第12話 西の離宮
わたくしピピル、ハイドナー氏に連れられてファビアン殿下のお住まいである西の離宮にやって参りました。そして只今取り込み中でございます。何をしているかと言うと、待っています。ただひたすらお声が掛かるのを待っているのです。
お声を掛けて下さるはずのファビアン殿下は目の前にいらっしゃいます。もう二分ほど前からです。殿下が部屋にお入りになったので最上級の礼でお迎えし、なんと今に至ります。いや、もうそろそろ三分かな?カップ麺が出来ちゃう時間ですね。
そして何故かひしひしと冷や水を浴びせるような視線が注がれているのだけを感じます。かつて氷雪の王子と呼ばれた殿下ですから、冷たい視線はおまかせあれって事かしら?
それにしても、これはどういう状況なのでしょうか?
殿下は最上級の礼をした私に何か仰るはずなんです。『久しいな』とかそんな事をね。私にとってはキュー出しみたいな物です。そしたら私は『ピピル・アシュレイドでございます』と言って最上級の礼を解除出来る、と、そのように教わっております。間違いありません。繰り返し練習させられましたもの。
ホント、この一年理解に苦しむ事だらけだったけれど、この状態で放置されるとは違う意味でも苦しいですね。我慢強い私だから耐えますが私じゃなければもうとっくにメソメソシクシクしていたでしょう。
中腰のカーテシーと比べたら最上級の礼なんて膝を着いているから楽だと思うでしょ?これね、見た目より辛いのですわ。膝が痛いのは勿論、腹筋にも背筋にもクッと力を入れておかないとぐらつくのでございます。ですからね、当然二分も三分も続けるような物じゃないと思うのです。思いながらも我慢しちゃんですけれどね。
あらら?ちょっと待って!もしかしたら殿下ったら私がべそをかくのをお待ちなのかしら?ド根性で乗り切ろうとしちゃいけない感じだったかな?もしかしてもしかすると、殿下ってとんでもなくイヤ奴……だったり……する……の?
「なるほどな……」
……ナルホドナ?殿下今なるほどなっておっしゃったみたいですね。キュー出しにしては想定外のお言葉なんですが。ここで『ピピル・アシュレイドでございます』はおかしくない?これ、キュー出しとみなしてはいけないわよね?
「上手く化けおおせたわけだ。」
化けた?これもキュー出しには不自然なお言葉かと……でも言った方がいいの?『ピピル・アシュレイドでございます』をここで発動する?
っていうか殿下、どこに行くのだ?ドアなんて開けちゃったよ、ま、まさかお部屋を出るなんてことは……
で、で、出て行かれましたよ!なにをしてるの?
幻の『ピピル・アシュレイドでございます』になってしまったではないの!やい殿下め、一体これはどういうことですか?
**********
部屋に入って来たハイドナー氏が私に駆け寄ってきた。
「ご無事ですか?」
あらまぁ、事務的対応のハイドナー氏にしてはお珍しく少々慌てておられるようだ。ということは殿下から『最上級の礼を黙って三分間眺めてやったわい』とか聞かされたんだろう。
「……明日の朝は動きがギクシャクしそうですが今のところは。それより殿下は何をなさりたかったんでしょう?一年振りの対面にしては少々予想外でしたけれど。わたくしに何か殿下のお気に障るような事がございましたでしょうか?」
「申し訳ありません。殿下は少々気難しい方ですので」
……ふーん、少々、ね。
「なんでも『上手く化けおおせた』とかおっしゃいましたわ。お礼を申し上げた方がよろしかったのかしら?でもとてもとても褒めて下さったようには聞こえなくて、どうお答えしたら良いのかわかりませんでしたの。まだまだ不勉強でお恥ずかしいわ」
嫌味に加えてウフッと笑ってやった。八つ当たりし過ぎちゃったかな?
