第12話 ジェットホッパー

一階の警備員室で、物々しく見張られている誠らの前に制服警官が二人現れた。

「君たち、見たところ未成年のようだが。先ほどの爆発について詳しく事情を聞きたい。警察署まで来てもらおう」

「待ちたまえ!」

誠と美春の腕を引こうとした警官の背後から、りんと声がかけられた。防衛省の身分証を手にした橘教官が毅然と立っていた。その後ろには金井教官がいる。

「この青年たちの行動は、防衛省の機密任務と関係している。席を外したまえ。それともう二人、青年が訪ねてくるはずだ。通してあげてくれ」

『若造が偉そうに!』

警官の一人が橘教官をじろりと見返したが、他の警備員たちと同様、しぶしぶと頭を下げて部屋を出ていった。


「二人とも大変だったな。お決まりの落書き玉スキャンをして、慌ててやって来たんだが、少し遅れてしまったようだ」

橘教官が外向けのお硬い顔を綻ばせた。神経を擦り減らして薄くなった誠の生体波動を、滑らかな波動が包み込んでいく。

「金井教官、僕、大丈夫ですよ」

「あら、私ではないわよ」

金井教官が小柄な体を見ながら微笑んだ。美春が誠の肩に手をあてていた。

『自分の生体エネルギーさえ、弱まっているのに…』

「教官、森田さんをお願いします」

「ええ」

金井教官のすらりと伸びた肢体から、強い黄色の波動がほとばしり、美春の体を覆っていった。同時に誠を包んでいた黄色の波が強まった。


温かい手に優しく撫でられているようだった。硬く強ばっていた体のあちこちが、ゆっくりと解れていく。

『この感じ。やはり間違いない。僕はこんなふうに彼女の波動に包まれていたことがある』

誠は隣の椅子に座る美春に目をやった。

見返した瞳は、傷を負った子供を抱く母のように優しく頷いていた。


急にドアが開き、篠田と斉藤が入ってきた。二人とも額に汗を浮かべ、げっそりとした顔をしている。

「お疲れさん」

深い青みを取り戻した波動を放ちながら、誠は言った。

「三井、ずるいぞ。俺たちだって神経ズルズルなんだぞ」

斉藤がムッとしたように、しかし、金井教官に気を遣ってこそりと言った。

「あら、そうね。斉藤君の生体波動も元気にしてあげないと…斎藤君は何色の波動がお好みかしら」

金井教官が十分に生体エネルギーを回復した美春から波動を引き上げながら、にこりと笑った。

その体から、あらゆる色の波動が次々と繰り出された。色とりどりの衣装を身に付けた何十人ものファッションモデルが、強い香水を撒き散らしながら踊っている。そんな映像が目の前に描かれた。

橘教官をはじめ、部屋にいる皆がむせかえした。

「俺、遠慮しときます」

身を引きながら斉藤はどかっと椅子に座り、篠田に言った。

「やっぱ、アクションは俺には向いてないわ」

「だろ」と篠田が腕を組んで頷いた。皆の顔に小さな笑みが浮かんだ。


「しかし、どうやってあの男は、イーエス能力に掛けられた鍵を解除したんだ。金井教官は、伊神のことを知っているか」

橘教官が首を捻った。

「ええ。省本部の執務室で、一度だけ、すれ違ったことがあります。その時、彼の固有波動を特定することはできませんでした」

「伊神がウェーブ・コントローラーだったということは聞いているが、マスターレベルである君でさえ、波動を掴めなかったとは…そうか!」

橘教官は太腿ふとももを叩いて頷いた。金井教官も同様だ。

「どう思う。君たち?」

橘教官が四人の生徒に顔を向けた。

「どうっていったって、なあ」

誠と斉藤は首を振った。


「あいつもマスターレベルのウェーブ・コントローラーで、その特殊な使い方をしたってことだよ」 

篠田が顎に手を当てて言った。

「特殊な使い方ってなんだよ、勿体もったいぶるなよ」

斉藤が膝を揺らした。

「あの男は、他の人に自分の能力を転写していたんだ。そして後で取り出した。でも分からないのは、そのことがなぜ委員会にばれなかったかということだ」

篠田の答えに、二人の教官は頷いた。


「能力者同士ならまだしも、それができる相手はごく限られているわ。彼を神のように崇拝する人か、掛け値なしの愛を捧げてくれている人。彼自身も、その人を深く信頼していたに違いないわ。

伊神は、委員会の追求を避けるために、能力を転写した事実そのものを、自分の記憶から消し去り、その人に、自分の能力の復活を委ねたのよ」

金井教官が小さく言い、橘教官が自分の額を指で小突いた。

「能力に鍵を掛けられて数年後、伊神と同棲していた女性が亡くなった。その女性こそが能力の転写先だったに違いない。そして彼は消息を絶った。委員会は危険分子として、今も彼を追っている。まさか、能力を取り戻していたなんて…」


