2章 足、踏んでる
喫茶店で昔を思い出してからふと現実に戻る。
時間を見ると11:30。
さすがに早すぎた。
自分で決めた時間に、自分で来たのだが、そんな計画性の無さにいらっとする。
時間と共に少しずつ回りの様子が気になり始めた。
よく見れば周りはカップルだらけだ。
この後詩(うた)が合流したら僕たちもカップルに見えるのだろう。
でも、実際は恋人ではない。
もしかすると、この中にもそんな偽りのカップルがいるのかもしれない。
あそこの高校生くらいの2人は付き合いたてか、付き合う直前か。
時折お互い話題が無くなり、下を向く。
周りから見ていれば分かるが、当人たちは目の前の相手と自分の手元の2箇所で視線を往復させている。
すこしだけ気まずい雰囲気。
でも決して嫌悪する対象ではないその空気感は、遠くから見ると異質な空間に見えた。
いずれにせよ、今が一番楽しい時期には違いない。
そういえば、僕が詩を1人の女性として意識したのはいつのことだったか。
自分の過去に問いかけてみる。
詩の大学受験が終わった。
結果は惨敗。
第一志望はおろか、第二、第三と続けて失敗した。
僕は、詩の講師として出来る限りはやったつもりだった。
それはもちろん僕だけでなく、他の先生もそうだった。
詩はそんな自分達に泣きながら謝った。自分が情けないとも言った。
先生たちは合格させてあげられなくてごめんね。
そんなことを口々に言った。
僕は目の前で泣く詩に言葉を掛けられなかった。
掛ける言葉が無かった。授業が楽しかった反面、そのときの罪悪感はひとしおだった。
自分の責任なのは明白だ。だからこそ詩に掛ける言葉が無い。
でもそこで、詩に声を掛けられない自分が益々嫌いになった。
結局詩は最後の砦として、僕と同じ大学を受けることになった。
理由は単純でまず落ちないからだった。
結果、詩は特待生にもなり、1年間は学費免除で通えることになった。
こんな大学に通っている自分だから詩を受からせられなかったのでは。
そんなことも思ったが、嬉しいという気持ちの方が大きかった。
直属の後輩が出来たのだ。
僕には当時、大学に後輩というのがいなかった。
人から頼られるのが好きな自分にとって、それは寂しくもあることだった。
そこへきての詩である。
ましてや生徒として長く関わった後輩なんて、かわいいに決まっている。
その後、詩はそこの教室長のコネで、そのままアルバイトとして、個別指導塾の講師をすることになった。
詩は最初こそ無理だとごねていたが、一緒に働きたいという他の先生たちの思いも汲んでバイトを始めた。
とは言っても、受験が終わってから大学入学をするまでは高校生扱いなので、講師見習いとしてのスタートだった。
バイトでも大学でも後輩になった詩。
けだるかった学生生活に色味がでた瞬間だった。
その後講師として僕たちは教室で顔を合わせるようになった。
教室長も含めて講師皆で会話を楽しんだ。
教室長が音頭をとって、よく学生講師達を遊びに連れて行ってくれた。
あるとき、詩がまだ見習いだった時の話である。
教室長と僕と詩。それともう1人、学生の先輩講師と合わせて4人でフットサルをしにいったことがあった。
その帰りのことだった。
教室長が「温泉に寄って帰ろう」と言って、4人で温泉に行った。
男子3:女子1。
バランスが悪い。
詩はそんなに汗かいてないし、お金がもったいないというようなことを言って、休憩所で待っていると言ってきた。
僕は汗こそかいていたが、年上2人と風呂なんて気まずくて嫌だった。
第一他人に裸を見られるのは好きではない。
そんな理由で詩と休憩所に居たかったが、「じゃあ、男子で入ってくるよ」と宣告されてしまい、風呂にはいることになった。
風呂場では男3人で話をしたが、どうも詩が気になる。
