第29話 カーティスは語る ①
アルとお茶を飲んでいたらうとうとしてしまった。目を開けるとアルはもう部屋に居なかったから外に出たのだろう。アルくんたらご丁寧に肩まですっぽりとひざ掛けで包んでくれていた。お陰で寝覚が良くて頭がスッキリしましたわ。
元気も回復したしそろそろ屋敷に帰ろうかと支度を始めた頃、私室に顔を見せたのはカーティスさんだった。茶会では口に出来なかっただろうからと、横目で見るだけだったお菓子がどっさり詰められた篭の手土産付きだ。あぁ、だからカーティスさんて大好き。早速紅茶を煎れて振る舞うとカーティスさんは大喜びしてくれた。
「ジェフリー様に聞いてはおりましたがこれはかなりの腕前だ。感心致しました。それにピピル様、今日の貴女は本当にご立派でした。陛下のパートナーを完璧に務められ、このカーティスも鼻が高うございましたぞ」
「立派だなんてとんでもありません。こんなに未熟なわたくしが陛下のお供をするなんて、力不足も良いところでしたわ。きっと不満に思われた方も沢山いらしたはずです」
カーティスさんは静かに首を振り優しく私に笑いかけながら言い聞かせるように語った。
「ピピル様、力不足であったならば陛下は貴女を隣に立たせたり致しません。誰あろう陛下ご自身が貴女を選ばれたのですよ。ピピル様はどうも自己評価が低くていけませんな」
「でもね、そもそもわたくしがここに居る事自体がおかしいのですわ。平凡な町娘が側室候補だなんて、身分不相応にも程がありますもの。容姿だってあんなに美しい方の横に並べば見劣りするどころではないですし。殿下は早急に正妃様を決められるべきです。殿下に相応しい方をね」
カーティスさんは咎めるように私をじっと見た。私が首を傾げると気まずそうにくしゃりと目尻にシワを寄せて何時ものように優しく笑い、ゆるゆると頭を振った。
「失礼しました。正論を言われたピピル様を責めるなど筋違いも甚だしいですな。しかしピピル様が殿下に相応しくないなどと、そんな事は決してございません。いや、ピピル様こそが殿下にとって必要な方なのですよ」
「殿下はそんな風に思われていませんわ」
私は意識的に笑顔を浮かべたのだけれど、やっぱりカーティスさんは顔をしかめて小さく溜息をつく。それからまたゆるゆると首を振り眉をクイッと持ち上げて上目遣いで私を見た。
「ピピル様、ピピル様は殿下の事がお嫌いでしょうか?」
「え?」
流石は侍従長。普通なら『好きか?』と聞くだろうに『嫌いか?』とは。我々の関係性を良くわかっていらっしゃるわ。
「そうですね……それが、どうも自分でもわからなくなりまして……」
「わからなくなった、ですか?」
「はい。わからないんです。わたくしは否応なしにこの状況に追い込まれたのに、殿下にどのような態度をとられているかカーティスさんは良くご存知でしょう?勿論初めは本当に不愉快で失礼で大嫌いだと思いましたわ。でも……どういう訳か少しずつそれには何かしらの理由がある気がして来て、単純に嫌な人だと決め付けるのもどうなのかなと」
カーティスさんはカラカラと声を上げて笑った。大層な嫌われようだったのですなあ、なんて呟きながら目尻を下げ、楽しそうに肩を揺らしている。
「ピピル様、お願いがございます。一つわたくしの話をお聞き下さいますかな?」
「お話、ですか?」
「はい、何時かピピル様のお耳にと願っておりましたが、なかなかその機会がなかったのです」
私は首を傾げぱちぱちと数回瞬きをしてから頷いた。
「殿下とジェフリー様が共にシルセウスに留学されていらしたのはご存知ですかな?」
「いえ、殿下が留学されたのは伺っておりましたが、ハイドナー様がご一緒されていたのは存じませんでした」
にこにこしていたカーティスさんがふっと顔を陰らせた。口を引き結び眉間を寄せてじっと黙っていたが、私と目が合うと再び笑顔を浮かべた。でもそれは、とても悲しく切ないものだった。
「お二人は留学生という名を借りた人質だったのですよ」
*********
むせび泣くエルドレッドが腕に抱くクリスティーナは眠っているようだった。しかし、あまりにも白い血の気を失ったその顔色は、クリスティーナがもう二度と目覚めない事を物語っており、声を枯らして妻の名を呼び続けるエルドレッドの姿は周りの者達の胸を締め付けた。
やがてエルドレッドはクリスティーナを横たえ立ち上がると、王子は何処かと尋ねた。あの時カーティスは気がつくべきだったのだ。最愛の者を亡くしたエルドレッドの胸に生まれてしまった恐ろしい狂気に。
王子を抱いて乳母のフェリシアが入ってくると、エルドレッドはゆっくりと歩み寄りその顔を覗き込んだ。生まれた時のファーディナンドとよく似ている赤子は髪の色もそっくりだった。そしてそれはクリスティーナの髪の色でもあった。
「瞳の色は見えたか?」
「はい、お眠りになる前に大きく目をお開けになりました。それは美しい水色でございました」
「そうか、クリスティーナの瞳の色か……」
そう言って手を伸ばしたエルドレッドは王子を抱こうとしているのだと誰もが思った。ただフェリシアだけが王の狂気を感じ取り、素早く身を翻し王子を抱えてうずくまる。エルドレッドは王子を奪い取ろうとフェリシアの肩を掴んだ。目の前の怒りに我を忘れた主の姿に呆然としていたカーティスは『なりません』と叫ぶフェリシアの声に弾かれるようにエルドレッドに駆け寄って羽交い締めにした。
「陛下!何をなさいますか!お止め下さい!」
