第28話 アルの独り言
ガーデンパーティーの後、
離宮で休んでから屋敷に戻ることになったピピル様は私室にお連れするとソファにぐったりと上半身を横たえてしまった。
「おやおやピピル様、随分お疲れなんですね」
「だってね、アル。今日何回カーテシーしたかわからないくらいなの。あれじゃまるで訓練だわ」
なるほど。陛下にエスコートされ『従姉妹』として紹介される度に優雅に膝を折っていたけれど、あれだけ繰り返せば筋トレしているような物か。疲れるのも無理ないな。
「お茶飲んでひと休みしたい。でも少しだけ休憩しないと動けないな。そうしたらお茶を入れるからアルも一緒に飲んでね」
「だから専属のメイドを付ければ良いんです。いつまで先延ばしにしているんですか?自分でお茶を煎れる御令嬢なんて聞いたことが無いですよ」
「だって居なくても困らないんだもん。居たら良いなって思うのは後ろのボタンの開け閉めして欲しい時くらい。誰かお願いできますかーって手が空いている人を探すのがちょっとだけめんどくさいの」
「またそういう事を」
「それにメイドがいつも一緒だとこんな風にダラけられないし、アルとゆっくりお茶も飲めなくなるし」
「フフフ、それは困りますね」
ピピル様はよし、と小さい声で呟くとムクッと立ち上がり、キッチンに入って行った。
殿下は人形と変わらないと言うが……あれは殿下が悪い。散々振り回された挙げ句冷たくされたんじゃ、ピピル様が心を開こうとしないのも無理ないじゃないか。この子は本来天真爛漫で好奇心が強くてついでに物凄い悪戯っ子なんだ。表情をクルクル変える生き生きとした本当の姿を見られないなんて、ちょっと気の毒にすらなる。まぁ最近はそれとなく殿下やジェフリー様をからかって面白がる事もあるから、悪戯っ子なのはバレているだろうけれど。
あ、それに普段はお淑やかな御令嬢として振る舞ってはいるけれど、実はとんでもないお転婆娘だ。お陰で離宮の庭を散歩する度、命が縮む思いをさせられる。人目が無いのを良いことに、運動不足解消だと言ってこの庭を栗鼠みたいにぴょんぴょん跳び回るんだから。
よりにもよってこの庭は段差が多い。そこらじゅうにあるちょっとした階段をご丁寧にいちいち飛び降りるのは、足の裏に適度な刺激を与える為だと、
『こういう事をしておかないと骨がスカスカになったり貧血を起こしたりするのよ』
なんて大真面目に言われたら駄目とも言えなくなるじゃないか。
庭だけじゃない。図書館がまた曲物だ。天井まである本棚の一番上、ピピル様の欲しがる本は大体そんな所に並んでいるのだけれど、脚立だろうが梯子だろうがひょいひょい登って取りに行ってしまうのだから。落ちるんじゃないか……というよりも、誰かに見つかったらって心配でいつもヒヤヒヤさせられるんだ。
これじゃ護衛じゃなくて見張りだ、そう文句を言ったら『上手いこと言うわね』と言ってカラカラと笑って誤魔化されてしまった。
そうかと思えば妙に落ち着いて大人っぽい時もある。五つも歳下なのにまるでずっと年上の姉さんみたいな感じがするのはなぜだろう?
