第30話 カーティスは語る ②


 「お二人はぎりぎりの所で逃げ出すことができました。ファーディナンド殿下が本に細工をし危険を知らせて下さったのだそうです。しかし国境の峠を三日間さ迷い、ケネス様が率いる捜索隊に保護された時には疲労と飢えと寒さで命が危ぶまれた程でした。それでもお二人は帰ってきて下さった」


 唇を引き結び目を閉じたカーティスさんの頬を一筋の涙が濡らす。私は思わず立ち上がるとカーティスさんの横に膝を付き、カーティスさんの頬にハンカチを押し当てた。


 「カーティスさんはお二人の事をずっと案じて下さっていたのですね」


 私はカーティスさんの右手を取りハンカチを握らせて自分の掌で包み込んだ。カーティスさんの手は温かく、まるでカーティスさんの心そのものを表しているかのようだった。


 「お辛い日々だと判っていながら非力なわたくしに出来ることといえば案ずるだけでした」


 きっとカーティスさんはそんな自分を責め続けて来たのだろう。

 

 「命懸けで戻って来て下さった殿下を、今度こそお守りしたいと思いましてな。もう引退すべき年齢になっているにも関わらず、厚かましくも殿下付きの侍従に志願しました。殿下もジェフリー様も非常に優秀です。ファーディナンド殿下の補佐として公務に携わるようになると、その能力の高さには目を瞠るばかりでした。そして漸く、漸くです。先王陛下がファビアン殿下をお認めになった。それによってハイドナー伯爵もジェフリー様に一目おかれるようになりました。しかしそれでもわたくしはどうにも不安が拭い切れなかったのです。もう少し、もう少しだけお側で見守りたいと思ううち、10年も居座ることになってしまいました」

 「不安、ですか?」

 「殿下は頑なに人を寄せつけようとなさらない。特にシルセウスでの経験で殿下は人を信用する事ができなくなってしまわれた。自分の殻に閉じこもり高い塀を張り巡らせておいでです」

 

 確かにその通りだ。与えられるはずの愛情の代わりに実の父親から殺したいほどの憎しみを受けた寂しく残酷な幼い日々、そして裏切りと死の恐怖に晒されながら息を殺すような毎日を過ごした思春期。それが殿下から大切な物を奪ってしまったのは間違いない。


 「殿下がピピル様を望まれた時、わたくしは希望の光が見えたように思いました。漸く殿下も誰かに心を許せるようになったのではないかと……とはいえ殿下があの調子ですからどうなるものやらとやきもき致しましたが、ピピル様、貴女は少しずつではありますが、確実に殿下の凍りついた心を溶かしておいでなのですよ」

 「でもお気づきでしょう?殿下は愛情からわたくしを望まれたのではありませんわ。それに……殿下はわたくしが居ることで苦しまれているように見えるのです」

 「ピピル様。申し訳ありませんが、殿下が何を思われどのような決意をされたのかはわたくしにもわかりかねます。ご自分で側室に望んでいながらあの殿下のご様子には違和感しか感じられないのは否定致しません。しかし、殿下のお気持ちは今では大きく変わっておられる。恐らくご自分でも思いもよらなかった事に戸惑われているのでしょう」

 

 殿下の気持ちの変化?ダメだ、私には何処にも思い当たらない。離宮に来るようになって数ヶ月が過ぎたけれど、殿下は相変わらずあんなにも不機嫌で刺々しいのに。


 「ピピル様は殿下が考えられていたような方ではなかったのでございましょう。実は我々も相当驚きましたからな。あの殿下を前にして怖がるどころかやり返すわからかうわ。我が目を疑いました」

 「……期待外れでがっかりなさいまして?」

 「とんでもない。期待外れだから良かったのです。しくしく泣いてばかりいる方だとしたらとうの昔に破談にしていらしたはずです」

 

 え?そうなの?カーティスさん、早く言ってよ!完全に裏目に出てるじゃない。それじゃ泣く?今からキャラ変してメソメソ泣いてみる?


 「生憎と殿下も馬鹿ではございませんよ。今から泣いても無駄ですからな」


 うぅ、カーティスさんにジトッと睨まれてしまいましたわ。


 私はコソッとカーティスさんから手を離し、そそくさと元の場所に戻って真面目な顔で座った。カーティスさんも心得たとばかりにコホンと一つ咳ばらいをして仕切り直す。


 でも、やっぱり私は笑い出してしまった。それはもう涙を流すくらいの大笑いで。カーティスさんは呆れたように私を眺め、私が握らせたハンカチを突き出してきたので遠慮なく受け取って目元を拭った。


 「カーティスさんは狡いです。わたくしに同情させようとしてこんな話をされたのでしょう?」

 「……気付かれていましたか。お人よしのピピル様に付け込もうと致しましてな」


 カーティスさん、楽しそうにカラカラ笑っちゃって……開き直り過ぎですよ。


 むん、と口を尖らせた私に、カーティスさんは眉尻を下げてすまなそうな顔をした。


 「勝手なのは重々承知しております。殿下は理不尽にピピル様から親しんだ暮らしも将来の夢も奪ってしまわれた。ピピル様はさぞや恨まれている事でしょう。それでもわたくしは、殿下の過去を思うとどうにかして暗闇から救い出して差し上げたい、どうしてもピピル様が必要なのです。あの方は自分を守るために身に付けた冷たい仮面の下に、純粋で美しい気持ちを隠していらっしゃるのです」

 「カーティスさんを見ていればわかります。本当に殿下を大切に思っていらっしゃいますもの。殿下がただの冷酷非情な方ならカーティスさんがそんなにも気に掛けられるはずがありませんよね?」

 

 カーティスさんはニンマリと笑った。してやったりと思ってやいませんか?


 「ピピル様、殿下は案外『いいヤツ』なのですよ。わたくしの見込んだピピル様が『いいヤツ』と恋に落ちて下されば有り難いのですがなぁ」

 「それは無理です。恋するような『いいヤツ』とはちょっと違いますもの。冷たくされるほど心引かれるって人も確かにいるみたいですが、残念ながらわたくしにはその気持ちはわかりかねますから」


 ほらやっぱりね。私、俺様男子はタイプじゃないのよ。ごめんね、カーティスさん。きっぱりと否定されたからって、お願いだからそんな風にしょんぼりと眉尻を下げないで。


 「それでも少しくらいは殿下の事をわかって頂けましたかなぁ?」

 「えぇ、少しだけね」

  

 これで殿下の事を全て理解できたたとは思わない。人間はそんなに単純ではないもの。勿論殿下が私にした事を許す気持ちも無い。


 「やれやれ、あの意気地なしにも困ったものですが、こちらの鈍感娘も前途多難ですなぁ」


 意気地なしに鈍感娘だと?なんだそりゃ?


 ムッとしてカーティスさんを見たけれど、カーティスさんはお構いなしにカラカラ笑うだけだった。

 

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