第3話 決心
捕らわれの姫は精一杯虚勢を張っているようだが、声がふるえていた。それにより、思わず彼女に目を奪われていたジュノーンも意識が連れ戻される。
「夜遅くにすまない。俺はジュノーン=バーンシュタイン。一応爵位は持ってるが、下級貴族だ。あなたがリーシャ王女で間違いないか?」
彼女はじっとジュノーンの瞳を見据えた。
「はい、間違いありません。私がリーシャ=ヴェーゼです。ジュノーン様は、どういったご用件でしょうか? それとも、私の処遇が決まりましたか……?」
彼女の青い瞳の中には不安と恐怖が入り交じっていた。
この若さでこんなところに閉じ込められては、それも仕方ないだろう、とジュノーンは思った。彼が知るだけでも、彼女は既に二日程幽閉されているのだ。
「いや、リーシャ王女の処遇は今はまだ決まっていない」
おそらく近いうちには決まるだろう。外交に使われるか処刑されるか、どちらにせよ、この少女にとってはろくな未来が待っていないのは明白だ。
「それでは……?」
少女はおそるおそるといった様子でジュノーンを見上げた。
「単純に、興味があったんだ。敵領に一人で侵入した姫君が、どういった理由でこんな愚行をしでかしたのか……それとも、これも何かの策のうちなのか?」
銀髪の青年が問うと、リーシャは目を伏せた。
「言いたくない、か? もしかすると、お前の最後の話し相手になるかもしれないんだぞ」
これは脅しではなかった。
もし、上層部が処刑を選択したならば、それも十分にあり得るだろう。
「愚行……やっぱり、誰の目から見てもそう映ってしまいますよね。こうして祖国を窮地に立たせているのですから、愚者以外の何者でもありません」
ジュノーンの言葉を聞いて、リーシャは肩を落とした。
青年は小さく溜息を吐いてから屈んで、彼女としっかりと目線を合わせる。見下しているわけではないぞ、という意思表示だ。
青髪の王女も、そんなジュノーンの目を不安げな瞳で見つめている。
(なるほど……さすがは王女、と言ったところか)
二人の視線が交差した時に、ジュノーンは何となくこの王女がただの愚者ではない事を悟った。
彼女はこの状況でありながらも、青年の視線や瞳から彼の真意を探ろうとしていたのだ。また、この死臭漂う牢獄に二日も入れられているのに、少女の心は未だに死んでいない。身なりは汚くなってしまっているものの、彼女の持つ高潔さや純潔さ、そして王族としての威厳をしっかりと保っている。
しかし、それと同時に不安さや儚さも併せ持っており、その純粋で穢れを知らない青い瞳を見ているだけで、自然と彼女に心が惹き寄せられていく。不思議な感覚だった。
「あなたは……本当に他意なく私のところを訪ねたのですね。ジュノーン様の瞳は、嘘を吐いていないようです」
「そうだな。他意はない」
「変わった方ですね」
「よく言われる」
彼の返答に、リーシャ王女はくすっと笑った。
「何だか不思議な気持ちです。今私は酷い状況に置かれているのに、ジュノーン様と話す事に少し楽しさを感じています」
ジュノーンは応えなかったが、彼も同じ気持ちだった。
意識をしっかり保っていないと、その青い瞳に吸い込まれそうになってしまう。それほど彼女は美しく可憐だったのだ。
「ジュノーン様はペルジャ草という薬草を知っていますか?」
リーシャが唐突に先に切り出した。
「いや、知らないな。草木はさっぱりだ」
王女の狙いはわからなかったが、ジュノーンは正直に言った。実際に草木についての知識は全くなかった。
「ペルジャ草は、ハイランドには生えない貴重な薬草で、特定の病気の特効薬によく使われます。ハイランドは今貿易国もありませんから、ペルジャ草は幻の草のようなものです」
陸地であるローランド帝国と違って、ハイランドは山中の国だ。山へ下る道はローランドの関所を通る以外ふもとに降りる道がなく、貿易国がいないため、全て自給自足で補わなければならない。兵力や食糧も戦争が長引けば長引く程、ハイランドにとって情勢は悪いものになるのだ。
今、ハイランド王国とローランド帝国が均衡が保てているのは、リーシャの父〝賢王〟こと国王・フリードリヒの手腕と有能な部下の存在、加えてローランド帝国の内部腐敗だ。
「まさか、その草を取りに来たのか……?」
こくり、とリーシャは頷いた。
「お母様が……病に伏されてしまわれたのです。今のハイランドにある薬草では現状維持が限界で、お母様を治すにはペルジャ草がなんとしても必要でした」
「そんなもの、わざわざ姫君がやる事じゃないだろう。どうして他の奴らに頼まなかった?」
ジュノーンは至極当然なもの言いで言った。
それで実際にこうして姫君が捕縛されてしまっているのだから、本末転倒である。ジュノーンからすれば、些か肩透かしを食らった気分でもあった。もっと他に深い意味があるのではないかと思ったのだ。
「もちろん、お願いしました。でも、誰も取り合ってはくれなくて、それで……」
「お前だけ抜けて来たのか」
「はい。それに、私だけの方が効率的でしたので……」
言いかけて、リーシャは口を噤んだ。
「効率的? どういう事だ」
「な、なんでもありませんッ。今のは忘れてください」
その言葉に、ジュノーンは引っかかった。
今の口ぶりからしても、彼女はローランド内部に来る方法を彼女は知っている可能性が示唆できた。しかし、地図を思い浮かべてみても、少女が一人で忍び込んで来れそうな道はなかった。
「まあいい。それで?」
「はい。それで、私だけでもとこっそり抜け出して山を降りたのですが……」
そこからはジュノーンも知っている話だった。ペルジャ草の生える場所に向かっている最中に、国境警備隊に見つかって捕らわれた、というのである。
「なるほど、それは災難だったな」
ジュノーンは皮肉も込めて言った。
国内に侵入した方法は置いておいて、それ以外の行動の動機については全くもって幼いものだった。彼からすれば、愚か以外の何ものでもない。
「はい……言いつけを破った挙げ句にこうして捕らわれてしまいました。私はハイランド王家の面汚しです」
リーシャは眉毛を寄せて、悲痛な表情を浮かべていた。
一体彼女は今どういう気持ちだろうかとジュノーンは疑問に思う。この年の若い女でこのような状態であれば、もっと崩れていてもいいはずだ。しかし、彼女は心中不安ながら、こうしてしっかりと自分を保っている。
それに──
(もし、俺も父親や母親を救う事ができるとしたら……何だってしてしまうかもしれない)
ジュノーンの脳裏に、ふと幼き日の記憶が蘇った。
目の前で両親が惨殺された時の光景だ。もし、あの光景を未然に防ぐ手立てがあるのであれば、彼も言いつけや禁忌を侵してしまうかもしれない。
「ジュノーン様。頼めた義理ではないのですが、一つだけお願いを聞いて頂けないでしょうか?」
「ほう。敵国の武将の俺にか。なんだ?」
ジュノーンは自らの暗い記憶を振り払って、意地の悪い笑みを作った。
「私はどうなっても構いません。ですが、母に……ハイランドに、ペルジャ草を送って下さいませんか?」
リーシャの瞳はジュノーンを捉えていた。
そこには恐怖もなく、ただ懇願のみがあった。自らの命や脱出を請うのではなく、ただ母の病の為だけに彼女は願っているのだ。なんという純粋さなのだろう、と青年は思った。
(この期に及んで薬草ときたか。とことんお人好しなのか、バカなのか……)
ジュノーンは彼女の懇願に呆れていた。呆れると同時に、彼は自らの中に別の感情が湧き上がってくるのも自覚していた。
(だが──面白い。面白いってのは、この世の何よりも大事な事だ)
ジュノーンは彼女の愚かしい程の真っ直ぐさに惹かれていた。このバカバカしさが、ある種彼に命を懸けても良いとさえも思う程の何かを芽生えさせていく。
危機的な状況に置かれる自分の事よりも、他人を慮る──そんな彼女の未来を見てみたくなったのだ。
「いくら王女の頼みでも、それはちょっと無理だな」
ジュノーンの返答を聞くと、リーシャは肩を落とした。
「そうですよね……敵国にそんな情をかける必要も義理も、ジュノーン様にはありません。身を弁えないお願いをしてしまいました。申し訳ありません」
じわっと涙が浮かんだのを隠すように、リーシャは目を伏せた。
それを見て、ジュノーンは小さく息を吐いて、続けた。
「いや……そうじゃない。俺は、草がどう違うかなんてさっぱり見分けがつかないんだ」
今から言おうとしている言葉について、ジュノーンは自らを嘲笑せざるを得なかった。
おそらく、気が狂っている。だが、予め定められていたかのように、彼の口からは自然とその言葉が出てきた。
「だから……リーシャ王女よ。その何とかという草を探すのは、貴女の役目だ」
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