は知っていた。リーシャは母であるメアリーよりもマルファ=ミルフィリアの血を濃く受け継ぎ、その能力も母を遙かに凌駕する。おそらく、闇に立ち向かう運命を背負って生まれてきたのだろう、と今ならば思う。

 また、光の神と黒き炎の詩……もしあれが史実に基づき作られた詩であれば、おそらくジュノーンとリーシャの結び付きは何かしらの意味がある。だからこそ彼女は、ジュノーンが竜騎士となって戻ってくる事を確信していた。

 フリードリヒ王は居心地が悪くなったので仕事に戻るといい、それと入れ替わる形で金髪のエルフ娘・ヴェーダがジュノーンの見送りから部屋に戻って来た。

 この金髪の美しいエルフは、メアリーが子供の頃から全く容姿が変化しておらず、同じ女として羨ましさすら覚えた。


「リーシャ、ヴェーダ。二人に少しお話したい事があります」


 メアリー王妃が二人に呼びかける。

 今、ここには女だけの三人しかいない。

 リーシャも涙を拭い、メアリーがいる間まで戻ってきた。


「イザルダ様からのお話により、リーシャも自分の力が世界に必要になりつつある事は薄々感づいているでしょう……」


 リーシャはこくりと頷いた。


「今はまだ、イザルダ様の推測の範疇を超えておらず、もしかすると、ただの杞憂で終わるかもしれません。ですが、私にはあのイザルダ様の予想が外れているとは私も考え難いのです」


 ヴェーダはメアリー王妃の言葉に頷いた。

 曰く、彼女の祖母イザルダがこうした予言めいた事をするのはかなり稀有な事なのだそうだ。少なくともヴェーダが生まれてからは初めての事である。

 もしかすると、リーシャの才能を見た時から、あのエルフの長は世界の動きに対して敏感になっていたのかもしれない。ヴェーダはその様に言っていた。


「そこで……リーシャ、ヴェーダ。光の洞窟に向かい、奥にある精霊石を確認してきてほしいのです」

「光の洞窟というと……マルファ神殿の裏にある洞窟ですか?」


 リーシャが母に訊いた。

 リーシャやメアリーの様に、マルファ=ミルフィリアの血族は、ハイランドの北東に位置するマルファ神殿にて出産を迎える。言わば、マルファ神殿はリーシャやメアリーにとっては生まれた場所でもあるのだ。そして、六年から七年という長い年月を費やして、聖魔法を習得するまで修行を積む場所でもある。

 そのマルファ神殿の裏にある岩山の中に洞窟があり、そこが光の洞窟と呼ばれていたのだ。

 ここは元来立ち入り禁止区域で、昼夜問わず神官騎士が見張りに立ち、誰も入る事は許されていない。


「ええ、その光の洞窟です。私が許可証を発行しますので、神殿の方に見せて下さい」


 メアリーはそこまで話すと、テーブルの上にあるティーカップに手を伸ばした。

 ジュノーンの為に煎れたお茶であったが、結局フリードリヒ王まで来てしまった為、ゆっくり彼とは話せなかった。そこがメアリーにとっては少々残念な事ではあった。


「そして、洞窟の最下層に行き、精霊石を見てきてほしいのです」

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