第2話 邂逅
ローランド帝国──ルメリア大陸東北部に位置するこの国では、更に北の山国、ハイランド王国と長きに渡る戦を繰り広げていた。両国は以前は統一国家であったとされるが、今では国が山の上と下で二分化し、互いを滅ぼさんと相容れぬ戦を何度も繰り返していた。
そんなある日、ローランド帝国を揺るがす出来事が起こった。
敵国・ハイランド王国の王女ことリーシャ=ヴェーゼの捕縛に成功したと言うのである。
リーシャ=ヴェーゼとは、ハイランド王国国王にして〝賢王〟の異名を持つフリードリヒ大王の一人娘だ。彼女は可憐で美しい姫君として敵国ローランド帝国にも名は知れていた。その様な重要人物が、何故かローランド領内にて一人でいるところを目撃され、そのまま国境警備隊に捕縛されたというのである。
まさに信じがたい話ではあるが、ローランド帝国にとっては、ハイランド王国との長きに渡る戦争に終止符を打つには、またとない好機であった。
今では、ローランド帝王・ウォルケンスとその側近、そして国の中枢とも言える人物が連日会議を行っていた。
議題は、そもそも本物のリーシャ王女なのかという点から始まり、どのようにハイランドからローランドに侵入したのかへと続いた。そして、ようやくこの捕虜をどう用いてハイランドを制圧するか、という点に移ったのである。
会議は夜通し続き、未だ良い案は出ていなかった。
*
夜も更けた頃、漆黒のマントを纏った若い男が、地下牢へと向かっていた。長い銀髪と紅い瞳が印象的で、中性的な顔立ちをしている美青年だ。
彼の名はジュノーン=バーンシュタイン。弱小ながら爵位を持つ貴族で、ローランド帝国の有力な武将でもある。これまで敵国であるハイランド王国や周囲の国家の侵入を防ぐにあたって、多くの武功を立ててきており、国内外でもそこそこに名が知られている。
彼は剣術の他、黒い炎術を用いる事から、国内外で〝黒き炎使い〟という異名で呼ばれていた。ジュノーンは個人の武でも去ることながら、将才も他の武将を差し置き、ローランドでは一目置かれている人物であった。
このジュノーン=バーンシュタインこそ、十三年前に家族を殺されて、〝黒い炎〟の力に目覚めたシュルツ家の跡取り息子だ。
ジュノーンはバーンシュタイン家の養子となって以降、剣を鍛え、そして怒りによって芽生えた〝黒き炎〟の力を使いこなせる様に鍛錬に鍛錬を重ねた。そして、幾度となく戦場に立って、ただただ武勲を積み重ねて、今に至る。彼は両親を殺された怒りを発散させるかのごとく、矛先を敵兵に向けて敵を屠り続けたのである。
復讐に燃えていた少年は今や二十歳で、バーンシュタイン家の当主となっていた。彼を引き取り養子としたバーナード=バーンシュタインは、数年前の流行り病に感染し、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ。
バーナードは小さな領地を持つ弱小貴族に過ぎず、もともと世継ぎにも興味がなかった事から、妻子を作っていなかった。その結果、彼の地位を全てをジュノーンが引き継ぐ事になったのだ。
一方、ジュノーンの仇であるマフバル=ホフマンは今やローランド帝国の宰相である。シュルツ家がいなくなった事によって、繰り上がる形で彼が宰相を任されたのである。
ジュノーンにとって、このままリーシャ王女を上手く使われて戦争に勝たれてしまうのは、いささか都合が悪かった。
彼の目標は、マフバル=ホフマンに復讐する事だ。しかし、十三年の月日が経つにつれて、別の目標もそこに付け加わっていた。
それは、ローランド帝国の民を救う事だった。
戦争が続き、民は飢えて血税に苦しんでいる。一方の貴族や王族は、私腹を肥やして日々を裕福に過ごしていた。その状況を何とか打開しなければならないとも考えていたのだ。ここで戦争に勝ってしまっては、何の意味もない。ただ無能な国と王に支配される民が増えるだけである。
ジュノーンはそんな状況を防ぐにあたって、夜中にある目的を持って地下牢へと向かっていた。勿論、まずは今渦中の人である、リーシャ王女を一目見る為だ。
一体、どんな愚か者か、処刑されるにせよ取引に使われるにせよ、或いは自分が何かを施すにせよ、一目見ておきたかったのだ。
もし、彼女が救い様のない無能であったならば、処刑や取引に使われ、国を亡ぼすのも仕方なし。しかし、ジュノーンは彼女がローランド帝国内で一人でいた、というところに引っかかりを感じたのだ。
ローランド帝国とハイランド王国は、国境を境に行き来ができないようになっている。ローランド帝国側にも、ハイランド王国側にも国境警備隊がしっかりと配備されているので、鼠一匹すら通り抜ける事は不可能だろう。
それにも関わらず、一国の王女であるリーシャ=ヴェーゼがローランド帝国の領土内で発見された。少なくとも、ただの無能であればその国境を通り抜ける事などできるはずがない。そこに、彼女には何かがあるのではないか、と彼は考えたのだ。
ジュノーンが地下牢の入り口に降りたった時、うとうとしていた看守もあわてて飛び起きた。
「ジュノーン卿⁉ この様な時間に如何なさいました?」
看守はいきなりの英雄の登場に眠気が消し飛び、慌てて敬礼をする。
ジュノーン=バーンシュタインと言えば、その外見も相まってか、下級貴族でありながらも民や兵士からは絶大な人気を誇る人物だ。その様な人物がいきなり現れれば、眠気も海の向こうまで吹き飛ぶだろう。
「寝ていたところすまなかったな、看守。今話題の人が処刑される前に一目見ておきたくてな。少々牢への道を通してくれないか?」
