第30話 目覚め3
身体じゅうから汗が吹き出していた。向かってくる敵はもはやいない。
誠は、風を入れるようにTシャツの首を引いてはたはたと振り、用のなくなった吹き矢のベルトを外して遠くに投げた。
深く息を吸いながら、夜空を眺めていると、どこからともなくロープを振り回すような風切り音が聞こえ始めた。
と、突然、夜空の一角から三条の光線が照射された。光線は獲物の肉を削ぐ猛獣の舌のように丘を撫でながら、果樹園に近づいてくる。目と耳を提供してくれた梟たちは、どこかに飛び去った。
『来たな、空挺団』
『ウィスパー(消音)モードで接近してくれたようです』
『で、えーと…』
果樹園を見る誠の視線を読んだ橘教官の思考が途切れた。
『ヘリの機内では敵との戦いに、熱い血潮がたぎっている。だが、なんとも平和な光景じゃないか。せめて、変な高校生相手の演習に切り換えようか』
『それならそれで』
思考に般若の仮面のイメージを描いて返した。
『冗談冗談、それでは後で』
笑い声が頭の内に響いた。
三機のヘリコプターが斜め上空でホバリングしていた。照射されるサーチライトに浮かび上がった光景は、夜の公園とも呼べるように静かなものだった。
男たちは木々の幹に身をもたれ、あるいは地面にへたり込んでいる。時に立ち上がろうとする者もいるが、襲いかかる眠気にはかなわず、ふらついてまた倒れている。吹き矢に塗られていた眠剤の効果は確かだった。
正面に濃灰色の波動があった。カドワキという男が
その波動が鋭く前に突出した。
シュッ!
吹き矢の狙いは正確だった。いつも通りの速度もあったかもしれない。だが、誠の反応速度は明らかにそれを超えていた。上体を斜めに捻りながら、首があった所を通過しようとする吹き矢を、人指し指と中指で摘み取った。
『彼…彼そのものが、国家機密…』
カドワキは非常識とも言える誠の運動能力を目の当たりにして納得したようだった。ニヤリと笑って首を垂れた。
「サイバーコンドル、本部への連絡は?」
誠は足早に歩み寄り、カドワキの耳元で声をかけた。
「・・」
既に眠っているため返事はない。が、脳の記憶回路は僅かに反応し、ドット数の変化する映像を示した。
-- -- --
「君ぃ」
軽い見下しを含んだ低い声が聞こえた。
そこは霞ヶ関のどこかのビルの一室だった。壁面に広くとられた窓には、官庁ビル群と東京タワーがのぞいている。陽光の薄く伸びる黒革のソファーには、波動観察の授業で観た国会中継で答弁していた閣僚や高級官僚の顔が見えた。
「我らは君とは面識がないが」そのうちの一人が話し、「確かにそうだ。俺とあんた達は表立っては面識がない」
カドワキの思考が頷いた
-- -- --
誠の問いかけによって映し出された映像は、政府の要人が集う一室だった。
そのような所に悪の本拠地があるものだろうか。しかし、無意識の映像は噓をつかない。間違いない、その一室こそがサイバーコンドルの本部なのだ。
彼ら政府要人は、自らの手を汚さず、実行部隊を介して、国家や企業の機密情報を第三国に流しているのだ。
金銭の報酬に加えて、彼らが得ているのは、国家間の微妙な緊張バランスというものなのだろう。同様に、他国の機密情報も手に入れているのにちがいない。
謎の犯罪集団、サイバーコンドル…
水沢刑事ら現場の警察官が追いかけているのは、トカゲの尻尾なのだ。切ったところでまた生えてくる。そして、ポストで成り立つ本体組織は、人を変えながら生き続ける。
『闇に潜めしパンドラの箱…』
それは個人の思考から企業、政府機関、あらゆる所に存在する。決して開けてはならず、陽の光の下に持ち出してもいけない。釈然としないことだが、空しい気持ちは起こらなかった。
『能力者の見る現実と同じだ。幼い時から嫌というほど味わってきた。のぞき見えた深い闇に、わざわざ足を運んで迷子になってはいけない。行かなくてはならない時…それは希望の
誠は思った。
「君、大丈夫かね」
空挺隊員の一人が駆け寄ってきた。他の隊員たちも、地上に投げ落とされたロープを伝い、次々と降りてきている。
「はい」
誠は答えた。背中と腹部に鈍痛が残っているが大したことではなかった。
「君がテロ集団の人質になっていたという?」
(そのわりには元気だ。偽装ではないか?武器所持は?)
迷彩服の隊員は、誠と、隣に横たわる男に視線を配った。いつでも構えられるように肩にかけた九ミリ機銃には手が掛けられている。
「三井誠です」
答えながら、武器所持の疑念をはらすように空の両腕を広げた。
「テロ集団はどうしたね?」
(偽装ではない。だが、眠りこけているこの連中はいったい…)
「別件で海上保安庁のヘリがやってきて、テロ集団内で情報が混乱したようです。観念して、自分たちで眠剤を塗った針を打っていました」
「なるほど、で負傷者は?」
「あちらの木陰に女性の刑事さんが、それと丘の中腹の学校の宿舎に二人と、港近くに一人」
「了解」
疑念は解消されたようだった。誠に声をかけた空挺隊員は、振り返りながら他の隊員と上空のヘリに手振りの指示を伝えた。
二十人余りの屈強な男たちは、この場に五名を残し、あとは港と学校へと丘を降りていった。眠っている男たちは、後手に捕縄をかけられながら、一つ箇所に引きずられていく。
ヘリは一機を残し、クルーザーの停泊している磯辺に向かった
「あのぅ、僕はどうしたら?」
声をかけてきた隊員に誠は尋ねた。
「負傷者を迎える準備をしたい。ヘリに搭乗して診療所まで案内してくれるか」
「わかりました」
誠は頷いた。
果樹園の作業用の空き地に着陸しているヘリに向かいながら、地面に転がっていたカメラを拾った。
『後で先生に返せる復元可能なデータが残っていますように』
祈りながら、カメラからSD記憶カードを抜き取った。
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