第35話 応援

 ジュノーンが眠りに落ちて数時間後の事だった。部屋の扉がノックされたことで、彼は再び現実の世界へと戻される。

 むくりと起き上がり剣を手に持ってから、ジュノーンは扉への近づいた。


「ヴェーダよ……起きてる?」


 外から美しいエルフの声が聞こえたので、彼はほっと息を吐いて扉の鍵を開けた。


「こんなところにいたなんて……探したじゃない」


 美しいエルフは溜め息を吐いた。

 どうやらこのエルフはジュノーンがどこにいるのか知らされておらず、街中を探し回っていたようだった。


「何の用だ?」

「メアリー王妃からのご指名よ。あなたを屋敷まで連れてきてくれってね」

「王妃が俺を?」

「ええ。下に馬車を待たせてるから、そのだらしない顔を洗って王妃様に失礼がないようにしてから出て来なさい」


 言って、ヴェーダは片手だけ振って部屋を後にする。

 ふと鏡を見ると、彼の顔には涎の跡がくっきりと口元に残っていた。

 確かに、王妃殿下に会わせられるような顔ではなかった。

 身嗜みを整えてから外に出ると、そこには王宮用の馬車があった。先程までリベラの砦から乗ってきたものと同じもののようだ。

 中に乗ると、ヴェーダが先に座っており、にこりとジュノーンに向かって微笑む。

 他意はないのであろうが、いちいち胸が高鳴ってしまうのがこのエルフの恐ろしいところである。

 こうして彼女は何十年も男を引き寄せ続けているのだろう、とジュノーンは勝手な憶測をするのだった。

 銀髪の青年が座席に腰掛けると、馬車が動き出した。


「大変な事になったわね」

「まったくだ」


 彼は自嘲気味に笑った。

 大変どころか、リーシャを脱獄させてハイランドに連れて来る事の方が余程容易で安全だった。


「でも、まあ……あれはあれでハイランド王の慈悲なのだろう。フリードリヒ王は、竜を従え戻ってきたらハイランドの武将として認めるとは言ったが、必ず戻って来いとは言わなかった。このまま逃げても構わないという事だ」


 その証拠に、ジュノーンにつけられた追っ手や監視の目が一切無い。このまま雲隠れしても彼は何も咎めては来ないであろうし、これこそがフリードリヒ王の慈悲と考えられる。

 竜騎士になれと言うのは方便であり、どこかへ消えろというのが本旨なのだ。リーシャ救出への恩返し、家臣や貴族達への体裁、そのどちらも満たす最適な答えがこれなのである。


「それでどうするの? ローランドに戻るつもりなら〝帰らずの森〟の結界くらいなら解いてあげるわよ?」


 ヴェーダは思ったより優しい提案をしてくれた。 

 しかし、彼は首を竦めて「遠慮しておくよ」と返した。


「どうするつもりなの?」

「出来るかどうかはわからないが、竜を捕らえて見せるさ」


 ジュノーンは冗談でも見栄でもなく本気でそう答えて見せた。

 その答えを聞いて、エルフ娘は大きな溜め息を吐いている。


「愚かにも程があるわよ?」

「ああ、知ってる。リーシャを助けたあの時から、俺は愚かに生きる事にしたんだ」


 ジュノーンは逃げるつもりはさらさらなかった。

 例えば、ここで逃げて生きながらえたとして、一体どんな人生が待っていようか。もしここで逃げてしまうくらいであれば、ジュノーンはローランドを敵に回してまでリーシャを脱獄させる必要はなかった。

 あれだけの覚悟で行動したのなら、こんなところで恩赦を得てこそこそと逃げる回る人生を選んでよいわけがない。

 彼は、変えなければならないのだ。この状況を。そしてハイランドとローランドの未来を。


「あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」


 美しいエルフは神秘的な笑みを浮かべて嘆息した。呆れている様にも見えた。

 だが、そこには親しみと信用がある。彼女は彼女なりに、ジュノーンを信用してくれているのだ。


「そんな愚かなあなたに助言をしてあげるわ」

「ほう、それは有り難い」

「竜はね、捕えようと思ったら永遠に捕らえられないわ。捕らえるんじゃなくて、心を通わせるの。精霊を呼ぶのも同じ……私達精霊使いは精霊を従属させてるわけじゃない。会話して、お願いを聞いてもらってるの。人間じゃないから心で接しないという考え方でいるうちは、決して心を通わせる事なんて出来ないわ」


 ヴェーダが矢継ぎ早に説明した。

 彼女なりに気を利かせてくれているのだという事は解った。

 確かに、それはその通りだ。竜は人間よりも遥かに強い種族だ。その竜を従わせるなど、不可能だ。

 では、自分よりも強い者をどうやって従わせるか。それは、心を掴むしかないのだ。


「ありがとう……心しておくよ」


 ヴェーダなりの応援に、彼は心から感謝した。

 素直でないエルフは決して本心を露わにしないが、それでもジュノーンにはその気持ちが伝わって来て、暖かい気持ちになったのだった。

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