平清盛は武士で初めて太政大臣になったと言うが、本当は天皇の隠し子

 平清盛は白河天皇に仕えた平忠盛の長男。


 と、教科書に書いている。

 

 しかし、『中右記』(藤原宗忠の日記)には、白河法皇の落胤と書かれている。


 なんと白河法皇、自分の愛した妊娠中の祇園女御を褒美として平忠盛に与えたのだ。


 生れてきたのが、平清盛(白河法皇の息子)


 これなら武士で初めて太政大臣になったのも分かる。


 全然関係ないけれど、中学生の頃、高河ゆん先生の漫画『源氏』にめっちゃハマりました!(『源氏』と書いているけれど、史実に関係ない話で、とにかく登場人物、全員イケメンで好きだった)


【コメント】


北浦十五様


拝読させて頂きました。


清盛は確かに日本初の武家政権を打ち立てましたが、あくまでも朝廷の最高職であり完全な武家政権とは言えないのでは(・・?

やはり私は頼朝が鎌倉幕府を起こして統治を始めたのが、完全なる武家政権の始まりだと思っています。


話が逸れてしまいますが1160年に起きた平治の乱で敗れた義朝らは処刑されますが義朝の息子頼朝は清盛の継母である池禅尼の嘆願で助命されます。

後に頼朝と義経の間に確執が生じた時に義経の愛人であった静御前が男子を出産して頼朝はその赤ん坊を殺害します。

その事を責める北条政子に頼朝はこう言います。

「平氏は私が幼いからと言う理由で私を殺さなかったのだ。平氏はその事を悔いているだろう。私は同じ思いはしたくない」

これは萩尾望都氏が「危ない丘の家」の2冊目で詳しく描かれています(^.^)

黒川さまならご存知かも知れませんが💦


話が大幅に逸れてしまい申し訳ありませんでした。


北浦十五様


萩尾望都氏の「危ない丘の家」、読んでみたくなりました♡

ステキなコメントありがとうございます♡

感謝をこめて❤


【コメント】


落木奥弘様


清盛は暴君のように描かれる事が多いのですが、父・忠盛が朝廷で陰湿なイジメを受けていた為、自らは部下に恥を掻かせないよう努めていたそうです。


他にも、部下の長所を見極めて適所に配置したり、恭順した海賊には船の護衛の仕事を斡旋して、交易の活性化を図るなど、後の織田信長にも通じる面が多々あります。


(作者からの返信)


信長も平家の血筋の人ですね♡

清盛は日宋貿易を積極的に行い、武士というよりも優秀なビジネスマンなイメージです。

神戸や博多に行くと、このあたりを昔、清盛も通ったのかなとドキドキします。

信長も経済の発展に努力した人物で、素敵ですよね♡

「おごれるものはひさしからず」と平家物語にありますが、身内びいきなところがなければ、裏切りにあわなければ……と思ってしまいます。

でも、自分も人のことは言えないです。

気を付けたいです。

いつも素敵なコメントをたくさんありがとうございますm(__)m

心より感謝申し上げますm(__)m

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