第26話 ミラーニューロン1

土埃が舞っていた。

軍隊仕様の編上靴だろう、荒いソールが急停止して滑り、溝に噛んだ乾いた土を吐き出している。前方約六十メートル、黒服の男たちは瞳孔にねじり込まれた光の矢に喘ぎながら、暗視ゴーグルを外そうとしきりに頭を揺すっていた。


タッ タッ タッ タッ・・

ゼロコンマ約五秒で続くシャッター音と光の瞬き…カメラを握る誠の十歩あまり先を、消え現れながら水沢刑事が走っていく。はためく白いワンピースが、時に羽衣のように見える。

と、その姿が高く跳ね上がった。身長一六〇センチほどの細い体が、一八〇センチを超える圧倒的な体格差のある男に襲いかかった。鳩尾みぞおちへの膝蹴りと同時に繰り出されるナイフの柄での頚部への強打。男は声も出さずに仰向けに倒れ込んだ。


「三井さん、敵のベルトを!」

誠は、気絶した男の腰から、吹き矢が装填されたベルトを外し、新たな敵を倒したばかりの水沢に手渡した。

「ありがとう」

息が弾んでいた。放射されるストロボ光を斜めに受け、水沢の瞳は熱く輝いていた。

「後方支援、頼むわね」

短く言い、ナイフをくわえてひるがえした。


水沢から、力技はもはや繰り出されなかった。点滅する光の舞台を優雅に移動していく。上肢がしなやかに伸び、白い手が、にわか盲目となった男たちの首を撫でていく。指先には吹き矢の細い針が光っている。

ギリシア神話に登場する戦の女神、アテナーを彷彿とさせた。口元に煌めくナイフの切っ先が、この世ならぬ美しさの演出を高めている。

女神アテナーは、自らに課した処女の誓いを守ろうと、言い寄る男性神をかわし続けた。水沢刑事が守ろうとしているのは…自身の姉への愛、姉の恋人についての情報を握る誠、刑事の職責…そして宿舎から飛び出したところから察すれば、新本教諭と娘の安全も考えているに違いない。


誠は美しさに胸を打たれながらも、全身の筋肉をぴりぴりと刺す脈動を感じていた。

ミラーニューロンからの刺激…どこかで習った専門用語が脳裏をよぎった。

人の運動神経は、体に染みついた運動を外に知覚すると、自分もしているように筋肉へ信号を送る。目の前で展開されている戦闘時の体術は、身近なものとして誠の体に刻まれているのだ。

誠は、いま一人倒れようとする男の腰に、ひらりと手を伸ばし、斜めにかしぐ肉体の重みを利用してベルトを奪い、自分の腰に回した。


「散れ!奴らは我らの吹き矢を使っている。散るんだ!」

怒号が飛んだ。吹き矢の針を首筋に刺されたことに気付いた男だった。目をつぶりながらストロボ光を手掛かりに突進してくる。誠はその男の足を素早く払って場所を移動した。


二人が宿舎から飛び出してから、一分ほど経っただろうか、男たちは当初の混乱を脱したようだった。おぼつかない足取りで後方に散開していく。


「ふー、奇襲は成功」

走り寄ってきた水沢刑事が額を拭った。だいぶ汗をかいているようだ。オレンジに似た柑橘系の香りが漂った。誠はシャッターボタンから指を離した。

「これから、どうしたら」

当然、この場に留まっているのは危険だった。口を開きながらも、二人は校門と反対の方向に走り出していた。

「学校からの抜け道は?」

後ろを走る水沢刑事が聞いた。

「体育館裏に丘の上に続く道が…そこから港まで下る細い農道があります」

二人は、宿舎と校舎の間に建つ体育館に向かった。


体育館の裏手、湿った草の香りの中で、二人は一旦止まった。念のために周囲にストロボライト掃射をしたが、呻き声や怪しいざわめきは聞こえなかった。

「敵は残り、どのくらいでしょう?」

誠は聞いた。

「大方15人というところかしら、他は眠りに落ちているはず。暗視ゴーグルも回路が焼き切れてしまったものが多いんじゃないかしら。でも油断は禁物よ」

水沢刑事の声は乾きながらも暗さはなかった。同伴する誠の身体能力の高さに、今後の展開の明るさを見たのかも知れない。

確かに正面の敵の数は半減した。だが、この先に待ち構えるかも知れない敵については見当もつかない。さらに今後は、かなり気を引き締めてかかってくる。水沢刑事の消費したエネルギーといい、戦況が有利になっているとは言い難い。守り守られる者の立場を超えての協働きょうどう、それが何よりも重要だった。


『僕も守る、自分と、封印された僕の記憶を訪ねてきた女性を』

誠は深く息を吸いながら空を見上げた。月は出ていない。薄くたなびく雲の合間に、微かに星が見えた。

『鳥の目…』

自分が持っているだろう特殊な能力が、再び敵の動向を映してくれることを望んだ。が、今は、空を舞う鳥がいないからか、何も見えなかった。

『そもそもこの島にきてから、鳥というものを見ていなかったような気がする。気のせいか…』


「さっき、ライターを持っていたわよね、高校生戦士さん」

水沢刑事が聞いた。

「ええ」

戦士という呼び名に苦笑いしながら、誠はジーンズのポケットから、先ほど用いたライターを取り出した。

「とりあえず、これで灯りをと」

水沢刑事は手近な灌木の枝をナイフで切り折り、その先に腰から引き出したハンカチでライターを結わえた。

「先に進みますか」

「ええ。でもその前に、我々の足取りを教えておきましょう」

意図は読めた。宿舎で眠る二人に迷惑をかけないためだ。

「はい」

誠はグラウンドに向けて光を放った。捉える対象のないストロボの明滅…明滅…


[ダイジョウブカ、ミツイ]

一瞬だった。自問のような言葉が頭を掠めた。


『だめだ、こんな時にぼっとしては!』

頭を振った。

と、光の放出が止まった。カメラ上面のデジタル表示が赤く点滅している。撮影データが一杯になったのだ。

『仕方ない』

新本教諭への後ろめたさも覚えながらも、これまでの撮影データを削除した。


ジュッ!

枝の先につけたライターを点火した水沢刑事は、ガスが出続けるように、火打ち石と押口の間に木片を挟んだ。

「暴発するかもよ」

「その時は、その時でということで」


二人は丘の上へと続く茂みの間の小道に足を向けた。

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