「離せカーティス、クリスティーナの命を奪った憎い赤子など死ねば良い!クリスティーナの敵を討つのだ、邪魔をするなっ!」
カーティスは必死にエルドレッドを抑え、その隙にフェリシアは泣きながら王子を抱いて逃げ出した。大きな音を立ててドアが閉まるとエルドレッドは崩れ落ちるように両膝を付き再びむせび泣いた。
「もう子は要らぬと、お前だけが居てくれればそれで良いと言ったではないか!クリスティーナ、何故わたしを信じてくれなかった……」
**********
エルドレッドはそれ以来一度も離宮に足を向けることは無く、王子の様子を気にする素振りも見せなかった。それどころか王子の名付けすらもせず、王子はフェリシアによって亡き王妃クリスティーナの望み通りファビアンと名付けられた。エルドレッドはクリスティーナを愛していた。クリスティーナもまたエルドレッドを深く愛していらしたからこそ命懸けでファビアンを産んだのだが、彼女が愛の証だと信じたファビアンは、何時までもエルドレッドにとって愛しい妻の命を奪った憎い存在でしかなかったようだ。ファビアンはエルドレッドから父親としての言葉も行動も何も与えられることがないまま、乳兄弟のジェフリーと共に離宮で隠されるように過ごしていた。
それでもフェリシアが生きている間は良かった。フェリシアと侍女達に守られて二人は静かに穏やかに暮らしていられたから。しかしフェリシアが亡くなるとジェフリーは伯爵家に戻され、ファビアンは優秀だが冷酷で厳しい養育係から監視されるような毎日を送ることになった。
エルドレッドの侍従であったカーティスはファビアンの事が気掛かりでならず度々離宮に足を運んでいた。そんなある日、カーティスが離宮を訪ねるとファビアンの姿が部屋にない。探し回って漸く見付けたのはクリスティーナが遺したピアノの前だった。
ファビアンはその環境故なのか感情をあらわにする事のない子どもだった。我が儘も言わず声を荒げる事もないが、楽しげな笑い声を上げる事もない。ただ冷たく悲しげな表情だけを浮かべている。そんなファビアンが珍しくハラハラと涙を流し泣きじゃくっていた。驚いたカーティスが訳を聞くと、養育係からピアノを弾くことを禁じられたという。
「陛下よりの指示でございます。音楽にかまけている時間をもっと重要な勉学に充てるようにとの仰せです」
養育係の冷ややかな言葉にカーティスは唇を噛んだ。
ファビアンは優秀で何でも器用に熟した。そしてクリスティーナ譲りの音楽の才能も持っており、ピアノに勤しむ時間はこの寂しい少年の数少ない楽しみだったのだ。しかしエルドレッドは無情にもピアノに鍵をかけるように命じた。恐らくエルドレッドはファビアンがクリスティーナから才能を受け継いだのが許せないのだろう。そして涙を拭ったファビアンは父に逆らおうとはせず、もう二度とピアノに近付かなくなった。
シルセウスから王子を留学させるようにと迫られたのはその頃だった。ここセティルストリアと東側の大国であるドレッセン、そして複数の小国に囲まれたシルセウスは、小国ながらもかつては鉱物資源が豊富で豊かな国だったが、それも採り尽くされ急速に国力が弱まり侵略の恐怖に晒されていた。そこで留学と称して周辺国から王族の子弟を呼び寄せ、迂闊な行動をとらぬよう牽制したのだ。足並みを揃えなければ新しい火種になることから各国は渋々それに従うしかない。豊かだった頃の名残で学問のレベルは高かったが、あくまでもそれは人質以外の何者でもなかった。
エルドレッドは迷いも躊躇いもなく12歳だった末の王子であるファビアンを選んだ。王太子のファーデイナンドは猛反対し考え直すように懇願したが、エルドレッドが聞き入れる事は無かった。そこでファーディナンドは苦汁の決断をする。せめてファビアンが一人きりにならぬようにとジェフリーを訪ね、ファビアンと共にシルセウスに渡ってくれないかと頼んだのだ。
ジェフリーはあっさりそれを引き受けた。彼もまた父親にとって存在する価値のない息子であり、伯爵家に戻されてからは虚無感しか感じられなくなっていたのだ。ジェフリーは望まれぬ自分を産み逃げるように離宮に入った母を思う事もないのか、その死を悼む素振りも見せなかった父の態度にも絶望していた。必要とされない自分がファビアンの支えになれるならそれで良い、ジェフリーはそう思ったのだ。そして二人の少年達はひっそりと国を後にした。
北に位置し標高の高いシルセウスは寒い国だ。姿は見えずとも常に監視されている気配を感じ息が詰まるような日々。送られて来る荷物は全て調べられ中を改めるために切り刻まれる事すらあり、送られた手紙も送る手紙も検閲を受けなければならない。そんなまるで囚人のような扱いを彼らはじっと堪えた。それよりも辛かったのは常に纏わり付く不安だった。何よりも恐ろしかったのは二人を顧みずセティルストリアがシルセウスに進攻する事だ。二人はエルドレッドなら好機と読めば躊躇することなく攻め込むつもりだと判っていた。いや、二人は初めからそうするつもりで油断させる為に送り込まれたに過ぎなかった。
一度も祖国に戻ることなく四年の歳月が流れ二人は16歳になった。東北のハイドレンドラや東の大国ドレッセンがシルセウスに進攻する準備を始めている、そんな噂がまことしやかに囁かれていたものの、突如シルセウスに攻め込んだのは母国のセティルストリアであった。
それは彼らが国に、そして国王に見捨てられた事を意味していたのだった。
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