第21話 ジェフリー・ハイドナーの激怒


 怒られた、それはもう怒られた。離宮の私室で手当を受けた後、ハイドナー氏に怒られまくった。


 王宮の警備は厳重だが、テラスや庭園は『大人の諸事情』によりあえて手薄にしている。だから一人になるなと注意されたのだ。でも私はつい考え事をしてしまい、誰も居なくなったのに気がつかなかった。それがどんなに危険かわかっているのかとハイドナー氏がカンカンに怒っている。


 わかっているのかと言われればわかってはいましたよ。ただちょっと周りが見えなくなっちゃったものですから……


 「ピピル様は集中されると自分の世界に入って何も目に入らなくなられるのです!」


 ハイドナー氏が煩い。こんなにヒートアップしたハイドナー氏は初めて見たがとっても煩い。殿下は色味のせいもあって凍りつくような冷たい美貌だけれど、ハイドナー氏はもっと柔らかくて暖かな雰囲気の容姿だ。緩やかな癖のある明るい茶髪や少し下がり気味の目尻のせいなのかな?そのほんわかハイドナー氏がガミガミ怒っている。


 ところで私、この人の前で集中したことなんてあったかしら?確かに前世の私には所謂『ゾーンに入る』って感覚があったので、記憶が戻ってからも時々入っちゃう事があるんだけど。でもそれは夢中になって本を読んでいたり刺繍をしたりしている時でこの人の前ではやらかしていないと思うんだよなぁ。


 「あのような場所では常に周りに目を配って頂かないと。何かあってからでは遅いのです!」


 あぁもう、まだ怒ってるよ。そろそろ静かにして頂きましょうか。


 「に私を一人で残して、ハイドナー様はさぞ叱られるのでしょうね。申し訳ございません。なんとお詫びしたら良いのかしら?」

 「……いえ、そのような……」


 ほら、急に困った顔になった。大体ね、あのような場所に行ったのは貴方のボスの御乱心が原因ですよ!


 「そうかしら?きっと叱責されてしまうわ!でも悪いのはわたくしなのに。元はと言えばわたくしが夜風に当たりたいと我が儘を言ったのがいけなかったのです。無理を言ってテラスに出たのにぼんやり考え事をしてしまって……。本当に申し訳ございません。だ、か、ら、わたくしがいけなかったのだとお詫びに参りますわ。誰からに致しましょう?お義父様?殿下?それとも……アルにも謝らないといけないかしら?あ、護衛騎士の皆様も駆け付けて下さいましたわね。あの方々にも一言お詫びをしなくてはいけませんわ!」

 「……いえ、もう結構です。どうぞ以後は御注意下さいますように」


 焦って首をブンブン振るハイドナー氏に私はわざとらしく頷いて見せた。


 「承知致しました。もう絶対にテラスで考え事なんてしないってお約束します。今後は愛を囁き合う若い二人から目を離さずしっかり見学しておきますわ。さぁ、喉が渇いていらっしゃるでしょう?やたらと大きなお声でしたもの。お茶をお煎れしますね」


 苦虫をかみつぶしたような顔でソファに座ったハイドナー氏はもう何も言わない。ウイナーはピピルちゃん。貴方は負けを認めて紅茶でも飲んで少しは落ち着くと良いのだわ。お口に物が入ったら黙るしかないもの。


 私の煎れた紅茶に口をつけ大人しくなったハイドナー氏はうっすらと微笑んだ。


 「貴方は……お茶を煎れるのもお上手なのですね」

 「自分でお湯を沸かしますから。お湯を火から降ろすタイミングさえ見誤らなければ八割方は美味しくなるんです。沸かしすぎるとお湯の中の空気が抜けてしまうので。市井では何でも自分で致しますので身についただけですわ。お義母様には自分でお湯を沸かすのかと驚かれてしまったのですけれど」


 正しくは前世の市井で見た某国営放送の料理番組で得た知識……ですが。茶葉をジャンピングさせて開かせるには沸騰した瞬間の空気を最大限含んだ熱湯が最適なのです。むしろ蒸らし時間だけで美味しく煎れられるカーティスさんの方が凄いと思うよ。


 「お痛みですか?」


 ハイドナー氏の声にハッとする。包帯の上から手首をさすっていたことに気がついて、慌てて首を振った。テラスでの事を考えていたら無意識にやってしまったのだろう。あの時は恐怖で何も考えられなかったが、何故アンドリース殿下は私にあんな事を言ったのだろうか?


 「ハイドナー様。マライア……アンドリース殿下がそうおっしゃったんです。マライアがお前が持っていると言ったと。どなたかお心当たりはございまして?」


 ハイドナー氏は小さく息を飲んだがそれを隠すように穏やかな声で答えた。


 「マライアと仰るご婦人はお一人だけ。ファビアン殿下のすぐ上のお兄様でいらっしゃるグラントリー様のご側室です」


 あの四兄弟のうち、今私が関わっているのは殿下と国王陛下だけ。次男のアンドリース殿下はさっきの騒ぎが初見でグラントリー殿下はお会いしたことがない。マライア、あれはグラントリー殿下のご側室のことだったのだろうか?


 「アンドリース殿下は……お酒に酔われていらしたのではありませんね。あの男の方もおわかりだったはず」


 ハイドナー氏はゴクリと音を立て紅茶を飲み下すと、咎めるように私を見た。


 「ピピル様、それは……」

 「大丈夫です。わたくしが申し上げるのはここまでですから。他言も致しません。でも……すぐにでもお止めして治療をされるべきかと」


 あの男…アンドリース殿下は、このままではやがて廃人になってしまわれるのではないだろうか?




 

 



 




 

 

 

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