応援コメント

平清盛は武士で初めて太政大臣になったと言うが、本当は天皇の隠し子」への応援コメント

  • 語り手「昔は源氏が好きだったけど、今になると、お金の考えを持ってきたのが、平家だから、平家の方がすごく感じてしまう」

    作者からの返信

    自由な語り手様、コメントありがとうございます。嬉しいです。平清盛は日宋貿易を展開し、武士というよりお金儲けが優れたビジネスマンという勝手な印象があります。あれだけ栄華を極めた平家があっという間に窮地に追い込まれたのは、平家物語にあるように傲慢な気持ちから生まれた歪みだったのかなと感じます(妄想劇場)心より感謝をこめてm(__)m


  • 編集済

    はじめまして、エッセイの自主企画に参加しております、澄田です。
    で、こちらのぞいてびっくり、もーーわたしの趣味と丸かぶりでしたもので、読ませていただきます。
    私もいま薔薇の葬列にどはまりしてまして、カクヨム内で布教活動してます(笑)

    おかげさまで、数人沼に落とせました。

    大河ドラマの「平清盛」でも、このご落胤説をつかってました。

    作者からの返信

    そうだったんですね♡家族が違う番組が好きなもので大河ドラマは見るのを諦め、残念です( ノД`)シクシク…澄田さま、コメントありがとうございますm(__)mたくさんの感謝をこめて♡

  • 拝読させて頂きました。

    清盛は確かに日本初の武家政権を打ち立てましたが、
    あくまでも朝廷の最高職であり完全な武家政権とは言えないのでは(・・?
    やはり私は頼朝が鎌倉幕府を起こして統治を始めたのが、
    完全なる武家政権の始まりだと思っています。

    話が逸れてしまいますが1160年に起きた平治の乱で敗れた義朝らは処刑されますが義朝の息子頼朝は清盛の継母である池禅尼の嘆願で助命されます。
    後に頼朝と義経の間に確執が生じた時に義経の愛人であった静御前が男子を出産して頼朝はその赤ん坊を殺害します。
    その事を責める北条政子に頼朝はこう言います。
    「平氏は私が幼いからと言う理由で私を殺さなかったのだ。平氏はその事を悔いているだろう。私は同じ思いはしたくない」
    これは萩尾望都氏が「危ない丘の家」の2冊目で詳しく描かれています(^.^)
    黒川さまならご存知かも知れませんが💦

    話が大幅に逸れてしまい申し訳ありませんでした(>_<)

    作者からの返信

    いつも素敵なコメントをありがとうございますm(__)m
    萩尾望都氏が「危ない丘の家」面白そうですね♡
    読んでみたいです❤
    感謝をこめてm(__)m