第29話 目覚め2
男達は暗視ゴーグルを装着して散り始めた。
ダ ダダ ダダ ダダ・・
誠の耳奥にトタン屋根を打つ大粒の雨のような音が響きはじめた。
ネズミの足音さえも感知する
『うう、ややこしい。知覚を借りる梟を絞らなければ』
混乱しながらも意識を横に向けた。
シュッ!
短い音がした。薄い星明かりの下を白い線が走った。その先を自分が走っている。
『来るのは、右肩』
左に折れて走った。直進方向に垂れていた木の葉に吹き矢が当たり、小さく音を立てた。
『三井、とにかく身を隠せ!』
頭にガツンと思考波が飛んできた。
『言われなくても分かってる!』
『うへー、こわー』
懐かしい橘教官の声だった。
体育館の裏で感じた声も、そうだったのに違いない。
能力が戻った今、教官が得意とする遠隔思考交信をはっきりと受信できているのだ。それにしても明瞭度がすこぶるよかった。教官は、東京八王子の学校ではなく、近くに来ているのか…
吹き矢の風を切る音はその後も続いた。その度に誠は僅かに体をねじって進んだ。近くから見ているわけではないのに梟の輻輳視による遠近感は、ミリ単位で正確だった。そうでなければ、ヒラヒラと飛翔するコウモリや昆虫を捕獲することはできないに違いない。
正面に電波塔が見えてきた。普段は赤く点滅しているが、電流が止まっているため、黒い鉄骨を静かに夜空に伸ばしているだけである。回り込んで、1メートル程の高さのコンクリ土台を盾にして一旦止まった。
『進む先に敵は?』
生体波動は感じられなかった。念のために首をゆっくりと回し、前方に知覚を同調させてくれる梟を探した。
『!』
二時の方向、三十メートル以上離れた所から、闇をのぞく自分の姿が見えた。つがい、あるいは親子の梟がいるのか。僅かな時間差を置いて2つ知覚の宿り先を得ることができる。うまく使うと立体視がより強調される。この先には敵はいない。深く息を吸い、呼吸を調整した。
『三井!山口の陸上自衛隊空挺団の出動命令が出た。あと30分、持ち堪えろ』
まるで、僅かな時間の休息を見定めたようなタイミングで、橘教官の声が飛んできた。
『教官、今どこに』
『ちょうどC1機で東京上空に舞い上がったところだ。そっちへの到達までは約1時間かかる』
…金井教官は?疑問が走った。
『夏休みなのに帰省しない不真面な先輩を見習う生徒が多く出て、寮を空けられないんだ。それに僕との合同作戦は、しばらく控えたいとのことだ』
「ふっ」
学校は変わっていないらしい。篠田と斉藤はいつもの通りで、二人の教官の表向きの関係は平行線のままなのだ。
『ん?橘教官、どうして積極的に送っていないこちらの思考が読めたのか。たとえ遠隔交信のエキスパートでも、五百キロ以上も離れていて、軽く浮かんだ思考を読むのは不可能なはず』
『あれだよ。WOHの事件の時、おまえの波動にくっついていた時があっただろう。あれから、双子の兄弟みたいに感受性が高まってしまったんだ。金井教官は思考波にマナー扉というおかしなものを作って対処しているが、僕たちも作らんといかんな』
『へいへい』
誠は得心した。それで橘教官の思考波の明瞭度がよくなったわけだ。
『まあ、そういうことだ。短く経過を伝えてくれ』
『了解』
誠は夕方からの出来事を、高速のスライド映写のように心に投影した。その一方、土にめり込んでいる小石を掘り出し、
『ふむふむ、それで三井は目覚めたというわけか。さすが、ベテランの実戦家だ』
事件の概要をつかんだ教官の声が返った。
『え?』
『伊藤さんのことだよ。彼は電波塔への電流を切り、鳥を空に招いて、おまえの能力が再開するきっかけを作ったんだ。よっしゃ、わかった。敵の総数は約50人。大型クルーザーを二隻所有。空挺団に伝える』
『僕の能力再開のきっかけは、鳥を空に招いたこと。そうだった』
誠は頷いた。
これまで誠にとって必要なのは、イーエス能力を用いず、空を舞う鳥にも出会うことのない日常生活を送ることだった。あのWOHの事件は、脳にあまりにも負担をかけていたのだ。誠の生体波動は、無秩序に分裂して鳥の知覚に宿るようになってしまい精神が崩壊しかけたのだ。
それで転地療養の場所として犬床島が選ばれた。自然と人情に溢れるこの島は、携帯通信用の電波塔を建てて以来、空を舞う鳥が寄りつかなくなっていた。そして、果樹園を
《君の精神を守るため、イーエス能力に鍵をかけ、記憶を一部書き換える。また居住地を瀬戸内の島に変更してもらう》
朦朧とする意識の中で、誠は日本イーエス委員会長の宣告にうなずいた。さらに防衛大臣の許可の下、家族や新本教諭など関係諸氏の記憶に味付けがされ、今日に至ったのだ。
『!』
前方の梟が人間の殺気を察知した。その視線を借りながら、左手で小石を五つばかり握り、コンクリートの土台から身を乗り出した。
…ふふ、丸見えだ、若造…
十メートルに満たない先で、勝利を確信した敵の波動がぬらぬらと広がった。
『狙いは目』
右手のスナップをいっぱいに効かせ、生体波動と重なった白黒映像の中の人間の顔面に礫を投げた。
ゴツッと硬い反響音。暗視ゴーグルに命中した音が響いた。
…あっ、あ…
理解不能の状況に敵の思考は言葉を失い、波動は広がったまま硬直した。
『いけるぞ』
誠は手にした礫を次々と放った。手元が空になったら、補充するためにコンクリートの陰に戻った。狙いが外れたものもあったのだろう、気づけば、掘り出していた二十個あまりの小石はなくなっていた。
「ようし、仕上げだ!」
声を張り上げ、ベルトの吹き矢を引き抜きながら、盲目となった男たちの間に走り出た。
『ゆけー、弟分よ!』
声援がやかましく頭に響いた。
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