第31話 帰郷の空1
連絡船乗り場の正面、漁村センターに隣接して犬床島の診療所がある。
四国本島から週に三日、医師と看護師がやってくるが、診察は昼間だけで、夜間は無人の別荘のように静かに波音を聞いているだけである。
だが、この夜は違った。
砂利の敷かれた横の空き地は、緩やかにローターを回転させるヘリコプター二機が占め、周囲には物々しい装いの自衛官や海上保安官が立っている。
島民たちは「爆発と停電騒ぎの次は何ごとぞ」とこぞって顔を出し、事の成り行きを見守っている。
「それで、娘の状態は?」
新本教諭が、医療担当の自衛官に硬い表情で尋ねた。
室内は数台のポータブル発電機によって煌々と明かりが灯されている。扇風機の風が当たっているが、教諭の額から流れ出る汗が止まる様子はない。
「大丈夫です」
聴診器を耳元から外しながら自衛官が答えた。
「筋肉は弛緩していますが、外傷はなく、血圧、脈拍、体温ともに正常です。打たれた眠剤によって眠っているだけだと判断されます。それよりも、あなた自身の怪我は?」
「いや、わしはなんにも」
本人には覚えがないようだが、危険回避のために水沢刑事から一発喰らった所なのだろう、教諭はたるんだ腹の上を押さえながら、誠の座るソファーの横に腰掛けた。
診察室には、元々あった二台のベッドに加えて簡易ベッドが広げられている。幼い小百合の他に、水沢刑事と伊藤操縦士が横になっていた。
誠は、眠れる女性刑事とともに診療所に着いたのだが、既に明かりは灯り、港近くに倒れていた伊藤操縦士が運び込まれていた。時を同じく、宿舎で目覚めた新本教諭が、ただならぬ娘の状態に気がついて、「救いよ、ここに」と小さな体を抱き締めながら飛び込んできたのである。
「三井よ、いったい何があった。校庭に転がっていた連中は何者だ」
誠に手渡されたカメラを見つめながら、教諭がぼそりと聞いた。事件の背後で、誠とベッドに横たわる水沢、伊藤が関わっていることに気付いている様子だった。
「それは…」
「いや、いいんだ。皆が無事だったのだから」
言葉に詰まった誠に、気持ちを切り換えた教諭が軽く手を振った。
「すみません。カメラを傷つけてしまって」
「SD記憶カードは抜き取られ、バッテリーの残りも僅か。こいつ、だいぶ活躍したようだな」
黒いボディの傷に刻まれたメッセージを読み込むように、教諭は指先を回した。
「ええ、本当に助けてもらいました」
誠はカメラに腕を伸ばし、フラッシュ部をそっと撫でた。
とにかく皆の安全は確認された。次の行動に移る時だった。
「僕、用がありますので」
誠は丁寧に頭を下げながら、立ち上がった
「用?それはリアルなデジャブか、それとも生きた現実か」
「まさに生きた現実です」
教諭はふーと長い息を吐いた。汗がてらつく額の下の目がそっと微笑んだ。
「行ってき」
「はい」
診療所の外に出た誠の耳に、遠雷のような轟きが聞こえてきた。赤い点滅が島の上空に接近している。
『もう少し待って下さい。今から降下地点に向かいます』
思考を飛ばしながら、防波堤の脇の道を走った。
途中、丘の中腹にある学校から二機のヘリが飛び立ち、尾翼灯を点滅させながら、北西の空に消えていった。
「ここから先は立入禁止だよ」
坂にさしかかったところで自衛隊員らに道を塞がれた。
「C1機の搭乗員から学校に行くように指示を受けたのですが」
言いながら誠は、上方を指さした。
「その搭乗員の名は」
「橘健司さん」
この場で教官とよんでよいものか迷い、さん付けした。
「ふむ。それで君の名は?」
「三井誠といいます」
「よし、連絡は受けている。さあ、通りたまえ」
余計な言葉を省いた小気味よい対応だった。勘繰りはあったかも知れないが、別にこちらから思考を探る必要はなかった。
『?』
再び走り出しながら、誠はおかしな事に気がついた。
『今、僕は自衛官たちの生体波動が見えてなかった。そういえば診療所では、新本先生の波動を見ながらも、むしろ表情や息遣いを強く感じていた』
振り返れば、自衛官らの鮮やかに揺らめく生体波動が視界の端に映った。
『見えなかったんじゃない。見ながらも、彼らの動作や声音に、同等に注意を向けていたんだ』
こんなことは初めてだった。
能力者にとって他人の生体波動を見ることは、普通の人が、表情や声音を見聞きするのと同じように第一義的な知覚なのだ。おそらく能力の封印によって、知覚の優先順位がばらけて均等化し、相互に力が強まったのに違いない。
人は何かを失った時、空虚感を埋めようと悶え苦しむ。その一方で、これまで意識していなかったものに価値を見出すようになる。そして失っていたものを取り戻した時、全てがネットワークを形成し、等しく掛け替えのないものであることに気づくようになる。
『そう、能力で感じることも、五感で感じることも、この島での経験も、そしてこれから再会する橘教官も、総てが掛け替えのないもの』
「ひゃっほー!」
やたらに嬉しくなった。自分でもおかしなぐらい馬鹿げた声を張り上げながら、坂を、石段を駆け昇った。
「君、大丈夫かね」
常軌を逸した陽気さで、校庭に走り込んできた誠に、幾条ものフラッシュライトが当てられた。
「はい、まったく」
いったん深呼吸し、眠っているサイバーコンドルたちを見張る自衛官らに声をかけた。
「今から、C1機からこの場所へのパラシュート降下があります。手持ちのライトを消して端に寄って下さい」
「連絡は受けているが、ライトなしで?そりゃ無茶だ。光をつけて降下地点を示さなければ」
間近にいた自衛官が、手に何も持たない誠を見て口を開いた。
「フラッシュライトでは眩惑して、かえって地上との距離感をなくします。お願いします」
「しかし…」
「いや、我々はパラシュート降下に関して、この青年に一任するように指示を受けている。それに省内では、闇の中での降下ができる一団があるとの噂もある。彼に任せるんだ」
この場の上官とおぼしき人が歩み出て、鋭く言葉を結んだ。
「ありがとうございます」
自衛官らが退く一方、校庭の中央に足を進めた誠は、自分の個性である青色の固有波動を、水平の円を描くように均等に放射した。
上空を旋回していた輸送機の赤い点滅が一旦離れ、Uターンして頭上上空に接近してきた。
『教官、見えますか』
『ああ勿論。大切な教え子の波動を見間違えるはずがない。よっしゃ、やる気 充填完了だ。いくぞ』
「おう、こい!」
頭の中でがなりたてる声に負けじと、誠は大声を投げ上げた。
赤い点滅が遠離っていく。
星々を抱く濃紺の天球に、白い花のようなパラシュートが開いた。
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