第8話 エリザベスの想い


 アシュレイド侯爵夫人エリザベスは喜んだのだ。


 やっとファビアンも愛情を注ぎ慈しむ相手を見つけたのだと思ったから。


 エリザベスにとって王太子ファーディナンドと第四王子ファビアンは甥にあたる。エリザベスの姉クリスティーヌはファビアンを出産した時に亡くなっており、彼女は母の顔すら知らないファビアンを殊の外気にかけていたのだ。


 幼い頃から淋しい思いをしていた事に心を痛めていたが、留学した隣国シルセウスから戻ったファビアンがまるで感情をなくしたかのような冷たい表情をし、ごく限られた者しか近づけようとしなくなっていたのには思わず言葉を失った。彼の置かれた過酷な環境を思えば無理からぬ事だが、だからこそエリザベスは尚更心配でならなかったのだ。


 26歳になったファビアンは結婚ばかりか婚約の予定すらない。今までどんなに家柄が良い美しい相手からの縁談が来ても淡々と断るだけだった。そのファビアンから、側室候補の娘を養女に迎えてほしいと依頼されたのだ。


 しかしエリザベスは違和感を抱くようになった。ファビアンも補佐官のジェフリーも、その少女についてほとんど語ろうとしない。しつこく尋ねれば会ったのはたった一度で会話もほとんどしておらず、彼女の人となりは調査書を見てくれと言う。


 あのファビアンがその程度の係わりしかない相手を側室に迎えようとするだろうか?夫のローレンスは若い男の一目惚れなんてそんなものだろうと言って笑った。でもファビアンのあくまでも冷たい無機質な顔を見ると、それとは違う別の思いがあるのではないかと胸騒ぎがするのだ。

 

 貴族との養子縁組は様々なトラブルを防ぐ為に厳しい決まりがあり、生家とは一切の縁を切ることが求められる。縁組の解消もほぼ不可能だ。ファビアンはそれを理解した上で側室に望んでいるのか?それでも側室にすることを望むほどファビアンは少女に愛情を持っているのか?


 エリザベスの心の靄は一向に晴れなかった。


 不安を抱えていたエリザベスだったが、連れてこられたピピルは可愛らしかった。


 市井の娘とはいえ役人の家庭だけあってしっかり躾られており、気遣いも出来る素直で真面目な子だ。人見知りで愛嬌を振り撒いて取り入るようなあざといことは苦手なのだろう。ただただ真摯に自分達に向き合い関係を築こうと一生懸命だった彼女の姿に、上辺だけの養女で構わないと言われてはいたけれど直ぐに情が湧いて手放し難い存在になっていた。慣れないながらも早くこの世界に馴染まなければと懸命に努力する様子は、エリザベスだけではなくローレンスや使用人達もの心を掴んだらしい。


 ダンスの相手を頼んだ嫡男のケネスもその妻のロゼリアも可愛い妹が出来たと嬉しそうにしている。特にケネスは彼女のダンスの上達が早く、難しいステップでもどんどんこなせるようになるのが面白いようだ。


 ピピルにはまるで自覚が無いらしく、ありふれた茶色の髪と瞳の平凡な容姿だと申し訳なさそうに言うのだが実際は整った顔立ちの美しい娘なのだ。チョコレートブラウンの髪は細く柔らかく緩やかに波打っており、伏し目がちな瞳はキラキラと光り輝く。白い肌はきめ細かくはっきりした目鼻立ち。着飾ったらさぞや映えるだろう。デビュタントのドレスを誂えるのが今から楽しみで仕方がない。


 それとなく聞いてみたが、やはり自分がファビアンに望まれた理由はわからないようだ。それどころかただ一度だけ会ったという日は、ファビアンの顔すらまともに見なかったのでどのようなお顔をされているのか写真を拝見して初めてわかりました、などと言っている。当然ファビアンに対して特別な感情は抱いていない。


 ならば贅沢な暮らしに憧れてこの話に飛び付いたのかと思えばそうでもないらしい。はっきりとは言わないが、どうやら家族の為にはとそう考えたのではないか?貴族であろうと格上からの縁談は断れない。ましてや平民の家族に抗う術など無かったのではないか?


 ジェフリー・ハイドナーは毎週様子を見に来る。ファビアンに淑女教育の進捗状況を報告するのだろう。でもファビアンは顔を見に来る事はおろか、未だに手紙の1通も送られてきてはいない。


 それなのにピピルはひたすらに健気だ。更に上を目指して努力し続ける。


 皆、何かがおかしい事に気付いている。これで果たしてピピルは幸せになり得るのか?貴族の娘ならば家のために望まぬ相手との結婚をするのは義務。でも平民の家庭に生まれ育ったピピルは、当然恋をして好きな相手と結婚することを夢見ていたのではなかろうか?自分達はなんと残酷なのだろう。


 それでも、とエリザベスは思うのだ。この少女なら、凍てついたファビアンの心を溶かすことができるるのではないかと。

 

 ピピルにはそんな不思議な力があるような気がしてならず、二人が結ばれることを願ってしまうのだ。


 

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