「あいつ、エイジ・ポイント思考波まで使ったんですよ」

誠は教官たちに顔を向けた。

「ということは、国内のイーエス機関は、全て伊神に乗っ取られたということだ。そりゃそうだ。現役では日本一のウェーブ調整力を持つと言われている金井教官でさえ、凌駕するかも知れない男がしでかしたことだからな」

橘教官は平然といった。オレンジ色の波動に乱れはない。


「海外のイーエス機関に連絡はつけたんですか。教官のズドンって飛んでくる思考波なら、外国にだって届くでしょう?」

誠が続けて聞いた。

「もちろん。すでにニューヨークにいる国際委員会の会長には、思考波を送ったさ。ここ日本で、能力者がとんでもないことを引き起こそうとしているとね。しかし、事は簡単には運ばない。第一、僕の伝えたことが真実か否か、慎重に見極めなければならないし、日本に派遣する特殊チームを編成するのにも時間がかかる。取り敢えずは、僕と金井教官で何とかしなければならないんだ」

「何とかっていったって」

誠は言葉を失った。こんな時でも冷静な教官たちが不思議だった。


「教官たちでって…二人への政府からの命令系統はどうなったんですか?」

篠田が聞いた。

「国内のイーエス機関が乗っ取られたということは、政府からの健全な命令系統はなくなってしまったということさ。おまけに国際委員会には、国内の委員会を越える権限を与えられていない。協力者かご意見番といったところだ。だから僕らは全くのフリー、個人の判断で動くしかない。君たちもフリーのお手伝いと呼びたいが…」

「まあ、橘教官とは二年以上の付き合いがあるし、金井教官は怒らせたら怖そうだし。従うしかないよな」

斉藤が頬を揺すった。誠も篠田も苦笑いして頷いた。


「それはそうと、他の生徒たちは大丈夫ですか」

誠はあえて二年生カップルの名前は出さなかった。後でおしゃべりな斉藤の話のネタになってはかわいそうだ。

「皆、真面目に里帰りした後だったわ。とりあえずは全国に散った彼らにまで、伊神の手が伸びることはないと思うわ」

金井教官が誠に軽くウィンクした。事情を知っていて、誠の心情を察してくれたらしい。それとも心を読んだのか。まあどっちでもいいことだ。

「よかったな」

不安のうちにも四人の生徒は顔を見合わせ、胸を撫で下ろした。

「まるで、俺たちが不真面目みたいなのが、少し引っかかるけど」

斉藤が付け加えた。


「さて、不真面目な諸君、これからどうするかね」

橘教官の波動が津波のように立ち上がった。答えの出ている問題を突き付ける波動だった。

「ここを出る」

誠の言葉に襲い掛かろうとしていた波動がすっと引いた。ドアの向こうにはどやどやと足音が響いている。鮫の背鰭せびれのように、鋭い波動が壁を突き抜けたり消えたりしている。彼らを捕まえようと、何人もの警備員や警察官が集まっているのだ。

「警察も自衛隊ももはや当てにはできない。伊神に従っている能力者が、政府のお偉いさんに、僕らを捕まえる指示を出すように暗示を掛けているはずだ。尊師そんしには、ここに向かう途中で思考波を送った。金井教官、頼む!」

橘教官が顔を横に向けた。


『尊師って?』

首を捻る誠の前で、「了解!」と小気味よい返事が、金井教官の整った口元から発せられた。

「さあ、行こう!」

橘教官が背筋を伸ばして、おもむろにドアを開けた。

「四人とも、王様になった気持ちでな」


彼らの周囲を、金井教官の放つ黄金色こがねいろの波動が覆った。

エレメンタル・ウェーブ分析器にかけたなら、単一の放射線が全く揺らぎなく、ゆったりと流れるように描かれたに違いない。

ドアの向こうにいた警官隊や警備員は、拳銃やら警棒を構えながらも、頭を垂らし、六人の通る道を開けていく。顔を上げることさえはばかれる威厳そのものに打たれて手が出せないのだ。

