第6話 ピピルの決心
「素敵よね!お伽話のようだわ!」
ハイドナー氏から渡された王子様の写真をうっとりと見つめながら、思った通り母はいかにも母らしい受け取り方をした。
「王子様と結ばれて、ピーちゃんはお姫様になるのねぇ」
この人、ちゃんとわかっているのだろうか?王子様の側室になってもお姫様にはなれませんよ。誰か、この脳内お花畑の母をどうにかしてください。
「お母さんあのね、解ってる?側室なの。愛人みたいなものじゃない」
私は思いっきり顔をしかめて言ったのだけれども
「あら、だって身分が違うもの。いくら侯爵家の養女になったからって正妃様になるのは無理ですよ」
窘めるように答える母。一応そういう常識は有るのか?
「それでも王子様はあなたをお側に置きたいの。それ程に思って下さっているって事でしょう?」
確かにね、所謂コッテコテのシンデレラストーリーではある。ここではあくまでも前世の価値観に引っ張られてる私の嫌悪感の方が異質なのだ。この国では王族が側妃や側室を持つのは合法で断じて日陰の身なんかじゃないのだもの。平民の娘が側室に迎えられるなんて本来屋根から紅白の餅を撒くくらいのおめでたい事。
だからと言って、まぁ嬉しい!と浮かれる気分になんてとてもとてもなれないこの強烈な違和感。どんなに考えても腑に落ちない気味の悪さ。やっぱりこの話、無理が有りすぎるのだ。
「とんでもないってば。まともに顔を合わせてもいないのよ。話だって私が答えたのはほんの一言で後はほとんど先生達がしたんだから。それも卒業後は職業訓練校に進むって説明しただけなの。それなのに側室に迎えたいなんておかしいでしょう?」
「ピーちゃん、恋って理屈じゃないの、落ちるものなのよ」
どうすりゃ良いんだ、この42歳の夢見る乙女は。
「ピーちゃんはご近所さん達から美人さんだって評判なんだから!王子様が一目で見初められても不思議じゃないわ」
「あのねぇ、王子様ってこの世のものとは思えないような美しい御令嬢を毎日ご覧になっていらっしゃるんじゃない?ご近所さんレベルの美人なんて雑草みたいなもののはずだってば」
「それよ!」
あ、変なスイッチ入れちゃったかも……
「素朴で純粋な野に咲く花のようなピーちゃんは、王子様にとって新鮮でこの上なく魅力的だったに違いないわ」
もうこの人は誰にも止められない。
「もしも万が一そんなことがあったとしてもよ、良く考えてみて。私だっていつまでも10代じゃないの。若いうちは目を掛けられていたとしても歳を取ったらどう?飽きられてポイ捨てされるに決まってるってば。大体正妃だって誰が選ばれるかわからないのに……決まってみたらそっちの方が断然お気に入りって事になる可能性だって多いにあるでしょう?これはね、ぜんっぜん良いお話なんかじゃないのよ!」
「あら、そんな先のこと、今は何とも言えないじゃない。それにこの王子様は、決してピーちゃんを蔑ろになんかしたりしないわよ。お母さん、そんな気がするの」
私はどうにかしてよと言いたげに父を見た。まあね、どうにもならないだろうなぁと諦めは付いていたけれど。
「お前の一生を決める事だよ。色々不安はあるだろうが侯爵家の養女になって側室として迎えられるのはめったにない幸運な話だ。何不自由ない暮らしが待っているんだからね。もうお前に会えなくなるとしてもお前さえ幸せになるならお父さんは構わない。それでももしピピルが嫌なら断れば良い」
でも現実はそんなに甘くはない。私は思わず笑ってしまった。
「お父さんはこの話、本当に断れると思う?」
父は顔を強張らせ、母はキョトンと目を瞠っている。
「私はどうしてこうなったのか強引過ぎて全然理解できないし納得いかない」
お母さんや、よくお聞きなさい!今裏事情を解説しますからね。
「でも断ればお父さんだけじゃなく、きっとマイヤーさんやルイースさんにも迷惑が掛かるのよね。言い掛かりを付けられて役所をクビになるかも知れないし、そこまで酷いことにはならなくても出世を妨害するくらいの事はされるかも。ルイースさんはフェアリーヌちゃんとの結婚を控えているでしょ。私の姉だからって圧力が掛けられるとしたらそれだって破談になるかも知れない。受ける以外の返事ができないように市長さんを間に入れたんだよね。お父さんだけじゃなくて、マイヤーさんとルイースさんも人質に取ったって事でしょう?身分を振りかざして、こんな横暴なやり方酷すぎると思わない?」
「……そんなことって」
呟いた母が口に手を当て茫然とした。あなたね、ちょっと気がつくの遅すぎ。
「そう、我々平民の家族には断るという選択肢は存在しないのよ!」
「……ピピルは本当に……」
父は上を見上げてポソリと言う。
「お父さん、私ね、一生結婚はしないって言っていたのは本気よ。思いっきり打ち込める仕事をして、自分の力だけで生きて行けるようになりたかった。それで職人を目指そうって決めたの」
「あぁ、お前なら本当にそうするんじゃないかとお父さんは心配で堪らなかった」
父はしょんぼりと私を見た。
「でも自分の為に誰かが不幸になるのは耐えられない。だったら自分が望まなかった道でもそっちを選びたいの」
「そうか……」
肩を落とす父。自分の無力さが不甲斐ないんだろうな。
でも庶民の親心なんかじゃとても太刀打ちできる相手じゃないよ。
「大丈夫。思い通りの道じゃなくてもどうにかして目的地を目指すから。だから安心して」
自分の気持ちが最優先のただの17歳だったらどうだろう?言われたことを真に受けてはしゃぐか、望まない選択に胸が張り裂けるような思いをするか。その気持ちを引きずって自分の運命を悲しむだけの日々になるかも知れない。
でもね……これは逃げようがないからさっさと諦めるしかないと割り切れる自分で良かったと思う。自分のせいで誰を不幸にしてしまったという負い目を感じながら生きるのはどれ程辛いことか。それなら自分が受け止めてしまった方がずっと気が楽……
そう考えられる私なら上手くやって行けると思う。物凄い屈辱だけど。
父は何も言わずに私の背中を撫でた。きっと何も言えなかったんだと思う。だって必死に涙を堪えていたのだったから。
「ピピルなら必ず出来るよって、言ってくれるよね」
「もちろんだ」
その声は掠れて聞き取れなかったけれど父はきっとそう言ってくれた。
「ピーちゃんがいつまでも寄る辺ない独り身でいるなんて、お父さんもお母さんも心配で堪らなかったわ。貴女はまだ若くて女が一人で生きていく辛さなんてわからないから言ってるのでしょうけれど本当に大変な事なの。勿論ピーちゃんを手放すのは寂しいわ。身体の一部が持って行かれてしまうみたい。でもね、きっと貴女にとってまたとない良いお話なのよ。何処か遠い国にお嫁に行ってしまったと思えばいつまでも独り身でいる貴女を心配することも無いの」
両親にとってもそれが一番辛さが少ない考え方だと思う。何を馬鹿な事を言ってるのかと呆れられてばかりだったけれども、一生独身宣言をしておいて、私ったらナイスだったよ。
こうして弱冠17歳にして、私の平凡で堅実な生活は瞬く間に終わりを迎えたのであった。
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