摂関政治では、女を利用。娘をつかい帝の外祖父の地位をゲット。
院政時代は、院に子供ができても次代の跡継ぎになれるとはかぎらないので、院自体を男色で籠絡。
ということで、院政時代に特に男色が流行ったようです。
作者からの返信
澄田さま、コメントたくさんありがとうございますm(__)m非常に興味深いです。後白河法皇はじめ、バイの法皇様は多いですね……男性同士だと子どもができる心配がないのと、貴族は結婚相手を自分で選べないことも多く(政略結婚が当たり前なので)そちらに流れる人も大なり小なりいたようで……コメントありがとうございますm(__)m感謝をこめて♡
語り手「もし、それが事実なら、知りたくなかったぁぁぁぁー!((((;゚Д゚)))))))なんて言いそう」
作者からの返信
語り手様 コメントありがとうございますm(__)m感謝をこめてm(__)m