… …後で聞いた話では、金井教官が発していた黄金色の波動は、全盛期の古代エジプトのファラオが発していたとされる波動をそっくり再現したものらしい… …


そのまま六人は北側のエレベーターに乗り、屋上のヘリポートに向かった。


「そこで止まりなさい!」

教官たちが乗ってきたヘリコプターの操縦士、防衛省から学校に派遣されている皆川一尉が、拳銃を向けて立ちはだかった。眩しそうに顔を背け、銃口は定まっていない。

「橘教官、今回のヘリの緊急出動について、重大な規律違反との連絡が省本部から入っています。両教官、それに生徒たちについても、警察に身柄を預けるようにとの命令です」

「そんなあ」

斉藤が呻いた。

命令とは非情なものだ。つい先日、誠ら三年生を東京上空の視察飛行に連れて行ってくれた気のいいおじさんが、真面目な顔をして銃を向けるなんて。

「一尉、すまない。残念ながら命令には従えない」

橘教官が礼儀正しく頭を下げた。六人は、顔を引きつらせながらも、道を開けた生粋の自衛官の横を過ぎた。


と、上空から、大気を切り裂くような甲高い音が聞こえ始めた。

激しい風が吹き下ろしてくる。目を細めながら見上げると、なんとジェット機がゆっくりと垂直に降りてきていた。異常に幅の広いその主翼と尾翼には、それぞれぽっかりと大きな穴が…いや、四枚のローターがある。翼の中でヘリのローターのように回転している。


二人の教官以外の皆が驚愕の表情を浮かべる中、それは既にあったヘリの隣に降りた。中学の頃に見た科学雑誌の表紙が、誠の瞳の奥をぎった。


「さあ、急げ!」

橘教官がドアを開け、生徒たちを中に誘導し、機内後部のシートに着かせた。最後に金井教官が乗り込んできた。二人の教官は操縦席の後ろの床に格納されていた補助シートを引き出して座った。ついで、ひょうが叩きつけるような音がバラバラと機体に響いた。小さな窓からのぞくと、六人を追いかけてきた警官たちが発砲していた。金井教官が発していた黄金色の波動は消えていた。


「金井教官、ありがとう」

橘教官が短く言い、操縦席に顔を突っ込んだ。

「伊藤さん、さすが、ぴったりの到着です」

頬のこけた五十才ぐらいの男が振り返った。焼け石のような赤いざらざらした波動が、橘教官を突っついた。

「あんたまた、何かやらかしたんかい。教官なんだから自重せんと」

「まあまあ、さあ、お願いします」

にこにこしながら橘教官は言った。そのオレンジ色の波動は、芽吹いたばかりの草の葉のような繊細な緑色に変化している。

「教官もウェーブ・コントロールを使えるんですか」

誠は驚いた。

「まあ、マスターレベルに及ばんがな。オレンジ色の波動は、活力に燃える教官のイメージに合うように、僕がまとっていたものだ。こいつが本来の固有波動。ちょっとばかり若々しいが」

「くそう、騙されていた」

悔しそうに誠らはシートを叩いた。


「当たり前でしょう。あなたたちの教官で、私の尊敬する教官でもあった人なのよ」

金井教官がぴしりと言った。

「まあ金井教官は、新任の僕には刺激の強い生徒だったけどね」

橘教官の言葉に金井教官の頬が赤くなった。一瞬、緑色の波動が、恋人に手を伸ばす時のように金井教官の上半身を包んだ。

「今の見たか」

斉藤が、誠と篠田に振り向いた。

「さあね」

篠田が肩をすくめた。


「橘君、あんた、生徒たちのこと、他にもいろいろ騙しているんじゃないのかい。わしゃ忘れないよ。教官の立場を利用して、卒業前の学生だった金井ちゃんに言い寄っていたこと」

「伊藤さん、何もそいつをここで持ち出さなくても。とにかくここを出てください。お願いします」

泣きそうな顔をして橘教官は頼み込んだ。

「了解!」

渋い声を出した操縦士は、操縦桿の下に二つ並んでいるレバーを前に少し押した。

機体は激しく当たる銃弾をものともせず、空に浮き上がり、前に進みはじめた。元々あったヘリコプターも宙に浮き、後を追ってきている。


「坊やたち、安全ベルトをしっかり締めな。何しろ、こいつは事故が多くて、どこの国の軍隊もそっぽを向いたジェットホッパーっていう代物だからな。ヘリなんぞ、地を這うナメクジみたいにのろく見えちまう。なあに慣れてみれば可愛いもんさ」

前に座る教官たちが、肩を固定するストッパーを降ろすと同時に、甲高い音が響き始めた。急な加速に、首根っこを捕まえられたように全身が背もたれに押し付けられた。


『ジェットホッパー…そうだ』

誠は思い出した。

次世代の遊軍機として日本企業が資本提供し、アメリカで開発されていたものだ。低速飛行や垂直離着陸が必要な時には、四枚のローター回転を利用し、高速飛行に移る際には、ローターをカバーで覆い尾翼のジェットエンジンを吹かす。

『確か、音速に近い飛行が可能ながら、高速から低速への切り換えが難しく、実用化は疑問視されていたはずだけど…』

誠の疑問をよそに、横目の下に小さく見える新宿の街が、ぐんぐん遠ざかっていく。

やがて、加速が終わり自由に首が動かせるようになった時、後ろを追ってきたはずのヘリコプターの機影はもはや見えなかった。


夕日を浴びた山の稜線の端に、煌びやかな都会の光が消えていった。




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