ジュノーンは特段威圧した様子も見せず、まるでお前の飼い犬でも見せろ、とでも言うように、看守に話しかけた。看守はその男の纏う覇気に気圧されながらも、もう一度敬礼で返した。
「はっ。許可証をお見せ頂いて宜しいでしょうか?」
「生憎だが、発行する時間がなくてな。なに、少しだけ女を見るだけだ。一つ融通を利かせてくれないか?」
「勘弁して下さい、ジュノーン卿。許可なく重要捕虜との面会は違法でございます。万一知られたら、私の首が飛んでしまいますので……」
やはりな、とジュノーンは心中で溜め息を吐いた。
重要捕虜との面会の際は大臣の許可証が必要なのであるが、ジュノーンは許可証など持ち合わせていない。この看守にせよ、危険を冒してまでジュノーンと重要捕虜を面会をさせる義理がない。
しかし、それも織り込み済みである。看守のこの対応も予想の範疇だった。だからこの日のこの看守がいる時間帯に訪れたのだ。
「看守よ。そういえばお前、二人目の子を授かったらしいな」
「はっ、ジュノーン卿に御存知頂けていたとは誠に光栄です!」
いきなりの話題の変換に、看守はやや戸惑った様子だった。何をさせられるのかと怯えているのだろう。
ジュノーンは事前に本日の看守の情報まで仕入れてあったのだ。これも彼にとっては
「今の給与で二人養うのは大変だろう。どうだ、これで手を打ってくれないか?」
ジュノーンは金貨袋をマントの中からだし、看守に手渡した。
この金貨袋には、彼の給与の数年分以上が入っている。それを見て、ゴクリ、と看守の喉が鳴った。
「……手短にお願いしますよ。これが知れたら、私だけでなくジュノーン様とて処刑されるやもしれませんから」
「わかっている。迷惑をかけてすまない」
ジュノーンはにやりと笑みを浮かべて、看守に金貨袋を渡した。
飢えているのは、何も民だけではない。彼の様な子を持つ下級兵士達も金には苦しんでいる。こうした賄賂への弱さは、そのまま国の弱さと危うさを示している様でもあった。
「いえ……ジュノーン卿は何故この様な危険を冒してまで敵国の王女を?」
「好奇心さ。それだけだ。もとより、金は無駄に余っている。俺が持て余すより、必要な者が使うべきだろう」
ジュノーンは下級貴族ではあるが、戦の武功により様々な褒賞を得ている。贅沢をする習慣もないので、金の使い道はもっぱら自分の屋敷に勤めている者達への給与か、自身が戦い易い様に武器防具を整備する程度だ。
「変わったお方ですね。貴殿の様な方が上に立てば、もう少し国も変わるのではないかと思うのですが」
「口がすぎるぞ、看守。それこそ首が飛ぶ」
ジュノーンは苦笑して返す。
ローランド帝国は長引く戦争、そしてウォルケンス王やマフバル宰相といった、王族・貴族が私利私欲の為に課した血税により、民は飢えている。これ以上戦争が長引くのはローランドにとっても良くない。だからこそ、国の上層部はこの捕虜を通じてハイランドを制圧に導きたいのであろう。
だが、ジュノーンはそれを望んではいない。
「はっ、申し訳ありません。では、扉はお開けしますが、牢獄の鍵はご勘弁下さい……」
もしもの事がありますので、と看守は付け足した。
「構わない。俺も一目見てみたいだけだ。一体どんなバカ面を下げてローランド領に侵入したのか知りたくてな」
「はっ」
冷や汗をかく看守を横目に、ジュノーンは地下牢へと入った。
数々の罪人を横目に見ながら、一番の奥の牢へと向かう。途中、獄中をちらりと見ると、何人もの囚人が飢え死んでいた。或いは、拷問で大怪我をさせられ、そのまま処置をされなかったが為に死んでしまっている者もいる。生きている者もいるが、殆どが虫の息だ。
この政治犯が捕らわれている牢獄の殆どが無罪か、或いは軽い罪で捕らわれているものが多い。そんな彼らがどうしてこうも酷い扱いを受けているかというと、それは彼らが反王権派の人々だからだ。
(悪いな……救ってやれなくて)
ジュノーンは心中でその者達に詫びた。
彼がこうした手筈に慣れているのは、こうした無実の罪で捕まった人々を脱獄させる支援も陰ながら行っていたからだ。
だが、今は目的が異なる。もしこれが見つかれば、爵位は愚か、裏切りとして斬首される事は間違いない。ジュノーンとしても、慎重に進めなくてはならない事柄なのである。
銀髪の美青年は自らの目標だけを見る様にして、石畳の冷たい床の上を歩いた。
そして、十分程歩いたところの一番奥の牢……リーシャ=ヴェーゼが捕らわれている牢の前に立った。
中を見て、ジュノーンは固まった。
「あっ……」
彼は目に飛び込んできたものに思わず心を奪われてしまったのである。
彼女はこちらを見ていた。そして彼もまた、彼女を見ていた。
ジュノーンの目に飛び込んできたものは──それは、噂通りの美しい少女だった。
年は十代半ば程の若い娘で、まるで流れる川を連想させるかのような長い青髪、気品ある育ちの良さそうな姿勢、白く美しい肢体……そしてこの世の不条理を知らない無垢な青い瞳が印象的だった。
神話に出てくる天使だと言われても納得ができてしまう容姿だ。そんな天使のような美しい少女が、短衣だけを纏って佇んでいる。
少女は怯えるようにジュノーンを見上げていた。
「あなたは、何者ですか……?」
捕らわれの姫が先に口を開いた。
ジュノーン=バーンシュタインとリーシャ=ヴェーゼ──これが後にルメリア大陸の救世主と呼ばれる二人の出会いだったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。