第2話 平凡が何より
特別な事は何もない。 婚約破棄を言い渡された訳でも理不尽に断罪された訳でもなく、高熱を出して生死をさ迷った訳でもなく頭を打って意識を失った訳でもない。ただ春の日差しの気持ち良さについうつらうつらとうたた寝をしてしまっただけだ。 そしてはっと目覚めた時には思い出していたのだ。前世の記憶というものを。
異世界転生……万が一それが現実に起きたとしたらそりゃもうものすごくドラマティックだろうと思っていた。けれどもあっさり当事者になってみたらそんなものは言うなれば単なる生まれ変わりだった。今生のこの世界は国王を君主とする国ではあるが魔法の王国ではない。ここはゲームの中でもノベルの中でもなく、ピンクや緑、水色の髪をした人もいないし、魔法を使いなんてお伽話の中にしか出てこない。
そして私は転生者であるならば王女さま……ではないにしろ、貴族の令嬢くらいにはなっていそうなものだが、王都近くの街の市庁舎に勤める役人を父に持つごく普通の娘として生まれ、もうすぐ17歳の誕生日を迎える。せめて金髪碧眼だったらなぁと思わないでもないけれど、残念ながらごくごくありふれた栗色の髪と瞳だ。ありがたい事に顔立ちはそこそこ整っている。ご近所さんから『美人さんね』って褒められる程度には、ではあるが。やたらと美形が多いこの世界では決して人目を引く程のものではないのだ。
転生したとはいえ特別な能力も無いようだし、何かの加護を受けているという気配もない。ゲームや小説の中の誰かになった訳じゃないからこの先何があるかなんて知らないし。実際に当事者になってみて実感したんだけど転生者って案外メリットがないのだ。それとも私が飛び抜けて残念な転生者なのかしら?
ごく普通の平凡な女の子。でもね、安定思考の私としては結局平凡が何よりだと思うのだ。
去年の今頃は前世の記憶なんてものを思い出してしまって戸惑うなんてものじゃない、どうしたら良いのか途方に暮れた。うん、三日ほどは。もう一度寝て起きたらほーらやっぱり夢でした!っていうオチにならないかなぁと思ったけれどそうはならず、どうもこれは逃れられないらしいなと腹を括った。度胸は有るし切り替えも早いの、だって結構前世で人生経験積んでいるからね。
こうなってしまったからには仕方がないと諦めて受け入れてしまうのが最善策だと思うのだ。
もしも私が記憶を取り戻した時に今までの記憶を無くしていたり、誰かに憑依するかのように意識だけが移るような転生だとしたら…… 変に責任感の強い私は、初めの身体の持ち主に気を遣い持ち主の意にかなう行動をしなければとがむしゃらになって疲れ果ててしまうだろうし、それじゃあ今、何のために生きているかよくわからなくなってしまいそうだ。だからそうじゃなかったのは心底本当にホッとしている。
幸いわたしは私として生まれ17年近くを生きてきた。それに前世の記憶が加わっただけ。融合と言えば良いのかな?
生まれた時からわたしは私。わたしの進む道は私が選んでも大丈夫。
人生山も谷も極力少なくなだらかで平穏が1番、転生者だからって冒険なんてややこしいものはいらない、と私は主張したい。私は今生のこの世界で、平凡かつ堅実で幸せな人生を全うすることに全力を注ぐ事に決めたのだ。
今だって平凡なりに幸せだ。 愛情を注いでくれる両親と友達みたいな3歳年上の姉。平民だけれど父は安定した職業だ。贅沢な暮らしじゃないけれど生活水準は決して低くない。食べるものも着るものも普通に満たされているし特に不満は無い。
ただ、ね。一つだけ言いたい。
姉の名前はフェアリーヌという。なのに私の名前は何故『ピピル』なのかな。ピピルって……あんまりよね。
姉の名前は父が名付けた。私の名前は……母が考えたそうだ。何処かの国のお伽話に出てくる妖精の名前なんだそうだ。詳しい事はよく覚えておらず、響きの可愛さだけが頭に残っていたんですと。
いかにもだ。いかにも母らしい。
この母は明るく優しく愛情深い良い人なのではあるがいくらなんでもおおらかで済まされる範疇を超えていて、適当、というか雑、というか、どうにかなるよね!という楽観的が行きすぎている感が強い。小さな子どもながらにハラハラさせられる事が多かったけれど、記憶を取り戻してからというものその危なっかしさにハラハラどころかドキドキの連続だ。
だって……
私が取り戻したのは前世の50歳までの記憶で、この脳天気な母はそれよりも年下なのだから。
今ここに存在している私は生まれ変わりなのだろう。ということは、元の私は死んでしまったんだと思う。
50歳の自分の記憶はある、でもその先は何もない。病気になったり療養したりした覚えは無いので、多分事故にしろ何にしろある日突然の事だったんだろうな。ショックが大き過ぎて何が起こったのか記憶から消し去ってしまったのかも知れない。
私は専業主婦で成人している息子達がいた。2回も留年してヤキモキした長男はどうにか大学を卒業して就職し、次男は本命ではないものの希望の大学に通い、子育ても終わってやれやれといったところで。特に幸せを感じる事も無いけれど不幸でも無い、平穏ななんともない毎日を送っていた。
50歳から15歳って随分な振り幅だ。若い身体を手に入れて嬉しい?いえいえ、ひたすら面倒くさいばかりです。
姉のフェアリーヌちゃんは13.4歳の頃から引っ切り無しに恋人がいて、わたしの歳にはもう婚約し再来月には結婚式を挙げる。18歳で成人するこの国では20歳でお嫁に行くのはものすごく平均的。 でも私は全くと言って良いほど恋愛に憧れが無く全然その気になれなかった。わかりやすく言うと恋愛に関する感情が枯れていた。キャッキャとはしゃぎながら前世で言うところの『恋バナ』をする姉や友人を見てもなんか可愛いねぇって思うだけ。どうやら記憶が無くてもそういうことはもうたくさん!っていう感覚はあったらしい。
息子達も成人し一応子育てが終わったようなものでやっと肩の荷が下りたのだ。子どもを身篭り出産し赤ちゃんから大人になるまで育てるのがどれ程大変なことか。生まれ変わったからってまたあの苦労をするなんて酷すぎるんじゃないかしら?私、精一杯頑張ってきたんだもの。一度の人生だと信じているからこそそんな苦労の日々も幸せに感じるのであって、つまりどうか今生では勘弁して頂きたいのよ。
その上今更ウブな初恋の惚れた腫れたからやり直すなんてゾッとする。
ピピルは自立した女性として、平凡ながらも一人強く逞しく生きて行くのだ。茨の道ではあるけれどきっと大丈夫、どんな困難も乗り越えてみせる。
だって私には50年の人生経験という人並み外れた経験値があるのだから。
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