第24話 ファビアンの生い立ち



 殿下からピアノを頂いたことを話すと、お義母様はびっくりしたのか目を見開いていた。綺麗な碧眼からお水が零れて来そうだ。


 「その楽譜はきっと私の姉……ファーデイナンドとファビアンの母親の物だわ」


 お義母様は陛下と殿下を呼び捨てにした。二人はお義母様の甥っ子達、思わず口に出てしまったのだろう。


 「お姉様は音楽がお好きでピアノがお上手だったのよ。小さい頃のファビアンも熱心にピアノの練習をしていたのだけれど、残念ながら続けさせてやることができなくなってしまって。可哀相な事をしたわ」

 「殿下からも訳あって続けられなかったからと伺いました。お母様が亡くなられたから、という事でしょうか?レッスンはお母様から直々に?」

 「そうじゃないの、違うのよ。ファビアンは母親に抱き上げられた事すらないの。お姉様は……二人の母親はファビアンが産まれて直ぐに亡くなったのよ」

 「え……?」


 驚いて言葉を失っている私の隣に座ったお義母様は、膝に置かれた私の手を取って続けた。


 「お姉様は初めてのファーディナンドのお産が難産で出血が酷くてね。その時も命が危ぶまれたのだけれどどうにか持ち直したの。医者からもうこれ以上御子は望めないと言われて……ずっと薬を飲んでいたはずだったんだけれど、ファーディナンドが五つの時に二人目の子を懐妊したのよ」

 「薬?避妊薬ですか?それなのにどうして……」

 「ファーディナンドが産まれてから先代の陛下は側妃を娶られた。王子が一人だけでは心許ないという周りの声が大きくて従わざるを得なかったからよ。この国では力の強い上位貴族の意向を無視することができないもの。そして二人の弟王子が産まれたのだけれど、陛下を一身に愛していらしたお姉様はそれがお辛くて苦しまれて。どうしてももう一人陛下の御子が欲しいとこっそり薬を捨てていたの」


 お義母様は私の手を優しく摩ってくれていたが、遠くを見つめるような顔はとてもとても辛そうだった。


 「先代の陛下は当然出産に反対されたのよ。今度こそ助からないだろうと言われていたんだもの。でもお姉様はどんなに説得しても聞き入れず西の離宮に篭ってしまわれて。お腹の子さえ無事に生まれるのなら自分はどうなっても構わないと言い張ってね。そしてファビアンを産んだのだけれどやはりとても難しいお産で……産声を聞いて涙を流すとそのまま……御子の顔を見ることすらできないまま息を引き取ってしまったわ」

 「そんな……」


 この世界の医療では出産で命を落とす事はままあるが、殿下のお母様もその一人だったのか。しかも愛する人の心をつなぎ止める為に命を賭けた結果が、大切な我が子を母親のいない子にしてしまう事になったなんて。


 「私達には懇意にしていた伯爵令嬢がいたわ。ある年彼女の領地では大きな水害で大変な被害が出てね、お父上は経営にとても苦労されていらしたの。それを知ったハイドナー伯爵が援助を申し出て伯爵家は領地を立て直す事が出来たわ。その後直ぐに彼女は親子ほども歳の離れた伯爵の後妻として嫁いで行ったの」


 え?ちょっと待って……唐突に何の話かと思ったら……


 「ジェフリーは彼女の、フィリシアの息子なの」

 

お義母様は私の心の声を読み取ったように頷いて言った。


 「ハイドナー伯爵はとても厳格な人で若いフィリシアに厳しかったわ。先妻との間に二人の息子がいるのだけれど、伯爵はフィリシアには女の子を産むことを望んでいたの。フィリシアはとても美しかったし、彼女に似た女の子なら伯爵家にとって有望な駒になる。もう男子は必要ない、必ず美しい女の子を……フィリシアは毎日毎日そう聞かされて過ごし出産を迎え、結局生まれたのは男の子だった。伯爵がどんな態度を取ったか想像が出来るでしょう?」


 なんて事だろう。援助の代わりに若くて美しい娘を手に入れ生まれた子どもまで利用しようとして、その上思惑が外れたからといって冷遇するなんて。男の子が生まれたのは彼女のせいなんかではないのに!


 「お姉様は今度こそ自分が助からないと覚悟していたの。それで半年前にジェフリーを産んだフィリシアを乳母に選んで後のことを託していたわ。フィリシアとジェフリーを伯爵家から守りたいという思いからの事でもあったの。ファビアンとジェフリーは乳兄弟、乳母になったフィリシアはお姉様の意向通りファビアンにピアノのレッスンを受けさせたのだけれど、彼らが12歳の時にフィリシアが病気で亡くなってしまって」


 そこまで言うとお義母様の頬を涙がぽろぽろと伝って落ちた。大好きな人達の幸せとは言えない人生に、側にいたお義母様も辛い思いをされたのだろう。お義母様は暫く嗚咽を漏らしていたが、息を整えると話を続けた。


 「フィリシアが亡くなった後は先代の陛下がお選びになった養育係が付いたのだけれど、その時にファビアンがピアノを弾くことが陛下のお耳に入ってしまってね。音楽にかまける時間が有るのなら他のことをするようにと禁じてしまわれたのよ。そのピアノはお姉様が生まれてくるファビアンの為に用意したものだわ」


 だから殿下はピアノを慈しむような事を口にされていたのだ。殿下にとってあのピアノは温もりを知らない母との数少ない絆なのかも知れない。


 その時ふと私は気がついた。もう一つ確かめたかった大事なこと。でも……これはどういう事だろう?


 「お義母様、もうすぐファビアン殿下がお誕生日を迎えられると教えて下さった方がいるのです」

 「……ええ、ファビアンの誕生日は3週間後よ。けれど、先代の陛下は王妃の命日だからと誕生日を祝うことは無かったの。ファーディナンドが即位してからはお祝いの晩餐会を開こうとしたんだけれど、ファビアンから拒否されて」

 「それはつまり……」


 私は速まる鼓動を落ち着ける為に大きく息をした。


 「殿下はお母様の死をご自分のせいだと思われているのですか?」

 「そうよ、自分が生まれてさえ来なければ母は生きていたのだとファビアンはずっと思っているの。だから誕生日を祝われる事を拒絶するわ」


 殿下にとって自分が生を受けた日は、自らが母親を死に至らしめた日なのだ。あの人はなんという苦しい運命を背負っていたのだろうか。


 「その方に、殿下をお祝いして差し上げるように勧められたのです。でもそれはきっと殿下の傷を抉る事になりますね。私も差し控えさせて頂きます」

 「ええ、その通りよ。今まで何も伝えて来なくてごめんなさいね。もっと早くに話すべきだった。貴女が私に確かめてくれて良かったわ。でもこれはこの国の貴族の中では暗黙の了解なの。それなのに貴女にそんなことを唆すのはおかしいわ。一体誰がそんなことを?」


 私は左手首を見た。あの痣は直ぐに消えたがあの恐怖が頭の中から消えることはない。そしてあの時、私が引き下がらずに大きな騒ぎにしていたら、私は酒に酔った王弟の失敗に対して目くじらを立てて刃向かう礼儀知らずの娘として嘲笑われる事になっていただろう。

 でもにわか仕込みの貴族令嬢の私には上手く立ち回ることなど出来る訳がないと考えるのが普通だったのではないか?

 そして誰もが知っている事情の筈なのに、敢えて私を唆した事。


 あの時アンドリース殿下が口にした名前は……。


 「マライア様です。グラントリー殿下のご側室のマライア様です」


 私は確信した。あの人は私を潰そうとしている、きっとそうだ。






 


 

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