第20話 マライア


 第三王子グラントリーの側室マライアは、ラドルト男爵とメイドの間に生まれた庶子だ。マライアを身篭った母はラドルト男爵夫人の怒りを恐れて屋敷を離れ、下町の両親の元でマライアを育てた。


 マライアが16歳の時、母が流行り病で亡くなった。働き手だった娘を亡くした祖父母はマライアに仕事を世話して貰おうとラドルトを訪ねたのだが、彼女はそのまま男爵家に引き取られる事になった。艶やかな黒髪と琥珀色の瞳を持ったマライアは非常に美しい娘だったからだ。この容姿なら家格の高い貴族との縁談も望める、マライアは傾きかけた男爵家にとって貴重な駒となるのだろう。


 まだ社交界に出ていないマライアだったが、彼女の噂は瞬く間に広まった。無論ラドルトか意図して吹聴してまわったのだ。

 その噂を聞き近付いたのがグラントリーだった。彼は忽ちマライアに夢中になり、彼女は側室になるためにさる伯爵家に預けられ淑女教育を受けた後社交界デビューをすることになった。


 マライアは嬉しかった。ただの下町の娘だった自分が今では伯爵令嬢で、更に社交界デビューの後は王子の側室になるのだ。どんな贅沢でも許されるに違いない。だが勉強嫌いの彼女には淑女教育は辛かった。行儀作法もダンスも刺繍も何もかもがつまらなく堅苦しくて一向に身が入らない。淑女教育は捗らずついには成人する18歳を過ぎてしまったが、それでも社交界に出すのが憚られるほど彼女は酷い有様だったのだ。


 痺れを切らしたグラントリーの口添えで何とかデビューに漕ぎ着けたが、夜会での自分に向けられた嘲るような視線はマライアの心に突き刺さるかのようで、彼女は悔しくてならなかった。でも構わない、マライアは王子という権力を手に入れたのだから。

 グラントリーと正妃クレメンタインの関係は冷えきっていたので、マライアは彼の寵愛を受け新しいドレスも宝石も望むものは何でも与えられた。取り巻き達もマライアの言いなりだ。彼女の美しさを褒めたたえ嘲るものなどは一人もいない。グラントリーの権力さえあれば彼女の幸せに影を落とすものなど何もないのだ。


 第四王子ファビアンが側室侯補を選んだと耳にしたときは驚いた。彼は仕事の事しか頭に無いような男だ。擦り寄って来る令嬢達には紳士的に接しながらも煩わしがって、政務を理由に夜会をすっぽかす女嫌い。そのファビアンが正妃どころか婚約の予定すら無い今、側室に望むとはよっぽどの執心だ。一体それはどこの令嬢なのだろう?

 しかしそれが貴族令嬢などではなく市井育ちの平民の娘だと聞きマライアは胸を撫で下ろした。庶子とはいえ自分は男爵の血が流れる貴族、平民の娘など恐れる事などない。辛くて堪らなかった淑女教育もその娘にとってはもっと堪え難い事だろうと思うと、彼女の胸にゾクゾクする嬉しさが込み上げてきた。


 だが心穏やかにいられたのはほんの一時だった。その娘が引き取られたのはアシュレイド侯爵家だったのだ。自分は伯爵令嬢なのに平民の娘が格上の侯爵令嬢、聞けば侯爵夫人は亡くなった王妃の妹だという。それにマライアにとっては同じ王子としか思っていなかったグラントリーとファビアンだが、王太子ファーデイナンドとファビアンは王妃の子で第二王子アンドリースとグラントリーは側妃の生んだ子。そこには明らかな違いがあったのだ。


 マライアがあれだけ苦労した淑女教育をその娘は何の苦もなく着々とこなしているという。なかなか許して貰えなかった社交界デビューなのに、その娘は予定よりも早めてはどうかとまで言われていた。茶会で会った侯爵夫人からは養女をとても可愛がっている様子が伺われた。自分は利益になるからというだけで伯爵家に引き取られたのに。そこには愛情など無かったというのに。


 国王が崩御し新国王となったファーディナンドが初めて主催した夜会。ファーストダンスを踊るデビュタント達の中にその娘はいた。

 マライアが下位貴族の娘達を唆してやらせたくだらない嫌がらせで周りを囲まれていながら、いつの間にか囲いを摺り抜け中央に踊り出た彼女は、まるで羽ばたく妖精のようで忽ち場内の視線を一身に集める。自分の思いとは裏腹に、仕掛けた嫌がらせが彼女をより引き立てる事になり、マライアの瞳は苛立ちで燃え上がった。マライアのような突出した美貌もなく、ありふれた茶髪の結い方はあっさりとしていたしドレスも肩を出さない清楚なデザイン。それなのに軽やかに踊る彼女は可憐で他の誰よりも人々の目を引き多くの感嘆の声が上がっていた。


 そしてマライアは見逃さなかった。国王ファーディナンドが微笑みを浮かべながら彼女を、彼女だけを見つめていることを。彼女はファーディナンドの関心すら引き寄せてみせたのだ。マライアは悔しさのあまり身体の震えが止められなかった。


 何故だ?何故なのだ?何故彼女は貴族の血が流れる自分よりも優れているのだ?何故平民の娘が賞賛されるのだ?何故国王の心までもを引き付けるのだ?


 マライアの胸に闇よりもなお黒いドロドロとした物が湧き出て胸を満たしていく。


 憎い、憎い、憎い。あの娘が憎い。


 あの夜、ファビアンは珍しく夜会に出席していた。しかし彼はいつの間にか姿を消していて、マライアはファビアンが何時ものように勝手に抜け出したのだと思っていたのだ。でも彼は再び大広間に現れ、彼の傍らにはエスコートされるあの娘がいる。

 エルーシア王妃が彼等に駆けより嬉しそうに話しかけるのをマライアは呆然として見ていた。エルーシアが生まれ育った国では側室を持つことが許されない。だからエルーシアは側室の自分を疎んじているのだと思っていた。でもエルーシアは同じ側室になるであろうあの娘には親しげに笑いかけている。あの娘には貴族の血など一滴も流れていないのに。


 やがてファーデイナンドに促され、ファビアンとあの娘がダンスフロアの中央に進み出て行った。二人で、二人きりで踊るのだ。国王主催の夜会で二人だけで踊ることができるのは国王夫妻のみ。だが王族が婚約者を披露した時、つまり正妃になる者のみは例外として許される。それをファーデイナンドは側室侯補に過ぎないあの娘に許したのだ。夜会嫌いのファビアンをからかったのだろうか?いや、それともファーデイナンドは、あの娘に並々ならぬ関心を寄せていると暗に伝えようとしているのか?


 許せない、絶対に許せない、許せるものか。必ずあの娘を潰してやる。


 娘がジェフリーに連れられてテラスに出ていくのが見えた。ジェフリーはエントランスの方に急ぎ足で向かっていく。迎えの馬車を呼びに行ったのだろう。窓から覗くとテラスにはあの娘が一人きりで立っているのが見えた。咄嗟に面白いことを思い付きマライアは笑いを堪えた。そして吹き出しそうになるのを堪えながら王弟アンドリースの傍に行き耳打ちしたのだ。


 「テラスで待っている娘が持っていますよ。早く受け取りに行ってらして」


 

 

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