でもね、こんなにも理不尽な事をしておきながら謝るどころか更に侮辱してくるなんて、いくら私が抵抗はせずに割り切って受け入れるをモットーとしているピピルさんだからって、猛烈に不愉快だ。『無・火・津・苦』とか離宮の外壁にスプレーで書き込んで差し上げたいと思う。思うだけだけれど。
所詮ハイドナー氏など殿下の手下、私の敵なのだから、多少の嫌味くらい謹んでお聞きになれば良いのだ。
「そもそも今夜の夜会に殿下がお出でになるなんて存じませんでしたの。ドレッセンでの国際会議にご出席されお留守だと伺っておりましたけれど。いらっしゃるのならば夜会の前に一言ご挨拶を差し上げる機会を頂ければありがたかったですわ。そうしたらダンスホールで睨みつけられる事も無かったかも知れませんものね。あ、でも……こんな風に眺められていたらダンスなんてとても踊れなかったでしょうし、お気遣い下さったのですね。きっとそうだわ!殿下はなんてお優しいのかしら」
「会議が予定よりも早く終わったので出発を早めたのです」
ハイドナー氏め、厭味を完全にスルーして説明という名の言い訳を始めようした。でも私はそんなものに興味は無いのだ。
「わたくしは……」
私はスッと目線を上げ、真っ直ぐハイドナー氏の目を見つめた。普段は首から上には目線を送らない事に気づいていたのか、見慣れぬ私の視線に怯んだ彼の言葉が途切れる。
「これで失礼致します」
そう言って颯爽とドレスの裾を翻し部屋を出ようとドアを開けた
……ら……
「……ヒィーッ!」
ドアの前に立っていた、と思わしき男性といきなり鉢合わせて、驚いきの余り情けない声を出しちゃった私である。恥ずかしすぎる。
しかし、その男性は全く気にせず私の前に跪いた。
まるでエンジェルみたいなくるくるとカールした銀色の細い髪。白くて滑らかな肌に文句無しのバランスで配置されている目と鼻。黒い瞳を潤ませながらニコニコと私を見上げいるその様子は……ほら、アレだ、ポメラニアン!うん、幻のケモ耳が見えてきそうよ。
「……ど、どちらさま?」
恐る恐る尋ねると
「ピピル様付きの命を受けましたアルバート・ディケンズでございます。本日よりピピル様の護衛を勤めさせて頂きます。我が命に代えてもピピル様をお守りすることをお誓い申し上げます」
蕩けそうな笑顔で答えるが、内容はなかなか物騒だね。社交界デビューするのって命懸けで守られるほど危険窮まりないの?
突然の事に呆気に取られている私。
彼はその私の右手を取って……あ、あ、あ、これってアレ?指先ににチュウするアレ?と身構えて全身が硬直したが、ポーズだけで寸止めだったみたい。
あ、そういうものなのか、寸止めなのね。
これってアレ?騎士の誓いとか言うもの?そういえばこの人、ピピル様付き……とか言ってた気が……
え、それこんな部屋の出入口で出会い頭にしちやっていいの???
私の首はまたギギギギギッと動いた。謁見の間に続いて本日二度目。
「……ど、どちらさま?」
同じ事をハイドナー氏に聞いてみる。
「殿下よりピピル様付き護衛騎士を任命されたディケンズです。本日よりピピル様の護衛を致します」
「護衛騎士?わたくし如きに護衛騎士?」
「社交界デビューをもってピピル様の淑女教育は恙無く終了したと認められ、名実共にファビアン王弟殿下の側室候補になられたのです。如き等と仰るようなお立場ではありません」
名実共にってあなた、ついさっき殿下に何されたかご存知ですわよね?という不平不満を込めた私の視線を気にする素振りもなくハイドナー氏の言葉は続く。
「今後はわたくしが侯爵家に伺う事は無くなります。週に一度、ピピル様が登城しこちらにお越しになるようにとの殿下のご指示です」
「……は?」
ハイドナー氏、唖然とする私を前に表情を崩さぬようにしながらも唇の端が歪んでいる。
「……それは……毎週ってこと?」
「そうなりますね」
ついにニヤリと悪い笑顔を浮かべたハイドナー氏。
ほーらね、ハイドナー氏め、あなたは殿下の手下、私の敵なのだ。
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