第7話 理由

 馬を走らせ、夜中のローランドを駆ける。

 先程と同じように、リーシャを前に座らせて、ジュノーンが馬の手綱を握っていた。まるで子供みたいだとリーシャは恥ずかしさを感じている様だったが、異臭を洗い流せた分、先程よりは機嫌は良さそうだ。


「王女殿下に窮屈な思いをさせてすまない。今所有している馬が一頭しかいないんだ」


 ジュノーンはそう言って、私財を無駄に使わない為に、軍馬は一頭しか保有していなかった主義なのだと説明した。

 彼は基本的に軍馬を何頭も飼うといった事はしていない。強靭な足腰を持っている相棒が一頭いればそれで良いと思っていたからだ。それに、馬を育てるのも結構な金がかかる。どうせ一頭にしか乗れないのだから、何頭も保有しても意味がないと考えているのだ。


「いえ……私は構いませんが、馬の方は大丈夫なのでしょうか?」


 王女は自分の体重が重荷になっていないか気にしている様だ。姫君と言えども、年頃の少女というのは変わらないのだな、とジュノーンはどこか微笑ましげに感じた。


「それなら安心だ。こいつはそこらの軍馬よりも遥かに強靭な足腰をしている。戦の時は、馬用の鎧も纏ってるんだ。華奢な姫君が一人増えたくらいで、大差ないだろうさ」

「そうですか……それなら、良いのですが」


 その時、ふわりと少女の青髪から良い匂いが青年の鼻をくすぐった。彼女の髪が揺れる度、甘い香りが彼の鼻先をかすめるのだ。

 先程と打って変わって良い香りのする姫に対して、青年は若干の緊張を覚えていた。


(もしかすると、俺が最後に感じる女の匂いかも知れないな)


 不吉な事を考えながら、ジュノーンはその香りに身を任せて、馬を走らせ続けた。


「あの……セシリーにもらった香油はどうでしょうか?」


 リーシャは後ろをちらりと見てから訊いた。


「ああ、それはセシリーの香油だったのか。とても良い香りだよ。リーシャ王女によく似合っている」

「そ、そうですか……ありがとうございます」


 少女は少し横を向いたまま、ぺこりと小さく頭を下げていた。乗馬中故に顔まで見えなかったが、耳先が赤くなっている事から、どうやら照れているらしい。年相応に女遊びも嗜んできた彼としては、彼女のそういった初心な反応そのものが新鮮だった。

 この子には不幸になってほしくない──何となくだが、ジュノーンはそう感じていた。


「随分久しぶりに体を洗えたので、とてもすっきりしています」

「そいつはよかった」


 どんな状況でも女は女なのだな、と彼は苦笑いを漏らした。

 ハイランド王国から飛び出してきてから今日までの間に風呂に入れなかった事を考えると、彼女としても限界に近かったのかもしれない。それに加えて糞尿の臭いに包まれていたので、おそらく耐えられなかったのだろう。


「ところで、先程の話ですが……」

「ああ、少し待ってくれ」


 リーシャが話し出そうとした時、ジュノーンは民家の前で馬を止めた。馬から飛び降りて、その民家の玄関扉に、こっそりと金貨袋をかける。

 ここは、先程の看守の家族の家だ。ジュノーンはどうしてもここに寄らなければならなかったのだ。

 金貨袋の中には、『これを持って身を隠せ』というメッセージも添えてある。この文言から察して身を隠してくれれば良いのだが、この金貨と手紙をどう受け取るかは彼の家族次第だ。

 先程の看守の家族は、これから不幸に見舞われる。それをまねいたのは、間違いなくジュノーンなのだ。この程度の金で自身の罪を償えるとは思ってはいないが、それでも彼の家族に何かせずにはいられなかった。


「ここは……?」


 リーシャも下馬し、怪訝そうに尋ねた。


「リーシャ王女のいた牢獄を守っていた看守さ」


 ジュノーンはそう言って、リーシャ王女を助けた経緯を話した。彼は許可もないのに王女に面会させてくれと言い、看守の懐に金を渡した。そして、その場でリーシャ王女を脱獄させる事を選んだのである。


「おそらくあの看守も、その家族もこれから大変な事に見舞われる。ここはその看守の家族の家なんだ」


 逃がした者は、国を揺るがす程の最重要捕虜だ。あの看守の罪は重く問われ、死罪は免れないだろう。


「そんな、私の為に……」


 リーシャはその事実を知って、愕然としていた。

 自分の脱獄ひとつでどれだけの人々が犠牲になっているのかを思い知り、途方に暮れている様子でもあった。


「気にするなと言っても無理だろうが、気にするな。全て俺の独断だ。リーシャ王女が気にとめる必要もない。それに……、限りなく少ないんだ」


 国を揺るがす最重要捕虜を、看守と看守の家族の命だけで脱獄させられたのだ。

 人の命に価値の優劣はないと言いたいところだが、この少女が牢の中にいるのといないのとでは、雲泥の差だ。その後のハイランド王国の失われる命の数を鑑みると、安い方と言えるだろう。


「でも……ッ! でも、私のせいで、その方たちは……ッ!」


 説明を受けても、リーシャは納得していなかった。


「私、最低です……一体私の軽率な行動の為に、どれだけの人に迷惑を掛ければ良いのでしょうか……」


 青髪の王女は俯き、小さく肩を震わせた。

 ジュノーンはそんな彼女を、ただ黙って見ていた。彼女の行った行動は、間違いなく愚行だった。ハイランド王国を揺るがしかねない愚行だ。

 しかし、ジュノーンにとっては彼女の愚行にある意味救われてもいた。

 彼は彼女がいてくれたからこそ、ようやく国を裏切る覚悟ができたのだ。


「それを悔やむのは、ハイランドに帰ってからだ。行くぞ」


 ジュノーンは再び馬に跨りそう言うと、馬を走らせた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る