殿下にもジェフリー様にも目を合わせようとしないからあの二人は知らないだろうが、ピピル様の瞳はとても魅力的だ。本人は平凡だの地味だのと言って気に入らないみたいだけれど、あの深い茶色の瞳だからこそ光を受けた時にキラキラと輝くのに。おまけにいつも目がウルウルしているもんだから尚更だ。茶色の巻き毛だって柔らかそうでフワフワしていて思わず触りたくなるし、色白で滑らかな肌に整った顔立ちをして何処に不足があるんだ?ピピル様が言う目を瞠るような美しい人達ってのは、派手なドレスに派手な化粧で迫力があるだけだと思うけど。確かにピピル様とは種類は違うだろうが、男として言わせてもらえば少しもは負けてない。過保護な侯爵夫妻が外に出したがらないのは正解だと思う。
「お待たせしました。さぁどうぞ」
ピピル様が煎れるお茶は今日も旨い。お湯の温度を見極めるのがコツだと言って自分でお湯を沸かすのには驚いたけれど、瞬きもしないでポットを見張ってる様子には笑いを堪えるのに苦労させれらる。本人は至って真剣だから笑うと怒られるんだ。
「陛下は大満足だったようですね」
「それなら良いけれど。あんな荷の重いこと、もう二度とやりたくないわ」
ピピル様は顔をしかめて指でこめかみをクルクルと撫でた。
「そうですか?苦労なんてしているようには見えませんでしたよ?」
「とんでもない!大変だったんだから。今日は『従姉妹』として連れて行かれたし、あんなに準備して頭にギュウギュウ知識を詰め込んだけれどそれをどう利用するかがね。陛下が『未婚の従姉妹の小娘』をエスコートするのは場が和むから……つまり和ませるのが私のお仕事って事でしょう?多分お客様はね、自国の事を知ってくれているのは嬉しいの。でも詳しい事まで知ってたら興ざめするのよ。それは自分で説明して感心させたいって思っているからね。だから頃合いを見極めて『その先は知りません』って顔をするでしょ。で、説明されたら『初めて聞いて感心しちゃいました』って振りをするとそりゃあ満足そうにしてくれるんだけれど、おばかさんでもなく小賢しくしくもなく、この加減が難しかったわ」
疲れた様子でため息をつきクッキーをかじっているピピル様の直感は、満足そうな陛下の様子から察するにきっと正しかったはずだ。そのせいでこの先もっとややこしい事に巻き込まれるんじゃないかと心配になるけど。
ピピル様は自分の立ち位置や自分が何をするべきかって事に人一倍敏感らしい。自分に求められていることは何なのか、その為にどう動くか、どう振る舞うかを常に見極めようとしているし、必要だと判断したら納得が行くまでとことん頑張る。
侯爵家に来てからずっとそうやって頑張り続けて来たんだろうが、ピピル様が何を原動力にして努力しているのかはさっぱりわからない。どう見たってありきたりな『殿下の為に』っていう恋心からではないからなぁ。
「まだ夜会が残っているなんて……辛いなぁ」
「ダンスの申し込みは沢山あると思いますよ。今日は単なる『陛下の従姉妹』として紹介されていますからね。賓客と言っても不埒な輩もいます。ダンスの後は何処かに連れて行かれないよう気をつけて下さいね。必ず殿下の側に戻ること。殿下が見つからなければジェフリー様の側に。なるべく一人にならない。わかりましたね」
「テラスはもう懲り懲りよ。ハイドナー様に物凄く叱られたんだから」
「テラスだけじゃない、休憩室もですよ」
うんざりした顔をしているところを見ると、ジェフリー様からもかなりしつこく言われているんだろう。前回の事以降あの人も相当過保護になっていて、今日だってちょっとでも馴れ馴れしいんじゃないか?って奴がいるとすかさず引き離していたもんな。
殿下でさえも、あの時は流石に動揺していた。夜会を抜けて執務室に居た殿下は、伝令を聞くと返事もせずに執務室を飛び出したらしい。ここに来た時にはもうピピル様も落ち着いていて、ジェフリー様に説教されているのが廊下まで聞こえていたからそのまま戻ってしまったけど、いつも冷静な殿下が珍しく引き攣った顔をしていた。自分が来たことは言うなって口止めされた時は吹き出しそうになったけどさ。そんな様子を見る限り殿下は憎からず思っているはずなんだけど、一体この子をどうするつもりなんだ?
元々結婚に興味なんて無かったとは言うけれど。
今は刺繍の仕事が軌道に乗り出して楽しいらしいが、いずれ幸せな結婚に憧れを持つようになってもおかしくない。でもピピル様から、まだたった18のこの子からそんな当たり前の幸せを奪うなんて、殿下はどうしてそんなにも残酷な事をするんだろうか?
疲れたのか半分だけ目を閉じてうとうとしている寝顔を見ると笑えてきた。どうも目が大きいせいで眠りが浅いうちはこうなるらしい。こんな風に歳よりも幼く見える時にはこの子の背負った運命のあまりの重さに切なくなる。
『アルは私の癒しなの』
ピピル様はいつもそう言って微笑んでくれる。憧れや夢と一緒に何時かこの可愛らしい笑顔も無くしてしまうのだろうか?
せめて今はこの笑顔を精一杯守りたい。この子に笑いかけられる度に感じる胸の痛みを隠して、この子が白いムクムクの小型犬みたいだっていう顔で笑い返しながら、強く強くそう思っている。
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