第4話 決心②

 思いも掛けなかったジュノーンの言葉に、リーシャは驚いて顔を上げた。


「なにを……? 私を出してくれると言うんですか⁉」

「下がっていろ」


 リーシャの言葉に応えず、ジュノーンは言った。


「待って下さい! あなたにも家族がいるでしょう? こんな事をしてはあなたの親族まで罰せられてしまいます!」


 リーシャはジュノーンのしようとしている事を察して、反抗した。

 彼女はこの期に及んで、まだ自分よりも他者の心配をしているのだ。ジュノーンはそれをバカバカしく思いつつも、そんな彼女に好感を抱いていた。


「安心してくれ。幸か不幸か、俺には家族がいない。さあ、リーシャ王女。離れていてくれ」


 リーシャは不安気にジュノーンを見たものの、彼が本気であることを悟り、三歩程後ろに下がった。

 それを確認すると、ジュノーンは牢獄の鍵穴に手のひらを当てる。すると──黒い炎が彼の手から発生し、鍵の部分がみるみるうちに溶けていったのである。音もなく施錠された鍵は発酵したミルクのようにどろどろと溶け、鍵を失った扉はゆっくりと開いた。


「鉄が溶けてしまいました……凄いです。こんな魔法、見た事がありません。あなたは一体何者なんですか?」

「詳しくはあとで話す。いいか、今は無駄話をしている暇なんてないんだ」


 リーシャはこくりと緊張した面持ちで頷いた。

 ジュノーンに至っては自分の早計さに呆れ果てていたが、あきれ果てる時間すら惜しかった。

 彼にはこの選択肢以外なかったように思えたのだ。それが同情からなのか、復讐の為なのか、それはわからない。だが、この瞬間この決断をした事を、青年は後悔していなかった。

 ジュノーンはリーシャの手を引き、牢獄の通路の突き当たりまで連れて行く。そして、下水道への道があるマンホールを開いた。彼はこれまでの脱走支援により、この牢獄からの脱出路を全て知り尽くしている。この少女を外まで逃がすのは容易い。


「ここの下水道は城外の下水道に繋がってる。王女様にとっては臭くて辛いかもしれないが、今は我慢してくれ。降りて梯子を背にして右手側を歩くんだ」

「わかりました……ジュノーン様は、どうするんですか?」

「俺は看守の目もあるから、今来た道を戻る。出口の下水道のマンホールに先回しして半分開けておくから、リーシャ王女はそこから出てきてくれ」


 リーシャはまだ困惑したままだが、神妙に「はい……」と頷いて、マンホールの梯子に足をかけた。


「あのっ……!」

「なんだ」

「本当にありがとうございます。私、何と御礼を言えばいいか……」


 少女は申し訳なさそうに言っていた。


「礼は生きてローランドを出てからにしろ。ここはまだ獄中なんだ」

「そうでした。では、ちゃんと脱出してから言いますね」


 ジュノーンの言葉に、青髪の王女はにこりと笑って、そのまま梯子を降りて行った。

 彼女が降りたのを確認してからそっと上からマンホールを閉じると、牢獄に再び静けさが戻った。


(さあ、どうしてくれよう。これでいつ死んでも文句は言えないな)


 もはや自分ですら引きつった笑みしか浮かばない。これで見つかれば、処刑は確実である。

 彼はこれまで政治犯として無実の罪で捕まった貴族の脱走の幇助支援をした事がある。しかし、それはもっと計画を練ってから実行しており、この様な行き当たりばったりでやった事はない。それに、実際に脱走を幇助するのも、彼の役割ではなかった。彼の腹心に〝逃がし屋〟たる者がいて、こうした実行はその者に任せていたのだ。

 ジュノーンは来た道を戻り、地下牢を抜けて看守室に戻った。

 看守は先程ジュノーンから受け取った金貨袋をぎゅっと握り締めて不安そうに待っていた。


「あ、ジュノーン卿……面会はどうでしたか?」

「ああ、期待外れだったよ。まさか、あんなバカな姫君がいるとは思わなかった」


 そう……彼女はバカだ。それと同時に、彼自身も同じくバカであると思えた。

 自分を省みず他人の事ばかり考えている姫君も、あらゆる地位や名誉を捨てて、その脱獄を手伝ってしまう自分もバカという以外で表現方法があるのならば教えて欲しい。


「ははっ、左様でしたか。それでは、互いにこの件は内密に」

「ああ、勿論だ。いつかお前の子供を見に行くよ」


 ジュノーンは言いながら、看守の手に握られた金貨袋をちらりと見た。


(思えば、この看守には気の毒な事をしたな)


 リーシャ王女の脱獄が知られたならば、看守も処刑は免れないだろう。この程度の安い金で、この男は命を失うのだ。


「看守よ。お前の家の場所を教えてくれ。後日、改めて礼をしよう」

「はあ……まだ頂けるのですか?」

「なに、俺の余興に付き合ってくれた礼くらいさせてくれ。お前とてヒヤヒヤした時を過ごしただろう。どうかお前の子供達の為にもそれくらいさせてくれ」

「あ、ありがとうございます!」


 言うと、看守は自分の家の場所がかかれた紙をジュノーンに渡して、深々と頭を下げた。


(頭を下げないといけないのはこっちなんだがな……)


 青年は心の中で看守に謝った。

 彼には自らの選択の責任を、負う必要がある。この者が救えなくとも、この者の家族だけは救わなければならない。そう考えるのだった。

 だが、それも王女の脱獄を確かなものにしてからだ。

 ジュノーンはその決意を胸に、所定の場所へと向かった。

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