第18話 愛念

 脱獄中の王女と元貴族の青年を乗せた馬が街道を駆け抜けていた。先程と異なるのは、馬の手綱を握っているのが王女に代わっているという点だった。

 街道はハイランドへの関所とは異なる方向へ進んでおり、もはや真っ当な方法では国境を越えられまい。どの様にしてこれから事を運べば良いのか、ジュノーンには皆目見当もつかなかった。また、先程彼らに向かってイグラシオが声を大にして叫んだ疑問であるが、それは当人であるこの銀髪の青年も同じ事を思っていたのである。


「リーシャ王女、何故戻ってきたんだ? いや、どうしてんだ?」


 ジュノーンは疑問に思っている事を率直に訊いた。

 彼の愛馬が彼の言う事以外を聞く事など有り得ない話なのである。所詮は動物なので言葉が通じているかどうかなど彼にはわからないが、少なくともこの馬は今までジュノーンの言葉に逆らった事などなかったのである。

 しかし、この馬とリーシャはここにいる。それは即ち、彼の『ハイランドのもとまで王女を運べ』という命令に背いて、『ジュノーンの元に戻りたい』という王女の言葉に従ったという事でもあるのだ。


「私が戻りたいと思ったからです。そして、この子もあなたに死んで欲しくないと思った……それだけだと思います」


 リーシャは後ろを振り向かずに簡潔に答えた。

 彼女は少し怒っている様にも思えた。


「バカな! 上手く行ったから良かったものの、上手くいかなかったらどうするつもりだったんだ! 二人諸共終わってたんだぞ!」


 しかし、怒りたいのは美青年も同じだ。彼女が行ったのは、博打どころの騒ぎではない。あと少しでも遅ければ、或いはイグラシオが彼に降伏を呼び掛けていなければ、上手くいかなかった。

 今彼がこうして生きているのは、完全に、ただ運がよかっただけなのだ。


「上手く行ったから、良かったじゃないですか。それに、私は……あんな別れ方をされるくらいならば、死んだ方がマシです」

「だからと言って……」


 自分の決死の覚悟を無駄にしないでくれ、とジュノーンは愚痴りたくなった。何か一つでも間違っていれば、この戦いや脱獄劇全てが無駄になっていたのだ。


「約束、忘れたんですか?」


 ハイランド王女はジュノーンの言葉を遮り、訊いた。


「約束……?」


 そこで、リーシャはようやく振り向いて、笑顔を見せたのだ。


「あなたが私を守ってくれたように……私もあなたを守ります。そう、約束しましたから」

「あっ……」


 その時、その言葉を聞いて、ジュノーンの胸の中に何とも言えない気持ちがじわっとこみ上げてきた。そして、じんわりと目頭が熱くなる。

 人に優しい気持ちを向けられたのは、そして実際に助けてもらえたのは、彼の過酷な人生では、殆どなかったからだ。これほど優しい光がこの世界に残されていた事を、彼は初めて知ったのである。


「リーシャ王女……ありがとう」


 聞こえるか聞こえないかというぐらいの小さな声で、銀髪の美青年は言った。

 リーシャは微笑み、小さく頷くのだった。

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