第31話 夜会に現れた男
夜会は会議の最終日、ガーデンパーティーから3日後に行われた。
金のブロードで飾られた淡いブルーの礼服姿の殿下は、寒色と冷たい美貌が相まって本日も纏う雰囲気は氷点下。視線も声も絶好調にとげっとげしいです。
でもやっぱりお美しい。悔しいけれど流石は王族の遺伝子の下にお生まれになっただけの事はありますね。つくづく隣に立つのが嫌になるわ。
一方今夜の私はローズピンクのドレス。平々凡々な容姿ではありますが、七難を隠す色白さんのピピルちゃんは艶やかな色が映えるのだ。広めに開いたスクエアネックのノースリーブに、艶やかなシルクのタフタが綺麗なドレープを作っているAラインのドレスはフリルもギャザーも無いあっさりしたデザイン。でも両肩に付いているリボンがどストライクの好みだったらしく、可愛いアルくんは大絶賛してくれた。清楚なパールのアクセサリーとの組み合わせもお気に召したらしい。
あ、殿下ですか?上から下まで視線を流して終了でしたね。
大広間は前回のあの夜会よりもずっと沢山の人で溢れていた。外国からのお客様のご挨拶を受ける殿下の隣で引き続き『場を和ませる』のが今夜も任務なんだけれど、ガーデンパーティーとは違っていかにもな歯の浮くようなお世辞を言われるのには心の中で悶絶した。『艶やかに咲く一輪の花』とか『夜空の星の如き輝き』はまだしも、こんな色のドレスなのに『まるで白薔薇のようだ』なんて、絶対適当に言ってるでしょ!一体何処に白薔薇の要素があるのかね?殿下の隣でこの仕打ちはいたたまれなくてよっぽど辛い気がする。
夫人同伴でいらしている方のお相手の時には、殿下も賛辞を振り撒いていたからお互い様でしょうか?この人は仕事と割り切ればにこやかに話をするしお世辞を言うことも厭わない、それなりにやればできる子みたいだ。
恥じらっている呈でお世辞を聞き流し、時々ダンスを申し込まれてはお相手をする……そうして着々と任務を遂行していたら、私達の前に一人の見知らぬ若い男性が現れた。
「アデストロ公国のリーザス・オルレアと申します。会期半ばからの参加となりましたので初めてお目にかかります」
艶のある黒髪に滑らかな白い肌、スッと通った鼻稜、形の良い薄い唇をした端麗な容姿のその人は、琥珀色の瞳を細めて妖艶に笑いかけてきた。流し目に色っぽさを感じさせる男性って実在するのですね。
「御令嬢のお噂は耳にしておりましたが、こんなにもお美しい方だとは。遥々アデストロから来た甲斐がありました。まるでみずみずしい野苺のような愛らしさだ」
野苺ねぇ、聞いたことがない例えですが斬新と言えば斬新か。ローズピンクでありながらどうやっても大輪の赤い薔薇とは結び付かないピピルちゃんですものね。頑張って捻り出したので有りましょう、ご苦労様です。
殿下は私とのダンスの許しを願い出られる度に薄ら笑いで頷いていたのだが、私にダンスを申し込んだオルレア伯……つい最近爵位を受け継いだそうだ……にも同じ笑顔を向け私達を送り出した。
「遅れて来てみればガーデンパーティーで陛下がお連れになっていた『従姉妹』だという御令嬢の話題で持ち切りでしたので、お目にかかるのを楽しみにしていたのです」
オルレア伯が私の手を取りながら囁いてきたので、私はチラッと横目で見上げてにっこり笑って見せた。
「実はそれとは別に、貴女に関して気になる事を耳にしましてね。無性に気に掛かりどうしても貴女と話がしたかった」
「わたくしの事、ですか?」
「えぇ、そうです。今の貴女は鳥籠に囚われた小鳥のようだ、とね」
……あれ?……アレレ??
今私、おかしなことを言われてない?気のせいじゃないよね?何なのこの人?
「何が仰りたいのかしら?」
「貴女はファビアン殿下の側室になる為に侯爵家の養女になったのに、殿下の気まぐれでその話が宙に浮いてしまっておられるようですね」
「何が仰りたいのかしら?」
私は満面の笑みと共にもう一度聞き返した。たった今顔を合わせたばかりなのに不躾も良いところじゃないか!た、確かに事実ですけれど!
でも今会ったばかりの人に言われる筋合いなんてないわよ。この人は市井育ちだからって何を言っても構わないとばかりに、相手の心を傷付けて楽しもうとする失礼な人達と同類なのかしら?残念ですが記憶持ちの私は自分の状況を客観的に見てしまうから、侮辱されても悔しくもないし傷付きもしません。あら私、とっても悪意ある言葉を投げつけられているわねって感心し、心ない事を言う人間だなぁって軽蔑するだけだけれどね。お生憎様ですわ。
オルレア伯は琥珀色の瞳をすうっと細め黙って私をじっと見つめる。その時ワルツの演奏と共に人々が踊り出し、私も彼にリードされて踊り始めた。
「自由を奪われたまま愛される事もなく月日だけを重ねて行く。貴女はその運命を甘んじて受け入れるのでしょうか?」
「閣下とは先程初めてお目にかかりました。このような踏み込んだ話をされる間柄だとは思えませんが?」
「わたしとてお会いするまではこのような事を言うつもりなどありませんでした。しかし貴女に会って……貴女に微笑みかけられ貴女の瞳に見つめられ、どうしても言わずにはいられないのです。虐げられている貴女を見て見ぬ振りなど出来ない!」
ちょっと待て!何だか一人で物凄い勢いで勝手に盛り上がっているけど、ちょっと待て!