僕はカラスの行水よろしく、さっさと風呂を出て休憩所に向った。
それなりに広い休憩所にはタンクトップ・ステテコ姿のおじいさんがテレビを見ているだけだった。
そんな広い部屋の奥の方では、詩が1人がけ用のソファーに深く腰を掛けて、スマホを触っていた。
「あれ?涼(りょう)先生!?早くない!?何で!?」
詩はとても驚いた表情だったが、同時に満面の笑みで嬉しさを表現してくれた。
「詩ちゃんが気になって出てきた。」
そんなことを言って詩の向かいのソファーに座った。
詩は僕が言ったことを冗談でしょと信じていなかった。
僕も詩をからかったつもりで言ったが、存外的外れでもないことを実感した。
それから僕たちは取り留めの無い話をした。
少しすると詩が深刻そうな顔で切り出した。
「私ね、最近彼氏と別れたんだ。」
「へーどうしたの?」
僕は内心ドキッとしながらも話を聞いた。
詩には高校1年の時から付き合っていた同い年の彼氏がいたようだ。
それが3年の受験期になって、すれ違い、卒業直前に別れを切り出されたらしい。
当時は詩が高校を卒業してからすぐだったと記憶しているから、別れたてということだ。
「なるほど。まあ、よくある話だね。でもさ、詩ちゃんなら絶対良い人とめぐり合えると思うよ。」
そんな月並みなことを言って、明確なコメントを控えた記憶がある。
「うーん、でもしばらく恋愛はいいかな~。」
詩はそんなことを言いながら、ソファーから足を伸ばして空中でブラブラと遊ばせていた。
「そっか、それもそうだよね。」
僕は心に少しの苦味を感じて詩から視線を逸らした。
ちょっと残念。これが本音である。
ふと横に広がる空間を宛ても無く、目線が動く。
その瞬間、僕の足先に感覚が走る。
詩の足がぶつかった。それは一瞬で分かった。
分からないのはその足が一向にどかないことだ。
正面に目をやると、詩は僕と同じように横を向いていた。
僕の足の上に足を置いて。
「足、踏んでる。」
僕は無表情で冷たく詩に言った。
「違うよ。これは置いてるの。」
詩が子供のように屁理屈を言う。
「置くのもダメだろ。」
ケラケラと詩が笑う。
僕は何食わぬ顔で詩の足の上に足を置いた。
「足、踏んでる。」
詩は僕の真似をして、機械のように言う。
「置いてるだけさ。」
僕は嫌味ったらしく言い放った。
「汚い。どいて。」
詩が嫌そうな顔をして言う。
「風呂入ったから。」
2人の目が合って、お互いに吹き出した。
そこからは足の踏み合いである。
お互いが足を踏まれないように足で防御し、足で攻撃する。
詩はいやーっと言いながら僕の3倍の手数で攻撃を加える。
テレビを見ていたおじいさんがこちらに振り向いたのが、詩越しに見えた。
だが、お構いなし。
結局大騒ぎした後、お互いが足の裏をくっつけ合う様な形で戦いは終焉を迎えた。
足先に全ての神経が集中している。
それから詩が何か話していたが、足に気を取られた僕は話なんて聞いていなかった。
それがただただ心地よくて。
それからすぐに風呂から出た教室長達が合流して帰ることになった。
「詩ちゃんならすぐに良い人が出来るよ。」
合流する直前、僕は自分の感情に嘘をつくように、さっきのセリフをもう一度言ってみた。
「うん。」
詩の顔を見てなかったが、詩は元気の無い声でそう言った。
帰りの車、教室長が運転、先輩が助手席、僕と詩は後ろの席に座って、話をしながら帰った。
帰りの車の中で、詩は終始ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
足、踏んでる。。。
まあ、いいか。
高校生はダメだよ。
自分に言い聞かせる。
年下の高校生を意識している自分を心からダメだと思った。
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