恋は愛から濃い哀になる

@shinonome862

1章 高校生には惚れないよ

僕は今日、最愛の人と会う。


人生を掛けた人。


一番好きだった人。


形容の言葉は多くあるが、どれも適切ではない。


それだけあの時抱いていた気持ちは大きく、暖かいものだった。








あの人と別れてからもう1年になる。


今日、僕たちは思い出の喫茶店で会う約束をしている。


僕の方から別れを切り出して以来だ。


でも、今日はあの人に伝えたい思いがある。


言い残したことがある。


そんな覚悟を決めて僕は出掛けた。


思い出の街、思い出の喫茶店はあの時と変わっていなかった。


店に入ると適当な席に座った。


メニューを開く。メニューは良くも悪くも1年前と同じだ。


いつものようにアイスココアを注文する。


時間は11時。


約束の時間は12時だから、かなり時間はある。


元来待つのは嫌いな性分だが、このときばかりは待つことを苦に思わない。


むしろその時間さえも愛おしく思えるから不思議だ。


彼女が来るまで、どんな話をしようか、どんな言葉で思いを伝えようかと考えを巡らせる。


昨日の夜に幾度と巡った気持ちが新鮮味を帯びていく。


だが、それらの思考も瞬時に色あせる。


紡ぎたい言葉が不器用にこんがらがって、歪な形になったところで、思考が止まる。


すると、ふと出会った頃を思い出し、記憶が8年前に遡る。









僕たちは大学生の時から社会人になるまで丸7年付き合った。


最後の1年は一緒に住んで、お互い結婚も強く意識したと思う。


詩(うた)に出会ったのは9年前、僕が20歳で詩が17歳の時だった。


1浪していた僕は当時大学1年で、彼女は高校2年生だった。


当時個別指導塾でアルバイトをしており、詩はそこの生徒だった。


とはいっても、詩が2年生のうちは部活が優先で、あまり塾には来ていなかった。


たまに来ても詩みたいな高校生の生徒には、ベテランの先生が担当するという方針があったため、僕が担当することもほとんどなかった。


後から聞くと、彼女は出来れば女性の先生がいいと言っていたそうだ。


彼女の授業を持つようになったのは、詩が3年生になって、部活を引退してからだった。


大学受験に備えて、本格的な受験勉強が始まったとき、僕の出番が回ってきた。


当時、僕が勤めていた教室には日本史を担当できる講師がおらず、唯一日本史に精通している僕に白羽の矢が立った。


詩の僕に対する最初の印象は怖いだったらしい。


元々人見知りだったことに加えて、授業前のミーティングで教室長が女性講師希望だと伝えてきて、詩に対して警戒心が増していた。


更に初めて担当する高校生ということもあって、僕の緊張はマックスだった。


まるで腫れ物に触るかのように探り探り授業をしたのを鮮明に覚えている。


詩からすると挙動不審さマックスだったらしい。


最初の授業は自分ではっきりと分かるくらい失敗だったが、その後何度か授業をするうちに慣れてきて、お互い授業以外の話をするようになった。


詩は僕が想像していたよりもずっと明朗で、一緒に話すのが楽しかった。


詩は僕の言うことによく笑い、詩の言うことに僕もよく笑っていた。


当時何の話をしていたのか、一切思い出せないのが不思議だ。


楽しい一方で肝心の学力は目も当てられない様子だった。


3年の夏まで部活一直線だった彼女の成績は、お世辞にも受験生のそれではなかった。


僕自身、日本史を教えるのは初めてだったから、授業の前は他の授業よりも念入りに予習をした。


今日は何をやる。次回の授業では何をやる。


そんな計画を立てながら、大学の授業の合間も1人の受験生のために色々と考えた。


周りの友人たちはそんな僕を見て、急に勉強に力を入れだしたと思ったようで、実に不思議がった。


事情を説明すると、時たま準備や調べ物の協力をしてくれた。


それだけ念入りに準備をして実際に授業を行うのだが、いざ授業が始まるとお喋りに時間が割かれる。


予定が崩れることもあるくらいだった。


今思えば、塾講師として失格以外の何者でもない。


そんなことを友人に話すと、「お前それってさ、詩ちゃんのこと好きになったんじゃないのか?」


おおむねそのようなことを言って僕のことをからかった。


「いや、高校生には惚れないから。受験生として本気で応援してるんだよ。」


僕もおおむねこのようなことを言って反論した。


今になって思い返しても、その時点で恋愛感情はなかったとはっきり言える。


しかし、その時点で既に詩の人間的な魅力に惹かれていたのはどうも否定できないらしい。

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