第36話 夫妻
目的地に着き、馬車から降りると、ジュノーンはまずその屋敷に驚いた。その屋敷はとても王妃が住まう場所とは思えぬ程、質素だったのだ。それこそ、下級貴族であったジュノーンの館と大差がない。
「王妃殿下が住まう屋敷にしては、えらく質素なんだな」
銀髪の青年は見たままの感想をそのまま言った。
「ハイランドはローランド程王族や貴族が私腹を肥やしていないのよ」
肥やすだけのものがないっていうのもあるんでしょうけどね、とエルフ娘が付け足した。
その姿勢だけでもローランドの王族や貴族にも見習わせたいものだ、とジュノーンは思った。
ただ、見掛けは質素だが護衛はしっかりと配備されている。ここが王妃殿下が住む家である事を推し量るには十分だ。
出迎えてくれた執事に剣を預けると、案内されるがままにジュノーン達は屋敷内に入る。屋敷の中も驚く程質素であったが、掃除などは行き渡っており、清潔感が保たれていた。
エントランスから階段を上がって一番奥の部屋へと進み、奥の大きめの扉を執事が開けると、中に入るように促される。
室内に入ると、そこには見慣れた顔ぶれが並んでいた。というより、その部屋の中にいた者に驚いて、ジュノーンは慌てて片膝を立てて跪く羽目になった。
その部屋にいたのは、ハイランド王国王女のリーシャ=ヴェーゼと、先程謁見の間でやり取りをしたフリードリヒ大王その人である。そしてもう一人ジュノーンの知らぬ人がいるが、長い青髪と病床にあった事が伺い知れる青白い肌、そしてリーシャとよく似た顔をしていることから、彼女がメアリー王妃である事が見て取れる。
ハイランド王国の国王夫妻とその愛娘がいる一室に呼ばれるなど、思ってもいなかったのだ。
「国王夫妻、並びにリーシャ王女、お目にかかれて光栄でございます」
ジュノーンは忠誠の証として右手で拳を作り、胸元に置く。
「今はその様な礼節は不要だ。楽にせよ」
フリードリヒ王が不機嫌そうに鼻を鳴らしてそう言った。腰には剣が携えられているが、謁見の間にあった大剣とは異なっている。
「はっ」
ジュノーンは国王からの指示通り、立ち上がり敬礼をする。その様子を見て、ハイランド王国王妃であるメアリーが嫣然と笑っていた。
王妃はリーシャと同じ髪色をしており、上品な佇まいをしている。また、リーシャが母親によく似た子であるという事もよくわかった。どことなく雰囲気が似ているのだ。
「どうも、主人から聞いていた印象と違いますね。主人からは悪鬼のような人間であると伺っていたのですが……」
メアリー王妃は笑みを崩さず言った。
「あ、あれはだな……! 戦場でのこいつはまさしく悪鬼のようだった、という意味だ。全く、貴様のせいでこちらがどれほどの損害を出したと……」
ぶつぶつと文句を言うフリードリヒ王。先程の威厳はここでは微塵も見られない。むしろ、どこか可愛さも垣間見えた。
おそらく、これこそが家族の前で見せる国王の素顔なのだろう。
「ともあれ、娘の救出と、妻の薬草の手配……国王としてではなく、夫と父として、まず礼を言わせてくれ。ありがとう。これほど体調が良さそうな妻を見るのは随分久しぶりだ」
そして、このフリードリヒ王は、一度は刃を交えた敵国の貴族に、頭を下げた。
ジュノーンは自国の王族との違いに驚く。国王たる者が礼を言い、頭を下げる──本当に王族かと疑ってしまった程だった。
「ペルジャ草を探したのはリーシャ王女です。私はただそこまで案内したに過ぎません」
ジュノーンは敬礼したまま言った。事実、彼は薬草探しには関与していない。
だが、王妃がそれを否定した。
「いいえ。リーシャの話では、わざわざ遠回りをして追っ手の相手をしながらまでもリーシャに付き添ってくれたと言います。あなたのお陰で私の体もだいぶ楽になりました。私達親子はあなたに救われたも同然なのです」
メアリー王妃も国王に倣って頭を下げる。
ジュノーンはどうしていいかわからず金髪のエルフを見るが、彼女は口元に笑みを浮かべて「これがこの国に国王夫妻の在り方なのよ」と肩を竦めた。
「そなたの剣を先程見た時に、如何に過酷な戦いがあったかはすぐにわかった。相当な同郷人を斬った事であろう……感謝する」
フリードリヒ王はもう一度謝辞を述べようとするので、慌ててジュノーンはそれを否定する。
「いえ、お待ち下さい。確かに何十もの同郷人を斬りましたが、それは必ずしもリーシャ王女の為だけではありません。私は幼少の頃に現ローランド帝国宰相マフバルに両親を殺されています。その復讐心が私を駆り立てただけなのです。私はローランドを故郷と思った事は……あれ以来ありません」
「なるほど……ローランドも一枚岩ではないことは分かっていたが、色々ありそうだな」
ふむ、とハイランド王は頷いて、続けた。
「だが、娘の恩人である事には変わりない。感謝の意は持たせてもらうぞ」
フリードリヒ王はその寛大な心と武人としての確かな心意気を感じさせる表情で言った。
その時に、やはり自分の直感は誤っていなかった事を知る。彼のような王にローランドを統治して欲しいと改めて思えた。
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