第26話 市庁舎襲撃


 その日私は慌てた様子でお帰りになったお義父様に書斎に呼び出された。差し入れをお持ちする以外の用事でここに来たのなんて初めての事だったし、厳めしいお義父様のお顔が今日は五割増しで厳つくてちょっと恐い。


 もしかしてお義父様、何か怒っていらっしゃる?何か粗相をしちゃったかしら?私これから叱られちゃうの?って不安になったけれど、お義父様が語られたのは想像もしていなかった話だった。


 「落ち着いて聞きなさい。お前の父君の勤務先の市庁舎に刃物を持った暴漢が押し入った。死者はいないが複数の負傷者が出たそうだ」


 落ち着けと言われてはいたが、背中が凍りついたように冷たく全身が粟立つような不快感に包まれた。頭の奥でキーンという音が鳴り響き、唇がワナワナ震えるのが止められず思わず指でおさえる。


 「大丈夫、父君と義兄殿はその場にはおらずご無事だ」


 返事をしようとしたけれど声にならなかったので黙って頷いた。そこで初めて心臓が痛いほどにドキドキしていることに気付いたのたが、息が苦しくて深呼吸を繰り返し何気なく瞬きをしたらポタポタと涙がこぼれ落ちて自分でも焦ってしまう。お義父様は慌てて私をソファに座らせてから、執事長にお茶をいれるように指示を出した。


 「あぁあぁピピル、驚かせたね。お願いだ泣かないでおくれ」


 眉毛が垂れ下がってしまったお義父様がオロオロしている。早く涙を止めなきゃと焦れば焦るほど逆に涙が溢れてしまい、ついにはしゃくりあげてオイオイ泣いて、すっかりお義父様を困らせてしまった。恐縮です。


 やっと泣き止んだ私の前には有名製菓店のチョコレートやメレンゲや果物の砂糖漬けなんかの高級菓子がずらっと並んでいた。やだお義父様ったら、甘いもの好きだからって書斎にこんなに沢山隠し持っていらしたのね。お義母様に密告しちゃおうかな?


 「ほら、どれでも好きなだけおあがり」


 相変わらずオロオロしているお義父様の宥め方の対象年齢は完全に幼児だけれど、そんなお義父様が健気で可愛いからやっぱり秘密にしておこう。


 「お義父様、お気遣いありがとうございます。本当は私にはお話になってはいけなかったのですよね」

 「あぁ、養子縁組の条件だからね。でも大きな騒ぎになっているしいきなりお前の耳に入ったらと思うと……こっそり二人の無事を知らせるくらいはどうという事もあるまい」

 「……お義父様が優しすぎる……」


 再び私の涙腺が決壊し、私の前の高級菓子は種類を増したのであった。


 やっとの思いで涙を止め、高級菓子と美味しいお茶で落ち着いた私はお義父様に事件の概要を聞いてみた。


 奇声と笑い声をあげながら市庁舎のロビーに入って来た一人の男の手には大型のナイフが握られていた。悲鳴をあげ、逃げ惑う人々を追いかけながら誰彼構わずナイフを振りかざしていったが、彼の動きは緩慢で足元はふらついており多くの人は逃げることができた。お気の毒にも被害にあわれた人達はいたけれど、あの混雑したロビーでその人数の被害で済んだのは不幸中の幸と言っても良いくらいだという。


 奇声、足元のふらつき……黙り込む私に向かってお義父様が頷く。


 「……やはりお前も似ていると思うかね」

 「はい、アンドリース殿下のあの時のご様子と、一致する部分が有るかと」

 「実は今ある薬物が出回っているのではないかと懸念されているのだが、まだそれがどのような物なのか、何処からどのルートを使って入ってくるのか全く判っていない」

 「アンドリース殿下にも薬物中毒の疑いが?」

 「そうだな。陛下の命でケネスが内々に調べているが、側近のラスターという男が邪魔で中々捗らないらしい。相手は王族だ。一切申し開きの出来ないような証拠を揃えんと手が出せないからな」


 側近って、アンドリース殿下が深酒をしたって言ったあの人の事ね。確かにあの人相手だとしっぽを掴むのは難しそうだ。


 「それからもう一つ。売買にグラントリー殿下とマライア様が絡んでいる可能性がある。かつては他国の事など少しの興味も無かったのに、グラントリー殿下は二年ほど前からやけに頻繁に国を出られるようになった。それもこれといった理由もなくだ。そしてそれは薬物が出回り始めた時期と重なる。大した接点が無かったマライア様が頻繁にアンドリース殿下を訪ねられるようになったのもその頃だ」

 「それについてもお義兄様がお調べになっていらっしゃるのですか?」

 「あぁ、そうだ」


 よりによって王族が薬物を売買するなんて。これはよっぽど念には念をいれて調べてからでないと握り潰されて終わりになってしまう。いくら陛下の命でも摘発するには薬物所持のアンドリース殿下よりも更に難しいだろう。


 「でも……グラントリー殿下は薬物を売らなければならないような状況なのですか?」

 「側室がマライア様なら金などいくらあっても足らんな。大体ファビアン殿下のように政務をこなされる訳でもなし、同じ王弟とは言っても実入りは格段に違うのだよ」


 なるほど、王族とはいえお給料制だからね。ファビアン殿下は仕事人間らしいからその分高級取りなのかも知れない。


 マライア様が贅沢って噂、というか陰口は耳にした事がある。お義母様が開く茶会のお客様達はマライア様を良く思っていらっしゃらないものね。デビュー前に男爵家から伯爵家に引き取られてから、お勉強そっちのけで出歩いてお買い物ばかりしていたって話だ。


 それはそうとだ。


 「お義父様、市庁舎の事件はまだしもそのお話は、わたくしの耳に入れても良いのですか?」

 「あぁ、そうするようにとケネスが言ってきた」


 ケネスお義兄様が???どうしてケネスお義兄様?


 「陛下とケネスはマライア様がお前に目を付けている疑いが有ると考えている。初めの夜会の嫌がらせはマライア様の指示だったらしい。あれについてはお前達が上手くやり過ごしたから見逃したんだが。アンドリース殿下の件ではお前がマライア様の名前を聞いているし、ファビアン殿下の誕生日の事も知らなかった訳がない。ただ今回の事件は平民の起こした事でたまたま現場が市庁舎だったんだろう。でなければ父君の居ないロビーで暴れるのは不自然だ。無関係だと考えて良い。我々が案じているのはお前自身の安全なんだ。お前はアンドリース殿下の異変を目の当たりにしている、いわば目撃者であり証人でもあるんだ。何かが起こってからでは遅いからね」

 「……わたくしはマライア様にどうしてそんなに恨まれてしまったのでしょう?思い当たる事は何も無いのです。お会いしたのもテラスの件の後ですし」

 「マライア様は気性の激しい方だからな。大方下らない嫉妬や嫉みだろう。お前が気にすることは無いさ」


 嫉妬ですか……そういうのってされる方にしてみたら意味不明な理由だったりするもんね。きっと考えたところでわからないな。マライア様のお父様は男爵だっていうから平民のくせにに候爵家と養子縁組なんて生意気な……とか思われたかも。不可抗力だけれどそんな理屈も通じないのがあのタイプだからなぁ。


 それよりもだ。私はさっきから引っ掛かっていることについてお義父様に聞いてみた。


 「ところで……ケネスお義兄様はどうしてその事をお調べになっていらっしゃるのですか?」


 お義父様は怪訝な顔で私をじっと見た。


 「どうしてってお前、それがケネスの仕事だろう?ケネスは陛下の筆頭侍官じゃないか」

 「へ?」

 「次の宰相にも内定しているぞ」

 「は?」

 「なんだ、知らなかったのか?」


 ……うそですよね。あの人軽いですよ。候爵家嫡男としてもどうよと思うお気楽さなのに、宰相って……いいの?それでいいの?あんな風に見えて実はお仕事バリバリ出来る優秀な人だったのかな?単なるダンスマニアだと思っていて申し訳ありません。 


 そういえばお義父様、さっきから陛下陛下って言ってるし。言われてみればお義兄様はお義兄様で謁見の間で陛下に口答えしたりウインクしたりやりたい放題だったな~。


 それにしても私、知らなかったとはいえ凄いお宅と養子縁組しちゃったのね。


 「とにかくだ、あの二人が本当に薬物売買に絡んでいるような人間ならば何を仕出かすかわからない。ファビアン殿下がアルバートを護衛に付けたときは大袈裟過ぎるかと思ったが、やはり必要だったようだな。お前が軽率な行動は取らないことは良くわかっているが、これからも注意しておくれ」

 「はい、気をつけます」


 そう返事をしたものの、今までマライア様が仕掛けて来たことはアルがいても避けられないことばかりだった。今できるのはしっかり考えて慎重に動くことだけ。どんな事が降りかかって来ようとも黙ってやられている訳にはいかない。


 私は大きく頷いてと気持ちを引き締めるのだった。


 

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