第6話 責任

 リーシャが浴室の方へ向かうのを見送ってから、ジュノーンは周囲を見渡して小さく息を吐いた。

 とりあえず姫君の件は落ち着いたが、ここからが本番だ。

 敵国ハイランド王国王女を連れたままローランドを駆け抜けなければならない。その前に館で働く者達への配慮も必要だ。青髪の王女が水浴びをしている間に、彼にはやらなければならない事が山ほどあったのだ。

 ジュノーンは自室に戻ると、館で働く者全員分の布袋に入るだけ金貨を詰め込んだ。そしてもう二つ程大きめの金貨袋を持ち、自らの荷物に詰め込む。

 壁に掛けた愛剣を抜き、刃の状態も確認した。おそらくこれからこの剣を使う場面も多くなるだろう。それも、自国民相手に、だ。これまで守ってきた国を相手に戦うなどと非国民以外何者でもない。

 だが、彼は自らの行動に対して、それほど後悔の念を抱いてはいなかった。


(爵位なんてくれてやるさ。俺はずっとこの国、ローランドに復讐する時を待っていた。俺の国でありながら、俺を裏切った国を……)


 銀髪の美青年の瞳に、十三年前の惨劇が蘇る。

 目の前で両親を殺された恨みは忘れてはいない。あの時現れた野盗達は、父の政敵マフバルから放たれた刺客。そして、そのマフバルが宰相となって国を率いている。

 自分を拾い、守ってくれたバーンシュタイン家には感謝はしている。しかし、バーンシュタイン家の血筋は彼の義父・バーナードの死によって途絶えている。

 この家の為にできる事など、もう何もなかった。それよりも、自分がローランドの貴族でいる事ですら恥ずべきだと青年は常々考えていた。いつか離れようと思っていたが、それが早まっただけなのだ。

 貴族や王族といったこの国の主軸は自らを肥え太らせる為圧政を行い、民を苦しめた。王の気に入らぬ者は冤罪で捕まえられるか、暗殺される。職を無くし路頭に迷う国民が増えようと知った事ではない。

 腐敗と汚職に塗れた国……それがローランド帝国だった。

 ジュノーンはこれまで、冤罪で捕まった者の脱獄を裏で根回ししていた。だからこそ、リーシャをあれほど迅速に脱獄させる事もできたのだ。

 自分の正体を隠して弱き立場の者を守るには、この程度の事しか残されていなかった。

 だが、その生活ももう終わりだ。リーシャの脱獄幇助は国賊ものの重罪であるが、彼はこの時を待っていた。こうしてローランド帝国を裏切れる機会が訪れる時を、ジュノーンと名付けられた時から待っていたのだ。

 これこそ、マフバル=ホフマンへの一番の報復だ。マフバル=ホフマンは、まだシュルツ家の血が途絶えていない事には気付いていない。

 彼に復讐し、この腐敗し切ったの国を転覆させるには、リーシャ王女の存在が不可欠だ。

 ただ、リーシャという王女──ジュノーンが彼女に惹かれてしまったのも事実だった。

 あの時の牢獄でここまで考えたかと言うと、それは嘘になる。

 単純にジュノーンはリーシャに惹かれ、どうしても放っておけなかったのだ。


(女の為に国を捨てた没落貴族、か。それも悪くないな)


 ジュノーンは自嘲の笑みを浮かべた。

 これまで、このバーンシュタイン家がローランド帝国から目をつけられないよう、しっかりと領地を統治し、税を収め、そして戦争が生じれば我先にと駆けつけて武勲を上げて見せた。

 しかし、彼にとって、ローランドという国は本来守るに値しない国だ。今から手のひらを反すと思えば、それはとてつもない愉悦だった。

 その時、控え目なノックが扉を鳴らした。


「……セシリーか」


 ノックの仕方だけで、誰か分かってしまう。

 ジュノーンはこの館に勤める人間だけはローランドでも気に入っていた。その中でも彼女は特別だ。彼女はジュノーンの脱獄幇助について知っている唯一の人物で、何を隠そう彼女こそが〝逃がし屋〟なのである。


