第24話 サイバーコンドル1

分校の校門に続く石段には、既に点灯した水銀灯の下で、将棋盤を挟んで二人の老人が座っていた。足下の蚊取り線香の煙が、細く立ち上っては空中に消えていく。

「兄ちゃん、夜から学校いくんけえ」

誠に気づいた一人が聞いてきた。

「ええ、先生の家族と会うことになっていて」

「すると、さっきの別嬪べっぴんは先生の奥さんか、ほうかいほうかい」

いい酒のさかなを口にしたとばかり、老人たちは片手に持つ缶ビールをグビグビと喉に流した。


校門を過ぎたところで、木の軋む音が聞こえてきた。

見れば、教員宿舎の前、楠の枝に取り付けたブランコに浴衣姿の少女が乗っていた。誠の姿に気づいて、じっとこちらを窺っている。

『お嬢ちゃんの相手でもしてみるか』

花壇の周囲の白い飾り石を九つばかり拾い、宙に投げ上げながら前に進んだ。が、さすがに夕暮れの中ではきつかった

「すごい、お兄ちゃん」

感嘆の声が目の前に聞こえた時には、石は五つに減っていた。


「じゃあ、仕上げいくよ」

そう言った誠は、五つの石を高く頭上に投げ上げた。そして落下してくる順にキャッチし、スナップをきかせて十メートルほど先にある垂直跳びの数字盤にぶつけていった。五つの音階を奏でる金属音が心地よく鳴り響き、無邪気な拍手が続いた。


「お兄ちゃん、三井さんでしょ」

「うん、君は新本さんだよね」

「そう、小百合」

誠は父の面影をもつ少女を隣に見ながら、楠の幹に寄りかかった。


「おう、来たな」

宿舎の窓から、新本教諭がのぞいていた。その隣には長い黒髪の女性がいる。室内灯の影になっているとはいえ、彫りの深い美しい顔立ちが見て取れた。歳は三十手前だろうか。

「もうちっと待っとれよ、今、握りメシ作っているから」

「あっ、あの、下宿の伊藤さんも後から来るそうです」

「伊藤さん?いけるいける、一升炊きしたから充分に足りるよ」

陽気な歓待の声が返った。


正直、誠は驚いた。新本教諭の奥さんがあれほどに若くて綺麗だとは…

「お兄ちゃん、だめよ、あの人の見かけに騙されちゃ」

小百合が誠の顔をのぞき込んで言った。

「だって、君のお母さんでしょ?」

「違うわ、あの人は水沢さん。お父さんに近づいた理由は分からないけど」

「…」

早熟ませた答えだった。おおよその察しがついた。

「お母さん、私が小さい頃に死んじゃったでしょう」

言葉に詰まった誠の一方、小百合が話した。

「それで私、ジイちゃんの家にいるんだけど。町で知り合ったって、急にお父さんが紹介してきたの」

「そう」

相槌あいづちを打つしかなかった。収入の安定した中年の男やもめと妙齢の女性の恋愛。娘は、父に近づく女性に不純な意図があるのではと疑いの目をむける。よくある事だ。


『でも、やるじゃないか、先生!』

最近、補習の後やちょっとした合間に、スマホでメールを送っていた相手は彼女だったにちがいない。今夜は、愛娘との時を過ごす他に、もう一つのお楽しみがあったわけだ。窓の向こうにせっせと動く教諭の、当たり前の人間臭さを知ったようで、誠は嬉しかった。


「ねえ」

ブランコを止めた小百合が声を投げた。高い声に少しトゲを含んでいる。

「なんだい」

「あの人って、お兄ちゃんの知り合いなんじゃないの?」

思ってもみない質問だった。

「どうして」

「だって、お父さんが帰ってきた時に、二人の話を聞いたことあるけど、その話に、お兄ちゃんのこと、よく出てきたんだもの」

父の恋人への疑惑が自分に飛び火したか…

「仕方ないよ。お父さん、すごくいい先生で、いつも僕のこと心配してくれてるんだ。でも、先生にとっての一番は小百合ちゃんだよ。『自分の天使だ』と言ってるよ」

誠は精一杯、子どもの心をフォローした。


「違うわ。私が言いたいのは、あの人がお兄ちゃんの事を知りたがってるってこと」

「えっ」

話をはぐらかされたと思ったのか、小百合はぷいと横を向いてしまった。さっき笑っていたのに、もう膨れっ面だ。手強い相手に戸惑いながらも、誠は宿舎の窓の向こうの女性にチラチラと目をやった。

