第28話 目覚め1

蹴り込まれた腹部が熱を帯びてうずいていた。

タッ タッ タッ タッ ・・

敵の手に渡ったカメラのストロボ光が、瞼を貫いて朱色に刺さってくる。


「ふっふ 捕まえてみれば、華奢な高校生ではないか」

低い声が聞こえた。落ち着いた口調からリーダー格のようだ。続いて、部下らしい男たちの不気味な含み笑いが周囲にあふれた。

「それで、重要人物の三井君、どうするね。これから我らの船に乗ってもらうのだが、起きたまま引きずって行こうか。それとも眠ってから行こうか」

「水沢さんはどうした」

誠はうめいた。

「心配はいらない。打撲と強い眠剤との抱き合わせだが、一日もあれば目を覚ますだろう。きっと喜ぶだろうよ。追いかけてきた君と船上で再会できるのだからね」

「彼女は関係ないはずだ」

「いやいや、せっかくの公安の敏腕刑事を手に入れたのだ。君の握るWOH衛星の秘密ほどの価値はないだろうが、商品となる情報をたくさん持っているはずだ。それを聞きださないのは勿体ないというものだ。さあ、どうする。ちょうど吹き矢を腰に巻いているから、自分で打って眠っていくかね」

「…」

とりあえず誠は安心した。水沢刑事の命に別条はない。それに語られた言葉には、伊藤管理人の名前はなかった。


「うっ!」

突然、激しい吐き気が襲ってきた。瞳の奥に届くストロボの光が、朱、黄、緑、青…境目のない多彩色となって飛び交い始めている。頭が割れそうに痛い。

「くう」

顔面から足の指先まで、あらゆる筋肉が引きつって震えだした。

『何が起こっている!?』

全くの矛盾だった。頭の内側に、苦しみ喘ぐ自分を見つめる醒めた意識があった。


・・・ ・・・ ・・・


『これは?』

醒めた意識の目前に、雪に覆われた山嶺さんれいの映像が現れた。

自分は翼を持つ者か、吹きすさぶ風にあおられながらも、一際高くそびえる頂きを目指して羽ばたいている。

『あの頂きに僕が探しているものがある』

誠は悟った。

『僕は今、鳥として自分の精神の内界を羽ばたいている!』


恐らく浴びせ続けられたストロボ光により、脳波が変調をきたし、無意識の扉を開くことになったのだ。そして、これまで封印されていたものに接近できるようになったのだ。


険しい頂きが近づいてきた。白く凍り付いた岩の上で褐色の塊が動いた。犬歯の異常に発達した大型の虎。それは太古の獣、サーベルタイガーだった。その喉元は、異物を飲み込んでいるように膨れている。


…帰れ、平穏なる日常へ…

サーベルタイガーが吠えた。


…帰らない、僕が探している物を手に入れるまでは…


…よいのか、それがおまえをむしばむものであっても…

サーベルタイガーは長い牙をさらに剥き出した。


…いい。それは掛け替えのない自分の一部…

鳥である誠は高く鳴いた


…ならば我から奪い取れ!…

サーベルタイガーは低く身構えた。


誠は一旦、紺碧に広がる大空に舞い上がった。

『アレは奴のふくれた喉の奥にある』

翼をひるがえして鋭角にたたんだ。くちばしをヤジリのように鋭く保ち、急降下していく。

サーベルタイガーの二本の牙が、突き刺す獲物を待つように開いた。その赤黒く開いた喉の奥に、漆黒の球がのぞいた。


『あれが封印された僕』

嘴を雷光の刃と化し、誠は獣の口に突っ込んだ。


ガジッ!!!

