8章 実に情けの無い男であります

22歳の春である。


大学4年になる年、僕は大学を辞めた。


経済的な理由が最大の理由なのだが、それ以上に勉学に対する意欲が落ちに落ちていた。


このままここで学べることはあるのだろうか。


自分の進路はどこに向うのだろうか。


そんなことを考えると、どうも現状大学に通うということが、ばかばかしく思えて仕方が無かった。


実は、卒論はその時点で完成していた。


だが、そこから卒業を待つほど僕の人生は悠長ではなかった。


だから辞めた。


もちろん後ろ髪を引かれなかった訳ではない。


友人たちは、人生の中でも大事な存在になっていた。


彼らと一緒にいたいという気持ちは強かったが、自分の気持ちを大事にしたいと考えるので精一杯だった。


一番の気がかりは詩(うた)である。


大学を辞めたからには就職ということになるのだが、どんな仕事に就けるか分からない。


とかく、いずれは自分で何かをしてみたいという野心が強い僕には、将来の保障が一切無かった。


彼女と幸せに暮らしていけるか分からない。


彼女に苦労をかける事は明々白々である。


選択肢は詩と別れるということだけだった。


その時点で付き合い始めてから丸1年が経っていた。


まだ傷は浅くて済む。











ある日の夕暮れ、いつものように2人で家に居た。


テレビを見ていた。


「ねえ、詩。話があるんだけど。」


特に言葉は決めていなかった。


その時々で自分から出る言葉に身を任せることにした。


「どうしたの?改まって。」


詩は顔色を伺いながら、僕にギュッと抱きつく。


僕の右腕にかかる詩の体重が僕の言葉を妨げる。


「あのさ、学校辞めるかも・・・」


「へー、そうなんだ。」


詩の返事に肩透かしを食らった。


「どうして?」


僕は事の顛末を話した。


これから就職すること。どんな生活になるか分からないという不安を詩に伝えた。


「あー、何か涼(りょう)はそうなるんじゃないかって思ってたよ。」


詩はやっぱりねとしきりに言った。


「ごめんね、詩。

こんなことになって。

だから、もう・・・」


「離れないよ、私。

今は涼が一番辛い時だよね。

涼と一緒にいると楽しいことだけじゃなくて、辛いこともあるって分かってるもん。

でも2人で乗り越えて行こうよ。

もっと私を頼ってよ。」


詩のその言葉は僕を泣かせるのには十分だった。


思えば僕は、年下の彼女というものをそこまで信じていなかった。


そもそも人というものに期待なんてしていなかった。


それまでの彼女との別れ方が悪いと言われればそれまでだが、彼女という存在は簡単に裏切って、簡単に離れていくものだと思っていた。


人というものは、僕という存在に留まらないということを痛いほど感じていた。


それだけに、詩の存在はとてもありがたかった。


気がつけば僕は詩の前で号泣していた。


声を上げて泣いたのはいつ振りだっただろうか。


見ると詩も泣いていた。


目の前にいる人は僕を理解している訳じゃない。


でも、共感してくれている。


それだけで十分だった。


「頑張るね。」


僕はそれだけ言って詩を撫でた。


「頑張れよ。」


詩はそれだけ言って僕を撫でた。


人の情に恩義を感じたことは、後にも先にもこれだけだった。


人に頼りたい、頼ってみたい。


一度は押し殺した感情が、僕の中で少しずつ再び膨らみ始めた。










その日以来、詩を年下として考えることが減ったように思う。


詩とは対等な関係。


付き合い初めには思いもよらなかった関係。


そんな詩の存在は頼もしくもあり、時々虚しさも与える存在にもなった。


信じないと思った存在を、心のよりどころにしている。


実に情けの無い男であります。

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