『僕の知り合い。いや、そんなことは…』

誠の両親は二人ともに静岡の人間だ。親戚が住むのは主に東海地方。四国や中国地方に知り合いがいるとは聞いたことはない。子どもの勘繰りの行き過ぎか、それとも教諭の仕事に理解を示そうとする女性の思いが、誠についての質問を産んだのか…


「もういいわ。あの水沢って人、悪い人じゃないし、優しいし」

再びブランコを揺らし始めた小百合がぼそりと言った。

「さっきの石投げ、またやって」

「うん、いいよ」

やれやれだった。危うく子どもの思いつき疑惑に踊らされるところだった。

『食事が始まる前に、小さなお姫様のご機嫌をとっておかなければ…』

もしや、教諭が誠を招待したのは、娘と女性の緊張関係を解くためだったのかも知れない。

『でも、少したったら厳つい伊藤おじさんもやってくる。そしたら、どうなることやら…』

誠は苦笑いしながら、手頃な石を拾い始めた。


「じゃ、いくよ」

ブランコの前に回り込んだ誠は、少女に声をかけた。が、返事はなかった。サンダルで土を擦りながらうつむいている。

今度は何、とぼやく手前で、小さな体が前のめりになった。ブランコのロープを握っていた両手がずり落ちていく。

「どうした?」

駆け寄って崩れかけた体を支えた。赤い縞柄の浴衣がずれるとともに、その右肩から何かが落ちた。暗がりでもわかった、黒色の円錐。その先にはごく短い針がついている。

『吹き矢だ!』

港で誠を襲った吹き矢が、少女の肩に刺さっていたのだ。放たれたのは校門あたりからか。振り返って確認しようとした時に、左耳のそばのブランコのロープが、軽い弾み音を鳴らした。吹き矢はまだ放たれているのだ。


『これはイタズラではない!』

敵の姿は見えない。理由は分からないが、狙われているのは自分。遠方からのため、その精度は落ちている。

力の抜けた体を抱き上げながら、校門から狙われないように楠の幹を背にした。

「小百合ちゃん!」

少女に呼びかけたが反応はなかった。苦しげな様子はない。呼吸は安定している。おそらく吹き矢の針には眠剤が塗られているのだろう。


「先生、窓を閉めて」

小さな体をそっと幹にもたれかけ、声を絞り出した。

「どしたん、急に」

間の抜けた声が返ったが、愛娘の異常を見てとったのだろう。すぐに窓枠から姿を消した。玄関に走る足音が響く。

「先生、こっちに来ちゃだめだ!」

幸いにも教諭の太い体が、ドアから飛び出してくることはなかった。用心深く、そっと開いたドアに見えたのは、ノースリーブのワンピース姿の女性だった。

「三井さん、こっちへ」

外見の装いにそぐわず、冷静で鋭い声だった。

「これ使って」と言い、長方形の物体を投げつけた。

受け取ったのは化粧用のコンパクトだった。女性の意図が分かった。平らなプラスチックを開き、鏡面に校庭を映した。動く人影は見えない。そのまま宿舎の戸口に走った。


玄関に飛び込むのと同時に、下駄箱の上の電話機がけたたましく鳴りだした。すぐ先の廊下には新本教諭が倒れている。

「あなたはいったい?」

当たり前のように受話器をとった女性の横で、誠は目を剥いて尋ねた。

「この場で動き回られては危険だからよ。電話、たぶんあなたによ」

「何を言っているんですか」

訳が分からなかった。そして強引に押しつけられた受話器からは、


…ふ・ふきやに・やられた。そうでんせん、ばくはする。ぼうや・めを・ひらけ…


か細い声が聞こえ、同時に低い爆発音が受話器内と戸外から響いた。受話器からの音声とともに、頭上の照明がふっと消えた。




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