激烈な衝撃とともに獣の牙が誠の体を串刺しにした。

が、同時に誠の嘴は、獣の喉の奥にあった漆黒の球に深い穴を穿うがった。球は粉々に砕け、中から放射された無数の青い光が獣の体を引き裂いた。

獣の牙から自由になった誠は、青い光を放つ小さな塊をしっかりと鉤爪で掴んだ。


『これぞ僕自身。僕は目覚めた!!』


・・・ ・・・ ・・・


意識が一つに戻った。まだ体中の筋肉はぎこちなくきしみ、呼吸はひどく浅かった。精神内界での体験は、ベッドから落ちる時の夢のように僅かな間のことだったらしい。


「どうしたね (さてはストロボ光でテンカンを引き起こしたか)」

落ち着いた声が思考と混じって聞こえた。カメラのストロボの点滅は既に止まっている。

横たわる誠の正面に、粘ついた濃灰色の固有波動が微かに震えながら伸縮していた。思いもよらない誠の苦しみぶりに、多少なり動揺した様子だった。その一方で、周囲にうごめく様々な色の波動が、野火のようにじりじりと迫っている。


…やべえ、さっき強く蹴り過ぎたか、いや、きっと下手な演技だ…

…カドワキさん、何をしてる…

…じれってえ、早いとこ、若造と女を船に乗っけてズラかろうぜ…


久しぶりの思考受信だった。まるでチャンネルの違うTVを一斉につけたかのようだ。誠は、頭全体に響く幾多の騒がしい声を脇に置いた。


『敵は?』

薄く目を開いた。呼吸は徐々に落ち着いてきているが、ストロボ光を浴び続けていた瞳の暗さへの順応はまだだった。見えているのは、敵の揺らめく生体波動、ざっとしか分からないが、十人余りが周囲を囲んで…

『いや、見える!』

生体波動と重なりながら、違う視点からのもう一つの映像が見えてきた。


木々の合間に人間たちが立っていた。中心に横たわっているのは自分だ。色彩のない白黒の映像だが、自分のTシャツの肩口に縫われたメーカーのロゴマークまではっきり見えた。

違う視点に切り替わった。角度を変えながらも同じ状況が見えた。敵の数は十二人。港への降り口に近い所には、幹にもたれて座り、動かない人がいる。水沢刑事だ。


闇の狩人

…果樹園に棲まう数羽のふくろうが、今、誠に【目】を提供してくれていた。


「落ち着いたようだね。さあ、どうするね」

小型のフラッシュライトをつけながら男が尋ねた。

「眠っていく」

「ならば自分で吹き矢の針を刺したまえ。あまり時間がない、二本使いなさい(ま、逃げ出したとしても至近距離だ。絶対に外しはしまい、なあ、ニシハラ?)」

正面にいるカドワキという男の波動が横に伸びた。二メートルほど離れた所から別の男の茶褐色の波動が鋭く伸びてきた。ニシハラという男が吹き矢を向けていた。


誠は片膝をついて座り、ベルトに装填されていた吹き矢を、二本引き抜いた。

『体はいけるか?いくしかない』


「カドワキさんとニシハラさん!!」

誠はおもむろに声を張り上げた。


周囲にうごめいていた波動が凍りついたように固まった。名前を呼ばれた正面の男と吹き矢を構えていた男の波動が、驚愕と当惑の感情を交わした。

『今だ!』

梟の目の映像を読みながら、膝を立てていた右足に渾身の力を込めた。斜めに伸び上がり、吹き矢を構えた男の首筋に二本の針を打ち込んだ。そのまま敵の生体波動の隙間を目指して飛び出した。

… … …

走り始めた細い人影は、木々の間を縫うように進み、時に、地面近くに張られたロープを巧みに超えている。

『走る影は僕自身だ。この映像は、どこか樹の枝にとまっている梟が見ているもの』

誠は、外部からのモニター映像を、自分の体の動きと見事に調和させていた。下宿でしていた複数の鏡を見ながらのジャグリングが、まさに実戦で効果を発揮していた。


『あなたは、このことを予見していたのか』

伊藤操縦士…大空を駆ける仕事から離れ、三ヶ月あまりも自分の面倒を看てくれていた。

『また一緒に空を飛びたい』

誠は心の底から思った。


「捕まえろ。躊躇せずに吹き矢を放て。打ち倒しても構わん」

闇に浮かび上がった白黒の世界に鋭い声が流れた。


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