源頼朝と恋愛結婚した北条政子 ニート夫を将軍に導き、権力者に
1159年平治の乱(へいじのらん)で、父である義朝が平清盛に負けて伊豆に流され、ニートになった源頼朝。
しかし彼はイケメンで、伊豆の有力者の娘、北条政子と当時は珍しい恋愛結婚。
嫁の実家の力を借りて、「打倒平家!」を呼び掛ける。
従兄弟の木曽義仲や弟の源義経も参加し、平家を倒す。
しかし、協力してくれた義仲は、京で放火や略奪行為をして天皇や公家から「野蛮人」と言われ、大不評。
この行いは京都から逃げ出す平家の仕業ではないか? という説もあるが、彼はこれにより信頼を失い、頼朝の命で義経によって討たれる。
協力してくれた義経も「手柄を独り占めしようとしている」という噂や、警戒していた後白河法皇に気に入られ、頼朝は信じられなくなる。
父親を殺されたトラウマのある頼朝は猜疑心が強く、仲間をも信じられない。
頼朝は義経を追い詰め、義経は自殺。
敵だけでなく、味方まで殺してしまった頼朝は、生涯、妻の政子に頭が上がらなかった。
政子の妊娠中に、頼朝は亀の前(かめのまえ)という女性と浮気した。
それを知った政子は彼女の実家をブチ壊している。
頼朝の死後、息子たちは立て続けに暗殺され、実質の権力者は北条政子に。
源氏は三代であっけなく終了。
鎌倉幕府は執権(しっけん・鎌倉時代の将軍の補佐)政治により北条家が仕切るようになった。
この流れを見て、源平の争乱のラスボスは北条政子だったと(勝手に)思っている。
【頂いたコメント】
政子のお父さんがラスボスでしょうね…。
頼朝は源氏の有力者に担がれた御輿的側面が大きく、若き日の武田信玄に近いでしょう。
彼は必要以上に猜疑心が強く、血縁者を殺し過ぎました。
政子も自分の息子たちの死など望んでいたとは思えません。
彼女はそれこそ蚊帳の外で、彼女のお父さんの策謀で全てが決まってしまったのだと思います。
結局鎌倉幕府とは、北条幕府だったのだと思います。
晩年の政子さんは、後悔が大きかったのじゃないのかなぁ。
(白狐姫と白狐隊様)
いつも考察の甘さを痛感致しますm(__)m
感謝をこめてm(__)m
【頂いたコメント】
優れたトップが死んだ途端、配下に政権を簒奪された例は、古今東西、数え切れない。
トップが行うべき終活は、存命中に危険分子を処分しておく事。清盛はまさにそれで失敗した訳だが、頼朝も同じような失敗をしでかしたのは皮肉としか言いようが無い。
こうした歴史に学んだ徳川家康は、豊臣家にきっちりトドメを刺し、危険な大名を取り潰すシステムを構築して次代に引き継がせた為、江戸幕府は200年以上もの長期政権となった。
(落木奥弘様)
いつもコメントありがとうございますm(__)m
感謝をこめてm(__)m
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます