第25話 カーティスの独り言
わたくしはカーティス・グリーノ。ファビアン殿下の侍従を務めております。
この春より離宮にご側室侯補のピピル様がいらっしゃるようになりました。
ピピル様は……そうですな。人目を引く大輪の薔薇や艶やかな百合、という雰囲気ではございませんが、そよ風に揺れる白いマーガレットのように生き生きとして可憐でお可愛らしい。わたくしに向けて下さる優しげな微笑みのなんと魅力的なことか。長い睫毛に囲まれた瞳が星の如く輝くのです。
ところがです。困ったことに肝心の殿下にはこの笑顔をお見せにならない。それどころか目を合わせることすらなさらない。ジェフリー様にも同様のようですが、まぁあの方の事は別によろしい。それもこれも殿下がお悪いのです。ピピル様に対するあの態度ときたら、相手が殿下でなければ後頭部の一つもひっぱたいておるところです。
対するピピル様はなんと言いますか……大人しそうで控え目に見えましてもこれがなかなかどうして。殿下に対して一歩も引かないお気の強さ。そっちがそうならご勝手にとでも思っていらっしゃるのでございましょう。不機嫌な殿下を前にしてもオロオロすることも愛想を振り撒こうとすることもなさいません。いっそ清々しさすら感じます。
先日の夜会でのトラブルでショックを受けてふさぎ込んでしまわれたピピル様。年若い御令嬢には無理もないことでございましょう。アシュレイド侯爵閣下やケネス様が怒り心頭なのもまたしかり。大広間に残して帰ってしまった殿下もテラスで待たせたジェフリー様もお叱りを受けて当然かと存じます。
殿下がピピル様のお部屋にピアノを移動させるように仰られた時は突然何をと当惑致しましたが、殿下なりにご心配なされ反省もされたのでしょう。ハッキリそう仰れば良いものを素直ではないですな。
侯爵閣下のお話によればピピル様の演奏はなかなかの腕前とか。音楽がお好きな殿下は内心ピアノの音色が聞こえて来ることを楽しみにしていらしたのでしょう。勿論あのお方はそんな素振りなどお見せになりませんが。
ところがです。
気配りと気遣いで出来ているようなピピル様。どうやら殿下の執務に差し障るのではと気にされたようで中々お弾きにならない。今日は、今日こそはと思うものの一向に音色が聞こえて来ない、そうこうするうちに思いがけない事が起こりましたのです。
それは殿下のお誕生の日、例年通り殿下のご意向でお祝いの一切は行いませんでしたが、丁度離宮にいらしていたピピル様がリボンの掛かった包みを抱えてお越しになったのです。
『ピアノのお礼です。わたくしが作った拙い物ですが』
と仰って殿下に渡された包みの中身は、それは精緻な川蝉の刺繍が施されたクッションでございました。ピピル様手ずからお作りになった非常に素晴らしいお品物でございます。それを殿下ときたら憎らしいことに
『どうせどこかで買ってきた物を自分で作ったと言っているんだろう。よくある手口だ』
などど決めつけたのです。それでもその様な意地悪を言われてしくしく泣き出すピピル様ではございません。
『お疑いなら全ての商会にお見せになって確認をなさったらいかがですか?まぁ確認されたところでこれを扱う所など無いはずですけれど。この刺繍の特許はわたくしが取っておりますからわたくし以外に作れませんもの』
とピシャリと申された。ピピル様がそこまで仰るのです。素直に信用なさればよろしいものを、殿下はムキになって王都の全ての商会にこのお品を見せ確認なさったのでございます。
無論ピピル様がご注文されたと云う事実は無く……そればかりかお品を見た者が次々と目を見開き、これはどなたの手によるものかと逆にお尋ねになる始末。その結果ピピル様の元には沢山の商会から作品を販売させて欲しいという依頼が舞い込むようになりまして……離宮にいらしてもせっせと刺繍をなさり一向にピアノの音を聴くことが出来ないという運命の悪戯。ですがこれは全部殿下の自業自得ですな。
そんなある日、ピピル様をお迎えしたわたくしが執務室に戻りましたら殿下がウロウロと歩き回っておいででした。いつも仕事熱心で休憩して頂くにも苦労するほどの殿下が珍しい事もあるものだと思いつつドアを閉めようと致しましたら
『閉めるな!開けておけ!』
という厳しいお声が飛んできたのでございます。ドアを閉めるのは当然のこと、何を苛立ってとおいでなのかと訝しんだのですが、その後もいつになく落ち着きのない殿下は些細なことでカリカリするばかり。時折開け放したドアをボーッと見つめておられます。執務は捗らずジェフリー様とわたくしは八つ当たりのされ通し、とうとう藁をも掴む思いでピピル様のお部屋に駆け込んだのでございました。
白いレースの襟が付いた若草色のワンピースをお召しになり同じ色のリボンを髪に飾られたピピル様。初々しさが引き立って大変良くお似合いです。ソファにお座りになるそのお姿はまるで小枝で羽を休める小鳥のように愛らしい。このカーティス、暫し役目を忘れ見とれてしまいました。
『あら、今日は早いのですね』
と仰るピピル様のお声に我に返り、手元に目をやればそこにあるのはやはり刺繍。
『刺繍でございますか、それは結構。ですがピピル様、よろしければ暫しの間ピアノを弾いては頂けませんか?』
『え?それは別に良いですけれど……』
よろしければ、と言いながらも思わずピピル様に目で縋ってしまう。頼む弾いてくれとその目で語りかけるのを止められないのです。
ピピル様は不思議そうなお顔で刺繍の道具を片付け、書棚に行って楽譜を選ばれました。ジェフリー様にレパートリーを増やすように言われ、直ぐに弾ける曲を何曲も準備してあるというピピル様。あれはお茶会に出られた際に冷やかしで弾かされる時に備えての事と伺っておりますが、こんな役立ち方をするなんてわからないものです。
『それでは弾きますけれど……殿下に煩いって怒られたりしませんか?』
『いやいや、そのようなことは……』
『本当ですか?わたくし知りませんよ?もしも殿下が怒ったらカーティスさんに弾かされたって言いますからね。良いんですね?』
『ですから殿下は怒ったりなどなさいませんから早くなさいませ』
『そうかなぁ?弾きますよ、弾いちゃいますからね。大きい音が出ますからね。すっごく大きい音ですよ。良いんですか?ホントに弾きますよ』
『早くなさいませーーー!』
……思わず目を血走らせながら叫んでしまいました。面目ない。このカーティス、ピピル様にはいつも穏やかな優しいおじいちゃんと思って頂けるように心掛けておりましたのに。
『ピピル様の到着が知らされてから殿下が、あのファビアン殿下がソワソワなさって上の空で仕事にならんのですっ!』
『……はい?』
ぱっちりとした大きな目を更に大きく瞠りキョトンとされるピピル様にわたくしは心の底から懇願致しました。
『その上イライラされて私とジェフリー様に酷い八つ当たりを。我々を助けると思って、ささ、早くピアノを』
'そういえばこの世界って録音技術が無いですものね。生演奏って貴重だったのか。それならそうと言えば良いのに『好きなように弾けばいい』とか言ってるから、こっちも気遣いしたのにな。あの人、あんなにシレッとしているけれど八つ当たりなんてするんだ。結構ちっちゃいオトコなのね。なんか面白いかも'
ゴニョゴニョ呟きながら楽譜を広げるピピル様。このお嬢様はお若いのに妙に独り言が多い気が致します。
『それじゃあ次回からはここに来たら直ぐに1時間演奏するようにしますから、嫌なときは嫌とハッキリ、いいですか?ハッキリキッパリと仰っしゃいますように、殿下にお伝え下さいね』
そう言ってピピル様はピアノを弾き始められました。ホッとしたわたくしは一礼してから部屋を出て参ります。丁寧にドアを全開にして。
**********
『ピピル様……』
間もなく一時間という頃、わたくしは再びピピル様を訪ねました。
『殿下が一時間の延長をご希望されております』
『……はい?』
またしてもキョトンとされるピピル様。
『ですから殿下が更に一時間の延長をと……』
『……殿下のお仕事は?』
『捗っておられます』
'あー、BGMがあった方がのるタイプなんだね。意外だわー。小鳥の鳴き声とかにも苛立つイメージだったわよ。まぁ、こんなことで捗るなら結構な事ですから協力しますよ'
またまたゴニョゴニョ呟きつつ書棚から楽譜を見繕って再び弾きはじめられたピピル様に、わたくしは一時間前同様拝むような面持ちで一礼し、執務室に戻ったのでございます。
やはりドアは全開で。
**********
『ピピル様……』
あれから一時間、わたくしは三度ピピル様のお部屋をお訪ねしました。
'何?頼まれたから弾いたのにやっぱり煩いもうやめろって怒り出したとか?'
ピピル様は眉間を寄せながら早くもブツブツ独り言を言っておられます。
『最後にレヴァンスキのエチュードをもう一度お聞きになりたいそうです』
'え?何それ?アンコール?そんなに好きなの?そりゃあ弾きますけれど、弾いてあげちゃうけどね。だってピピルちゃんは優しいからギクシャクしている間柄の殿下のお願いだって聞いてあげるんだけどね。そんなに聴きたいなら始めから自分で頼めよぉって言いたいよね。言わないけどね。だって相手は権力者だから言えないけどね'
最早ピピル様のお口からブツブツ独り言以外の言葉が出ずとも致し方ないですな。
***********
『二度目はテンポが早すぎだったんじゃないか?始めの演奏の方が良かった』
わたくしの気も知らず執務室にいらしたピピル様に開口一番文句を付ける殿下。誰かわたくしに殿下の後頭部をどついてやれと言って下さらないだろうか?
しかしここで黙って引き下がらぬピピル様の逞しさ。なんと首を傾げて殿下の顔を覗き込みそれはお可愛らしい、そして意地の悪い上目遣いで見上げられたのです。こうされると殿下が大変に嫌がられるのにお気づきになったのでしょう。
その上にです。
『早過ぎる程ではないですね。わたくしはあれくらいの方が好みです』
堂々と反論なさいました。それはもう、花が綻ぶような柔らかな笑顔を浮かべつつ。
殿下でございますか?
これぞ苦虫をかみつぶしたようなと言わんばかりのお顔に、わたくしとジェフリー様が笑いを堪えるのが大変な苦労をしたのは殿下には秘密でございます。
留学先から帰国された17歳の殿下にお使えするようになって早十年。殿下の置かれた環境を思えば無理からぬ事とはいえ、中々他人にお心を許されず壁をお造りになるかのように拒絶なさるお姿がなんとも痛々しく、何とかしてお気持ちを安らげて下さらぬものだろうかと案じ続けておりました。
あのお方はまるで暗闇に差し込んだ一筋の光のよう。凍てついた殿下のお心を春の日差しのような暖かさで溶かしては下さらぬだろうかと願わずにはいられないのでありますが……先ずは殿下がもっと素直におなりになって、あの態度を改められませんとな。
いやはや、これはかなり前途多難にございます。
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