第14話 深山の別荘

誠は目を覚ました。

ルームヒーターの音が低く聞こえる。ヘリコプターは既にどこかに着陸していた。

六人を包んでいたグレーの波動、そして操縦席にあった銀色の波動は消えていた。各々の体の周りで、薄く色付いた波が静かに脈打っている。皆眠っているのだ。頭が少しぼんやりしている。何時間かは寝ていたのだろう。

『寝ている時ぐらい、自分の波動を出してもいいのに』

誠は金井教官の端整な寝顔を見て微笑んだ。

と、ざらざらした赤い波動が、息を吹き返したように操縦席に広がった。がばっと頭を上げた伊藤操縦士が振り返った。

「着いたぞ。最高の空気を吸おうとしようや」


ドアを引いた彼らの瞳に朱色の光が差し込んだ。

外に出て振り返ると、ヘリの黒い機体は、垂直に伸びる崖下の窪みにきれいに収まっていた。空には紫色の雲がたなびき、鳥たちが軽い声でさえずりながら横切っている。夜明けだった。


誠は高く腕を伸ばし、深く息を吸った。痛いほどに澄み切った空気が、肺に流れ込んだ。

見回すと、そこは、広葉樹の森林に三方を囲われた小さな原っぱだった。向こうには直径十五メートルほどの池があり、その端に二本の小川が流れている。一方の川には僅かに湯気が立っていた。五月にしては空気は冷たかった。


「なんてすてきなんだ。天国ってやつか」

篠田が晴れ晴れとした顔を空に向けた。斉藤は膝に手を当て、イチ、ニッと屈伸運動をしている。


「おはよう」

後ろから、ひび割れたしゃがれ声が響いた。

振り返ると、崖下の岩の裂け目の前に小柄な老人が立っていた。長い白髪を後ろに一つに結んでいる。年齢は七十才を越えたところか、びしりと背筋を伸ばした体には、先ほど伊藤操縦士に見えた銀色の波動が、踊るように小さく揺れている。全く飾り気のない歓待の波動だった。


「尊師、お久しぶりです」

橘教官が深く敬礼した。金井教官も続く。

「橘君に金井君、また会えて嬉しいのう。生きている内にあと何回、会えることか」

老人の声に美春が笑った。

「また、そんなこと言って二人を困らせて」

「おっ美春、そんな所におったんか。若い男を三人も連れて、学校生活は楽しそうじゃの」

老人は高らかに笑った。美春は「もう…」と頬を膨らませている。


「確かにあれ、野村敬造氏だよな。あのとぼけ方は、俺の田舎の祖父さんと変わらないぞ」

斉藤がこっそり誠に耳打ちした。

「これ、そこの若いの。内緒話なぞすんな!」

野村尊師が一喝した。

「へへっ」と頭を垂れた斉藤に、老人は目尻を下げた。

「長旅疲れたじゃろう。忠八さんにも迷惑かけた。さあ、皆、食事にしよう」

「すまんですが、わし、先に風呂に入ってきますわ」

伊藤操縦士は腰ポケットからバンダナを引き出し、そそくさと林の方に走っていった。

「君たちも後で行ったらいい。森に天然の露天風呂があるからの。時々、熊も浸かりにくるが」

老人はにんまり笑い、崖下の岩の裂け目に歩いていった。


誠は、美春の人懐こい性格の理由が分かったような気がした。父母を殺されるという不幸を経験しながらも、誰よりもイーエス能力に深い理解を示し、なおかつ人間味に溢れる人柄に触れながら育ったのだ。伊藤操縦士にしてもそうだ。きっと彼女の周りには、こんな人たちが一杯いるのだ。素直に羨ましいと思った。


岩の裂け目には、木枠に取りつけた扉があり、押し開くと、十メートル四方の空間が内側に広がった。

土の上にの子が置かれ、古びた畳が敷かれている。ごつごつした剥き出しの岩壁には、全く不似合いなシャンデリアがぶら下がり、薄暗く煌めいている。棚のように迫り出した岩の上には、化石のようなブラウン管式のテレビとチューナーらしき箱があり、その下のカセットコンロの上では、大鍋がぐつぐつと湯気を立てていた。


「うーむ」

橘教官が、首に油を差したくなるほどゆっくりと部屋を見回わした。

「尊師、修行の場の模様替えをしたのですか。電気が入っているし、テレビまで持ち込んでおられる」

「まあな。わしが目指しているのは現代の仙人じゃ。今は修行の在り方を模索しているといったところか。太陽電池を池に沈めるのには苦労したわい」

野村尊師は、悪びれることもなく言った。

「いつ、こちらに」

金井教官が聞いた。

「昨日の夕方、橘くんの思考波を受けてな。ほれ、ウェーブコントローラーの村井婆さんに途中まで送ってもらった。婆さんときたら、十代の女の子の波動を広げおってな。そんでJRでは、男子高生にチロチロ見られて大変じゃった。

麓のバス停からは、のこのこと歩いてきたが。君たちの乗ったヘリの操縦もあったもんじゃから、さすがに堪えたわ。おかげで、ここに着いたのは夜中をとうに過ぎとった。まあ、そんな所に突っ立ってないで、こちらにお上がり」

先に畳に上がった尊師が招いた。遠慮することもなく、美春と二人の教官があがった。


誠たち三人も続いた。無造作に敷かれた座布団に皆が座った後、美春が立ち上がって鍋に煮えているものを椀によそった。金井教官が配るのを手伝った。

「ぼたん鍋じゃ。すぐそこの崖の下で、猪に出くわしてな。神の恵みとばかり棒でカツンと叩いたら、ひっくり返りよった」

「食べる前にそんなこと言わないで。それに私、先輩たちに野蛮人の孫みたいに思われてしまうわ」

美春がきつめに言った。

「腹ぺこだったんじゃ、仕方ないじゃろう。おまえたちも腹を空かしてやってくると思って、疲れた体に鞭打って作ったんじゃぞ」

橘教官が汁をすすり、「うまい!」と漏らした。そうだろうとばかりに、にんまり頷く尊師を後目に、皆が口を付けるのを見計らって美春も汁をすすった。口を尖らした顔が綻んだ。

少しして、体から湯気を立ち登らせながら現れた伊藤操縦士も、椀の中の汁に舌鼓を打った。



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