第11話 死の演習3

誠は西に走った。JR高架下を過ぎてすぐに、高層ビル群が見えてきた。

「あのどこか屋上にアドバルーンが、その下に森田さんがいるんだ」

見渡しても、金色の輝きと黄色の波動は見えない。ビルの谷間に吹く風を大きく吸いながら、腕時計に目をやった。

六時十分。人々が走る車に飛び込むまで、あと二十分。


「どこなんだ」

ちっぽけな人間を嘲笑あざわらうかのように、黒いビルが見下ろしている。

「くそぅ…」

とにかく止まっていては何も進展しない。再び走りだしてすぐのことだった。

『三井先輩!』

少しハスキーな女性の思考が響いた。

振り向けば、例の二年生カップルの顔が、高層ビルの一階の喫茶店に見えた。帰省の途中で、お忍びのデートをしていたのだろう。それでも、誠の必死の表情を見て呼びかけてくれたのだ。


『榊と藤本、一年の森田さんを知らないか』

『知らないわ。何かあったんですか?』

『イーエス能力者だ。昔の特殊訓練校の卒業生が、街の人々に死の暗示を掛けた。事件に森田さんも巻き込まれた。どこかビルの屋上近くにいるらしいんだが』

誠は再び走り始めた。

『先輩、ぼくら・も探し』

二年生の思考が追いかけてきた。

彼らのカリキュラムでは、まだ激しい運動をしながら能力を用いることは習っていない。走り去る相手に思考波を送るレベルでさえ乱れが生じている。

『ダメだ。敵の遊び相手は僕ら三年だ。君たちは学校に届け出たとおりに、すぐに実家に帰るんだ。でも注意しろ。あいつはまだ新宿にいる』

『わかりました。一つ・手がかり、純朴な彼女・・』

『ぼ・く、落書き玉に…』

後輩からの思考波はぷっつり途切れた。

正直いって心配だった。恋愛関係にあるカップルは非常事態で冷静さを失いがちだ。悪意を持った能力者のまたとない標的となりやすい。


「いや、冷静さをなくしているのは自分だ!頭を冷やせ!」

誠は自分を叱咤した。

弾む息の一方で、思考を巡らせた。そう、美春は純朴で、都会すれしていない。そんな彼女が立ち寄る高層ビルといったら…


二つのビルの谷間を抜けた時、黄色い波動が視界の上方を掠めた。金色のアドバルーンらしき球体の一部が見えている。

『彼女は都庁だ!篠田、斉藤、あとの二つ頼んだぞ!』

返事を期待せずに思考波を放った。

なんだかんだ言っても、二人の親友は動いているに違いなかった。コンクリートで固められたホテルの中庭を抜け、誠は銀色に鈍く光る建物に走った。


都庁の駐車場には、観光バスが列をなして停まっていた。

目指す波動は、二つに分かれて空に伸びる建造物の、左側の屋上辺りだ。数羽の鳥が、漏れ出る黄色の波動に惹かれるように周囲を舞っている。そのすぐ下の展望室からは、おそらく観光客だろう、風景に感嘆する際の波動が、折り重なって薄く前に伸びている。


『三井、俺だ』

斉藤の声が響いた。

『・・電話ボックスの・残留思考を読んだ篠田の・思考波を受けた。新大久保駅前の・喫茶店に行けとのことだ。今、そっち・向かっている』

思考が揺れている。喘ぎながら斉藤は走っているのだ。

『了解、僕は今、都庁についた。森田さんは都庁の屋上の下にいる』

思考波を飛ばしながら、都庁一階のホールに駆け込んだ。展望室は地上四五階にある。その上だ。


「お客さん、順番をお待ち下さい」

エレベーター待ちの人々を押し退け、中に飛び込んだ誠に、若い女性の係員が言った。

「すみません、緊急事態なんです」

額から汗を流し、息を切らせて話す誠に、係員は言葉を失った。


「こらっ!出てこんかっ」

サングラスをかけたオニイさんが、エレベーターの外から誠の肩に手を掛けてきた。普段なら関わることのないタイプだ。異様に顔を近づけて威嚇している。話は通じそうもない。

誠はいきなり腕を伸ばすと、尖った顎をぐいっと斜めに引いた。そして、前のめりにバランスを崩したところに、その右肩を回転をかけるようにずんと押した。オニイさんは後ろにいた怖そうな仲間らしき人の列にぶざまに転がっていった。相手の生体波動を観察しながら、体のバランスを奪う奇襲、橘教官のお得意の技だ。


