第3話 王宮からのお客様
「…………んんん?」
目の前の男の人が話した言葉を一字残らず聞き取ったはず。それなのに全く意味が解らなくて、私はこてんと首を傾げた。
確かに『アシュレイド侯爵ご夫妻が貴女を養女に迎えたいと希望されている』って聞こえた気がするんだけど……
違いますよね?
**********
女学校の卒業まであと僅かとなったある日、私はいつものように校門を出て辻馬車の乗り場に向かっていた。
「ピっ、ピピルちゃん!」
大きな叫び声で呼び止められて、誰かと思ったらお父さんの上司のマイヤーさんだった。かなり慌てた様子だったから、一瞬お父さんに何かあったのかと血の気が引いたんだけれど
「ピピルちゃんとお父さんに話があるって王宮からお客さんが来てる。このまま一緒に市庁舎に来てくれるかい?」
くれるかい?って言う割には有無を言わせずグイグイ乗ってきた馬車に乗せられた。
王宮からお客さんってどういうこと?身に覚えは無いけど、気付かぬうちに何か失礼な事をいたしたりしちゃっていたのかしら?もしくは何らかの法に触れること?いや、ホントに身に覚えは無いんですよ。でも万が一ってこともあったりする?
私が大混乱しているのに気がついたらしいマイヤーさんは、
「大丈夫、心配いらない。悪い話じゃないんだよ」
ってどうやらそう言いたいらしいが、マイヤーさん本人も大混乱していてすっかり取り乱していて。
よって意味不明。
結局何が何だかわからぬまま市庁舎に着いた。
マイヤーさんに連れられて通された部屋には、私の父と何となく見覚えがある恰幅の良いおじさん、それから見知らぬ若い男の人がいた。そしてルイースさんも。ルイースさんは父の部下で姉の婚約者なのだが、なんでここにいるのだろう?
戸惑っている私に恰幅の良いおじさんが父の隣に座るように促した。そういえばこのおじさん、多分市長さんだったなと思う。
「お待たせしました。こちらが娘のピピルです」
「突然お呼び立てして申し訳ありません。第四王子ファビアン殿下の補佐官を務めておりますジェフリー・ハイドナーです」
第四王子の補佐官???縁遠過ぎて全然ピンと来ない肩書だけれど、何らかの王宮の関係者だよね?言われてみれば市井では見掛けない洗練された雰囲気の甚だしく端正な顔立ちをしたとっても素敵な男性だ。すっきりと整えられた明るい茶色の髪、美しい緑色の瞳、膝の上のスラッと長い指をした両手。何気なく着こなしているが、身につけているのはいかにも質の良さそうな服だ。
で?補佐官さま、わたくしにどんなお沙汰を?
「突然の事で驚かれるでしょうが……」
男の人……ハイドナー氏はそこまで言うと私をじっと見つめて言いよどんでしまった。驚くも驚かないも聞かないと解らないのだから、とにかくさっさと要件を教えてくださいませ!とハイドナー氏の両肩を掴んで揺さぶりたい気持ちをググッと堪えて話の続きを待つ。そして、やっと耳にした要件だったのに……
何故だろう?聞いても何のことか全然解らないって。
***********
首を傾げて考えても何も頭に浮かばなかったので今度は父に顔を向けた。私の顔には『ねぇ、この人何言ってるかわかる?』って書いてあったに違いない。父達はきっと先に一通り話を聞いているのだろう。無言で頷くと私の背中を優しく撫でた。
え?それ、聞こえたままの意味で正解って事なの?
私達の様子を見て、ハイドナー氏は意を決したらしい。
「侯爵家の養女となっていただくのには理由がございます」
突然饒舌に話だした、というより嫌なことは早く終わらせたいって思っているように見える。
「侯爵令嬢となって然るべき教育を受けられた後、成人されるまでに社交界デビューをしていただきます」
うん、侯爵家の養女ならその流れは必然です。それに関しては市井の女学生でもわかりますよ。淑女教育無しじゃあ恥ずかしくてどこにも出せませんよね。
「更にその後ですが……」
何?この人また言葉に詰まっているの?ってことはよっぽど口にし辛い内容……
「第四王子ファビアン殿下は時期をみてピピル嬢を側室にお迎えになることを望まれていらっしゃいます」
「…………んっ?」
またしても意味が理解できなくて首を傾げた。
側室って……側室?第二婦人的ポジション?花も恥じらう齢17の乙女である私に側室になれとそうおっしゃっておられます?それ本気ですか?
そりゃ私、記憶が戻ってからこっちついつい思考がおばちゃん寄りになっちゃうことは否定出来ませんが、一応まだまだ未成年ですよ!それこそ法に触れるんじゃないの?
そもそも第四王子ファビアン殿下って誰だ?いや、流石にファビアンという名前の王子様の存在は認識している。でも口をきいたことはおろか、お目にかかったことも無いですよ。御尊顔すらぼんやりとしか浮かんで来ませんよ。どうしてそのような縁のないお方からそんなご希望がでるのでございましょうか?
ハイドナー氏、私の溢れんばかりの動揺に気がついたらしい。口調が諭すようにゆっくりしたものに変わった。
「現在殿下にはまだ正妃様がおられません。ご婚約もされておりませんし今のところご婚約者内定の予定もありません。慣例により側室を迎えられるのは正妃様との御成婚後とされております」
そうでしょうね。
もしも愛の無い政略結婚だったとしても、愛人が居るのがわかっている男のところに嫁ぐなんてハードルが高いにも程がある。それなら結婚して基盤が出来てから愛人が来た方がアドバンテージを得られるものね。
それは解ります。でもなんで面識すらない私なの???
そういうのはね、愛を育んだ二人が身分の差という大きな障壁を越えて結ばれる為の裏技なんだよ。育むも何も、私は第四王子なんて知らないってば。
ハイドナー氏、察しの良いタイプらしく私の脳内で展開されている疑問に答えて下さるらしい。
「ピピル嬢は先頃の女学校講堂の落成式で歌を披露されましたね」
「……」
はい、確かに。
私は再建された講堂のこけら落としで演奏するメンバーに選ばれた。それもソロパートのソリストとして。
前世で合唱部だった影響か小さい頃から一日中歌を歌っている子どもで、おまけに発声練習まで日課にしていたから歌が得意なのだ。それが女学校の音楽教師の目に留まり、個人的にレッスンを付けてくれていた。特に軽々と出す高音がいたく先生に気に入られソリストに指名されて歌ったけれど……。
で?それにどんな関係が?
「落成式に参列されていた殿下が歌を歌われるピピル嬢をご覧になり、そのお姿を見初められたとのことです」
え?歌ではなく歌う姿?
ただの女学生にしては規格外の高音を出しましたが、歌ではなく姿なの?
この平凡な容姿の市井の制服着用の小娘の姿にってそんなことあるの?歌の方がまだ価値がありはしませんか?
そんな考えが頭の中をグルグル巡っていたとき、ふとある記憶が浮かび上がってきた。
「………んっ!?」
三度目のこてん。でも今回のはちょっと違う。
第四王子って……第四って方に意識を引っ張られてしまいましたが……第四を外して単なる王子にしてみるとですよ……
もしかして……アレか?まさかアレ?アレってそんな……だってだって……
……アレなのぉぉ??
やっぱり身に覚え、あるといえばある、かも?
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