第25話 サイバーコンドル2

陽は既に沈んでいる。暗闇に近い室内で、女性は誠から受話器を取り上げて耳に当てた。

「音が聞こえない。電力がストップしているわ。やったのは奴ら、それとも伊藤さん?」

『いったい何を言っている!』

荒い感情が誠の胸をかきむしった。

港での襲撃から…確かに前触れはあったのだ。とはいえ、全てが突然に襲いかかった。緊張と混沌の嵐が心を揺さぶっている。

だが…

「やったのは伊藤さん。送電線を爆破すると言っていた」

誠は答えた。頭の片隅に吹き始めた清涼な風が、冷静な声音を引き出した。

「電力をとめるってどういうこと?電波塔を停止させて、敵の携帯電話での連絡を絶つつもりだったのかしら。いや、敵には無線もあるはずだし、かえってこちらの緊急連絡手段に不都合が生じるわ。単純に闇に乗じて逃げろということ?」

「伊藤さんは目を開けといった。でも、それがなんなのか」

見当もつかなかった。そもそも、目の前にいる女性は何者か。この予想だにできない状況でも、パニックに陥ることもなく、冷静に事態を分析しようとしている。軍人、あるいは警察官か。


『では…』

誠は自分への疑問も沸いた。倒れた少女の呼吸をすぐに調べたり、鏡で敵を探ろうとしたり、即座にできるもので決してはない。どこかで軍事訓練でも受けたというのか。


「奴らのターゲットは?」

「おそらく、僕」

「用いる武器は?」

「眠剤の塗られた吹き矢」

「そう」

矢継ぎ早に聞かれた。女性は得心したように頷いた。

「あなたは誰なんですか」

湧きおこる様々な疑問を振り払いながら、誠は最初に口にすべき言葉を投げた。

「そうね」

言いながら、女性は半開きにしたドアから、先程のコンパクトを突き出して外の様子をうかがった。楠に背をつけた小百合のシルエットは変わっていない。


「私は水沢香奈、警視庁公安部の刑事。そして変死した水沢恵理の歳の離れた妹。姉がこの世で唯一愛した男、伊神亮介の足跡を探ってここまでやってきた。それをあなたが知っていると思って」

女性は言った。

「伊神亮介」

誠はつぶやいた。その唇の動きはかつて自分が発したものらしく滑らかだった。


「いい、何か気づくことがあったら言って」

女性の声は、甘えを許さない鋭さをもっていた。

「…今年の五月五日未明、筑波宇宙センターの白い軽自動車が盗まれた。車は翌日、鈴乗寺という寺の駐車場で見つかった。ハンドルには当局手配中の伊神亮介の指紋が付着していた。同じく五月五日未明、逃亡中の誘拐犯四人のうちの二人と、誘拐されていた高校生の一人が、やはり宇宙センターに現れた。その高校生の名は三井誠。

同日の昼間、通信衛星を搭載したロケットは予定通り発射された。けれど、プログラムにハッカー侵入の疑いがあり、衛星の稼働は停止された…

公安部のホストコンピュータと結ばれている端末に、キーワードとして登録していた伊神の名がヒットしてから、関連しそうな事件を調べたら、すぐにこれらが現れたわ。

でも不思議なことに、二日とたたず、伊神の名前と誘拐の件は、事件そのものがなかったかのようにデータ削除されていた。国家機密に相当する何かがあったはずよ」


「どこかで知っている。でも知らない」

感覚的に応じた誠の横で水沢刑事は続けた。

「ずっと追い続けていた伊神がとうとう現れたことを知った私は、休職願いを出し、個人的に調査を始めた。宇宙センターでの指紋採取、周辺での聞き込み、それにネット上で誘拐犯と高校生の名前が現れないかなど。

そして見つけたわ、瀬戸内の小島でたった一人の高校生を教えることになった新本教諭のブログの中に。教えている生徒の名は、M・M君。

新本教諭に接近して、聞いてみると、その生徒は三井誠。リアルなデジャブというものにとらわれている。そして下宿の管理人の名は、なんと幻の誘拐犯の一人、伊藤忠八。

念のために、あなたのデイバックに付着した指紋を調べさせてもらったけど、宇宙センターで採取した指紋の一つと合致したわ。あなたと伊神は、国家機密に関わることで宇宙センターで接触している。そしておそらく衛星が稼働停止中である真の理由を知っている。