「はい。お客人の入浴が終わりましたので」

「そうか。では、屋敷で働く全ての者を食堂に集めてきてくれないか? 寝ている者もいるだろうが、大事な話があるんだ」

「承知致しました」


 セシリーは一礼して、職員の宿舎へと向かった。

 それからすぐに、職員用宿舎から、夜勤以外のものも夜着のまま職員らが集められた。

 正装しようとした者もいたが、急ぎ故に夜着のまま食堂に集まってもらった。


「夜分遅くに集まってもらって申し訳ない。ただ、大事な話があって、どうしても集まってもらった」


 ジュノーンは職員に向かって話し掛けた。

 皆まだ眠そうではあるが、ジュノーンの話を真剣に聞いていた。


「諸君ら全員を本日付けで解雇する」


 こう切り出した時、よもやの事態にさすがに周囲もざわざわとする。しかし、ジュノーンは気にせずに続けた。


「いきなりの通告になって申し訳ない。各職員の退職金を用意させてもらった。全員分、確認してくれ」


 ジュノーンよって予め用意されていた金貨袋をセシリーが一人一人に配る。中身を見て確認した者はその量に驚いた。

 退職金の額は数年は遊んで暮らせる量だったのだ。


「諸君らは実によく働いてくれた。ずぼらな俺の身の回りを整理してくれて有り難く思う。できれば末永く諸君らに働いて欲しがったが、それは許されない事態が生じてしまった。当面はその金で生活して新しい職を探してほしい」


 侍女の中には落胆して肩を落とし、涙する者もいた。

 数々の武功を上げ名を連ねたジュノーンの下で働く事は多くの職員にとって誇りだったのだ。憧れを持って働いていた侍女も少なくない。


「理由については……すまないが、言えない。諸君らも聞かない方が良いと思う。俺の事は知らないと言ってくれ」


 ジュノーンの行った事が知られたなら、最悪はこの職員にも迷惑をかける事になる。

 その際、事情を知らない方が有利に働くのだ。誰も事情を知らぬ職員達を責める事はできない。


「俺からは以上だ。鍵はセシリーが閉めてくれ。君が一番頑張ってくれたからな……最後の戸締まりは君に任せる。鍵は川かどこかに捨てるといい」

「承知致しました」


 セシリーは深々と頭を下げた。

 それは感謝の意を伝えると言うより、寂しさに満ちた表情を隠す為と言えた。


「ジュノーン様、御武運を」

「御武運を!」


 セシリーが言うと、他の職員も深く頭を下げ、そう続けた。職員も侍女も、内容こそ知らぬが主がどの様な立場になるのか、薄々は気付いていたようだった。ジュノーンも深く頭を下げ、そして食堂を出た。

 ジュノーンが出た後も、誰も頭を上げなかった。すすり泣く声がジュノーンの耳に深く残った。


「本当に……良かったんですか?」


 食堂を出ると、そこにはリーシャが立っていた。どうやら食堂での話を全て聞いていたようだった。

 先程まで泥だらけだったハイランド王女は、今では町娘のような絹服に身を包み、清楚な立ち振る舞いをしていた。町娘の服装をしていても、彼女の内面から湧き出る王族としてのオーラは隠し通せていない。

 セシリーは彼女の身分に薄々気付いていたのか、極力身分が分かり難い服装を選んだのであろう。


「私の所為で、あなた以外の方にもたくさん迷惑を掛けてしまっています……本当に申し訳ありませんでした」


 食堂ですすり泣く人々の事を慮っているのだろう。リーシャは深々と頭を下げた。


「リーシャ王女。王女殿下ともあろう人が簡単に頭を下げてはいけないよ。それに、これはただリーシャ王女の為だけじゃないんだ」

「私の為だけではない……? どういう事でしょうか?」


 リーシャは首を傾げた。


「この続きは馬に乗ってから話す。今は急いで準備をしてくれ。さっさとここから離れなきゃいけない」


 そう言って、ジュノーンは屋敷の出入り口へと向かった。

 もう彼がここに戻ってくることはない──十三年の月日を過ごした礼を心中で言って、彼は新たな門出の扉を開いた。

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