この人、何言ってるの?笑ったのも目が合ったのも、ご挨拶したんだから当然だよ?思い込み激しすぎません?
「いや特に虐げられているという事実はないかと思われますが……」
「貴女は現実から目を背けようとしているのです。辛さのあまり全てを無かった事にしようと」
オルレア伯がグッと顔を寄せてきた。今までの五割増しに声が熱を持ち甘い囁きになっている。ついでに背中に回された腕に力を入れて引き寄せられ、身体が密着した。ちょっとこれ、セクハラーっ!
「このまま貴女を攫って行きたい。おわかりでしょう?わたしは貴女に恋をしてしまった。貴女をファビアン殿下の元から救い出したいのです。お願いだ、どうかわたしについてきておくれ」
「……はい?」
わかるかっ!何だこの急展開は!殿下のアレも目茶苦茶だけど、これは酷い、かなり酷い。ちょっと君、ぐるっと一周してきてみなさいよ。私よりも綺麗なお嬢さんが山盛りいっぱい見つかって、ピピルちゃんが如何に地味で平凡かって事に気がつきますって。恋する対象なら他にいくらでもいるから!
「閣下、落ち着いて下さいませ」
「愛しい貴女を胸に抱いてどうして落ち着いてなどいられましょう?今なら誰にも気付かれません。さぁ、わたしの手を取ってここをそっと抜け出すのです。行きましょう、わたしと共に」
誘うな!倒置法で!!
「直ぐに誰かしらが気が付きますし、そんなことをしたら外交問題になりかねません。そもそも生憎わたくしには閣下と逃げる利点は思い当たりませんから!」
言ってやった!普通に諭してもダメだわこの人。私如きで外交問題……にまでなるかは謎だけど。
「本当は自分でもわかっているのでしょう?殿下の心はもう貴女から離れてしまっているのです。貴女は満ち足りない日々に虚しさを募らせるばかりでここに居ても得る物など何もない。わたしと共に歩んでくれるのならわたしは全てを貴女に捧げましょう」
「満ち足りない程ではなくてですね、家族には愛されておりますし仕事も順調で、閣下が仰るほど虚しい日々というわけではないんじゃないかしらぁ?」
「わたしは殿下からの冷たい仕打ちに打ちひしがれ涙に暮れる貴女を見捨てるなんてできないんだ!」
「いえ、別に殿下はこれといった冷たい仕打ちはなさいませんが。わたくしも色々忙しくて涙に暮れる暇もそうそう無い……というか涙に暮れるような事態にもなっておりませんからどうかご心配召されるな」
うぅ、混乱と動揺で言葉がおかしくなってきたよ。
「ここで貴女がわたしの腕に抱かれている間にも、殿下は貴女以外の女性の手を取り楽しい時を過ごしているのではないですか?」
「わたくしも閣下とご一緒しているのですから構わないと思うんですけれどぉ?それから腕に抱かれてって表現はちょっとどうかしら?語弊が有りすぎだとお思いになりませんか?ダンスをしたら大抵こういう体勢になりますよねぇ?」
「殿下は貴女というものがありながら、他の誰かに跪いてその手に口づけをし求愛をするのですよ。ダメだ、いつか貴女の心は壊れてしまう」
「いやいや、正妃様が決まったらおめでたいに尽きますわ。その暁には心の底からの万歳三唱を捧げることはあっても壊れることなんてありえませんから」
これ無理!この人には何を言っても通じない。これ以上押し問答を続けても拗れるばかりか更なる勘違いを引き起こす予感しかない。私は思いっきり身体を引いて身体の密着を外し真顔でオルレア伯を見上げた。
「わたくしは決して閣下と逃げたりは致しません。致しませんから!」
オルレア伯は私に真顔できっぱりと告げられて、目を見開き茫然とした。これだけやり取りして今やっとこの状態なんて、こっちが茫然としちゃうよ。この会話で私がなびくって本気で思ったの?この人どんだけ自信過剰だよ!
「わたしに付いてきては下さらない、そう仰るのですか?」
眉尻を下げて切なそうに言葉を搾り出すオルレア伯に高速で尚且つ大振りに何度も頷いて見せる。オルレア伯は信じられないとでも言うように更に目を見開いたあと、辛そうな表情を浮かべ顔を背けた。奥歯を噛み締めたのか、頬に力が込められているのが見て取れた。
もうすぐワルツが終わる。踊りながら随分移動してしまったらしく、殿下のいる方を見たけれど人垣の向こうで姿が見えなくなっていた。この人のお相手で疲れてしまったから、戻ったらちょっとだけ休ませて欲しい……そんなことをボンヤリ考えていたら、突然オルレア伯が胸を押さえながらしな垂れかかってきた。
「え?え?ちょっと閣下?どうなさいました??」
「む、胸が……急……に……。」
「胸ですか?」
「く……苦しい!」
肩を大きく上下させながら息も絶え絶えに答えるオルレア伯は、今にも倒れてしまいそうだった。
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