いいこと、あなたは記憶を封印され、別の記憶を植えられている。リアルなデジャブなんてないわ。全て実際に体験したことよ」


語られた言葉は、無地のパズルピースのようだった。絵柄を現すわけではないが、その殆どが、誠の胸の奧、穴だらけのパズルにはまっていく感じがした。

夏休み前に切れかかったディバッグの肩紐…新本教諭が預かって縫い直してくれたと思っていたが、そこには女性刑事の調査が絡んでいたのだ


「すぐに思い出すのは無理よね。特にサイバーコンドルが迫ってきているこの状況では」

「サイバーコンドル」

口にしてみたが、それは未知の単語のようだった。

「死した情報をついばむやからたち。公安部の刑事が追いかけている犯罪集団よ。企業や公官庁のネットワークを、時差モニターしてハッキングし、削除されたデータがあると徹底して追いかける。そして情報を握る人物に接近し、時に薬剤を用いて闇に葬られた内容を聞き出す。ふっ、やっていることは警察の公安と似ているわ。違うのは、彼らは情報を第三国に高額な料金で売りつけること、そして高性能な吹き矢を用いること」

刑事としての職務に気持ちが切り替わったのか、水沢の声の張りが強まっていた。


「サイバーコンドルは、宇宙センターの削除されたデータに目をつけたんだわ。そして情報検索履歴から、私へとたどり着いた。私は知らぬ間に彼らをこの島に導いてしまった。その責任もある。三井さん、守ってみせるわ、あなたの封印された記憶を!」

力強い言葉だった。

『だが、女性一人で何ができる。それに何故、僕はこんなに落ちついている?』

誠は自問しながら周囲を探った。


「ごめんよ、先生」

言いながら静かに寝息をたてている新本教諭のズボンのポケットを探った。最近、禁煙し始めたそうだが煙草の匂いは消えていない。やはりライターがあった。

ジュッ!

誠は膝下近くでライターをつけ、炎の明かりで台所を物色した。

椅子の背にかかっていた一眼レフカメラを肩にかけ、床に転がっていた果物ナイフを拾った。

『普通の人が武器に使うとしたらこのぐらいか』

普通の人…自分の心のつぶやきに引っかかりながらも、玄関口に戻った。いつの間にか小百合の体が運び込まれていた。

アチッ…ライターを消した。


「おかしい。どうして彼らは躊躇しているのかしら。三井さん、何かした?それとも管理人さんが何かしたのかしら」

話しながら手渡されたナイフを当て、水沢刑事はワンピースの裾を短く裂いた。

「僕は何も」

誠は首をひねった。

確かに、ただならぬ動体視力と反射神経を披露したが、それだけが敵の動きを鈍らせている理由とは考えにくい。停電を引き起こした伊藤管理人は、ああ、敵の吹き矢で眠らされているはず。

『伊藤さん、目を開けろって、何なんだよ。とにかく無事でいてくれ!』

誠はドアを凝視して祈った。


「敵はどのくらいかしら」

水沢刑事のつぶやきが誠の耳を撫でた。

「敵…うっ」

突然、誠の目前で不透明なスクリーンが粉々に砕けたような気がした。巨大な映像が、黒いドアと重なって広がっている。


…濃紺色の海に浮かぶ巨大な丸い塊。その一部の、えぐれた所が眩しく光っている。

…この塊は島だ…そう、この犬床島を上空から眺めた映像だ。闇に覆われた港を漁師たちが漁船のライトで照らし出している。

…少し離れた磯辺には、二隻の大型のクルーザーが隠れるように停泊している。

…そして浮き上がった白いもの。学校へと続く石段だ。そこを駆け登る人間たち。


実際、映像はちらりと見えただけで、目前の黒いドアと重なっていた。しかし、解像度が非常に高かったので、暗がりに動く人間までが見えたのだ。大脳の視覚野で行われた二重の情報処理…脳科学の権威者は、今の現象をなんと説明するのだろう。


『僕が見たのは…』

わかっていた。

誠は空の高みを羽ばたく鳥の視点をもったのだ。

心に吹いた清涼な風の吹き口はそこにあった。世界を見つめる眼を覆っていた被膜が溶けていくようだった。爽快感が全身を走った。


「敵の数は、約三〇人。それぞれが長い筒、おそらくは吹き矢の筒をもって、暗視ゴーグルを装着している。彼らは仲間が集結するのを待っていた」

再びドアを凝視しながら、イコン(視覚の残像)を読み込んだ。


「そんな情報をどうやって…いえ、質問はなしね。まったく、どんな高校生さんかしら、カメラを持ってくるなんて。ねえ、バッテリー確認しといて」

水沢の驚きの声は、微笑みを含んでいた

「はい」

言われるままに、誠はカメラのスイッチを入れた。バッテリー残量に問題はない。記念の夜のために、新本教諭がきっちり充電していたのだ。モードをストロボ使用の連続撮影に合わせた。

「奴らが動き出したわ。行くわよ」

静かな声が流れた。


トッッ・トッッ・・

ローヒールの鈍い音。足裏でタイミングを刻んでいる。水沢刑事は走り出るつもりらしい。

「先生と娘さんはどうしたら」

「サイバーコンドルが狙うのは、ターゲットだけ」

問いに答えが返ると同時にドアが開け放たれた。


誠は手にしたカメラのシャッターボタンを押した。闇を切り裂くストロボの閃光に、走り寄る一群が浮き上がった。



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