第5話 埋まっていた外堀

 

 「興味を持たれた殿下が是非話を聞きたいと申されましてお越し頂きましたが、お話を伺ううちにピピル嬢に大変心を惹かれたそうです」


 ですから私の口から出たのは『いえ……私は……』だけでしたけれど?


 大したやり取りじゃなかったし、それで心を惹かれるなんてとてもじゃないけど信じられない。毎日毎日○○の薔薇やら△△の百合やら□□の宝石やら、そんな美しい御令嬢に囲まれていらっしゃる王子様が庶民の小娘に?そんなおバカな。


 うそ、嘘、絶対にウソ!大人達よ、騙されるな!


 「なるほど、良くわかりました。それで殿下はお側に置くことを望まれたと、そういう事なのですな!」


 だから市長、わかりましたじゃないでしょう?なに余計なことを言ってるの!

 未婚の王子が側室を決めるっていうのはね、身分の壁でどうしても結婚することができない恋する二人の奥の手!こんな話もろくにしてなければ顔もボンヤリとしか浮かばないような相手に持ち掛ける事じゃないってば!


 しかしこの市長発言をきっかけにハイドナー氏の経緯の説明が打ち切られ、今後の流れの話に変わってしまったのだ。もぉ、市長のいらんことしぃめ!


 女学校の卒業式は二週間後、それが終わったら直ぐに侯爵家と養子縁組する。側室といえども平民の身分では相応しくないからだ。急ぐのは成人する18歳の誕生日迄に社交界デビューを済ませるのが望ましい為で、3日前に17歳になった私は準備期間としてはかなりギリギリなのだそうだ。現に第三王子のご側室様は準備が思うように捗らず、成人後のデビューになってしまい相当外聞が悪かったとか。同じ轍は踏みたくないのね。デビューするまでは王宮にあがることはない。その後も正妃様との御成婚まではあくまでも侯爵家令嬢のまま。殿下はまだ婚約すらされていないので側室として迎えられる時期は未定だ。


 という内容を事務的に淡々と淀みなく、契約書でも読み上げるかのように説明していくハイドナー氏。


 「慌ただしく恐縮なのですが三日後に王宮迄市長が返事をお持ち下さい」


 最後にハイドナー氏がそう告げると市長は満面の笑みを浮かべた。


 「承知致しました。どうぞ色よい返事をお待ちくだされ」

 「よろしくお願いします。ではわたくしはこれで」


 すくっと立ち上がったハイドナー氏は、最後に一瞬だけ私に視線を向けた。その表情にはこの理不尽な話に巻き込んだ事への後ろめたさと、巻き込まれた私への憐れみが浮かんでいたが、直ぐに視線を外し颯爽と部屋を出て行く。


 この人はわかっているんだ。自分の主がいかに傍若無人かということを。それでもこの人にはそれを諌める事が出来なかったのか。


 私はその背中をただ呆然と見つめていたのだった。


 大人とは、どの世界でも薄汚いものだ。


 17歳のピピルなら気づかないかも知れない。でもピピルの中の大人の私ならわかる。

 どうして敢えてこの場に呼び出されたのか。どうして市長やマイヤーさんや、そして姉の婚約者までもが同席したのか。どうして返事を持って行くのが父ではなく関係無いはずの市長なのか。

 

 これが外堀を埋める、ということだ。


 断れば市長の顔を潰す事になる。それは父だけではなくマイヤーさんやルイースさんにも影響をもたらす。これは断ることは許さないという無言の圧力だ。17歳の若い娘を思いのままに動かす為にここまでし、権力を振りかざし、そして権力に擦り寄ろうとする者を利用するのだ。


 父は家族で良く話し合ってから返事をさせてほしいと言ったが、市長の頭には断るという選択肢は有り得ないようだ。私の手を取りおめでとうとブンブン振って、めでたいめでたいと目を細めながら笑っている。


 私はうんざりしながら、浮足立つ市長を眺めていた。

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