「すみません、大勢の人の命がかかっているんです」

言いながらエレベーターのボタンを押した。静かにドアが閉じ、床が動いた。

『命って、なに』

『爆弾?』『いや、助けて!』

後ろから幾人もの激しい思考を叩き付けられた。

「ここには危険はありません」

振り返りながらざわめく人々に言った。

居並ぶ表情は一様に怒りから恐れ、当惑へと変わっていった。理性をなくすまいと必死に安心を保とうとする波動が、狭い空間に充満している。壁の時計は六時二十分を指していた。


エレベーターが開くと同時に、誠は非常口に走った。

展望室にいた警備員が制止する間もなく、緑色の非常灯の下のドアを開け、階段に躍り出た。薄暗い階段を登り切り、エレベーターの制御室に飛び込んだ彼の前に、身を硬くして佇む少女がいた。その手には、アンテナの突き出た計算機のような物が握られている。


「三井先輩!」

美春が叫んだ。

突き刺すような震える波動が、安堵のためか少し丸みを帯びた。美春の残留思考が淀んだ空気の中に渦巻いていた。

・・・・・・

長野の実家に帰る途中で、都庁見物に立ち寄った美春を、日本イーエス委員会の役員を装った伊神が思考波で話しかけ、巧妙にこの部屋に誘い込んだのだ。小さな装置を美春の手に握らせた伊神は、凄味を帯びた低い声で言った。

「動くな。少しでも動けば、こいつは爆発する」

 ・・・・・・

当人の思考は残されていない。灰色の霧が、美春が見た男の周囲に漂っているばかり。


「もう大丈夫だ、森田さん」

言いながら、震える美春の手に握られている装置に誠は躊躇した

『これが、暗示を解くアドバルーンを破裂させるコントローラー。いやもしや、本物の爆弾では…』


『三井』篠田の声がした。

『斉藤がへたってしまって、そこまで思考を送れないらしい。俺が中継する』

『三井か!』

馬鹿でかい声が頭に響いた。

斉藤の思考波を受けた篠田が、そのまま拡声して送信しているのだ。時折、劇画のように描かれた斉藤の太った体が写り込んでいる。篠田がイメージしていることが混じっているのだ。


『駅前のサテライトという喫茶店のマスターが、店のマッチ箱を渡してくれた。若い男性客にマッチを渡すように暗示が掛けられていたんだ。どうしたらいい?』

『箱には何も書かれていないのか、内箱は?』

声が篠田の声と重なった。

『なんにもないよ、ほれ』

マッチ箱のイメージ像が浮かんだ。サテライトという店の名にふさわしく、宇宙空間に浮かぶ人工衛星がデザインされている。


『数字だ、三井、斉藤!』

交信に橘教官の強烈な思考が割り込んできた。

中継をしている篠田の思考を読みながら、二つの方向に思考波を流したのだ。

教官は、こちらに駆けつけているのに違いない。寮で、あるいは遠方から、落書き玉に託されたメッセージを読んだのだ。

『おそらくマッチ箱に書かれた店の電話番号だ。三井、そっちのリモートコントローラーは何ケタ表示だ?』


もしや、それ自体が爆発するかもという疑念を振り払いながら、誠は美晴からコントローラーを奪った。黄色の波動が恐怖に揺れたが、何も起こらなかった。

灰色の小さな液晶板は十枚並んでいる。

『十ケタです、教官』

『間違いない、市外局番から全部入力するんだ』

『じゃあ、いくぞ』

斉藤の思考とともに、マッチ箱に印刷された数字が拡大され、鮮明になった。


誠の後ろに、どやどやと足音が聞こえた。五、六人の警備員がなだれ込んできた。

「何してる!」

警棒を振り上げた男が怒鳴った。

「黙ってろ!」

思考波に集中しようとする誠の必死の形相に警備員は一瞬 ひるんだ。コントローラーを握る誠の腕の時計は、六時二八分を指していた。

空中に浮かんで見える数字をつぶやきながら、コントローラーのキーを押していった。


「やめろ!やめるんだ」

警備員が掴みかかってきた。誠の手が後ろに捻り上げられた時、ドーンと激しい爆発音が轟いた。小さな窓の向こうにアドバルーンの破片が、きらりと光った。


『今の音、聞こえたぞ。三井、間に合ったな』

斉藤の声が響いた。いや、篠田のか。

「よかった」

深く息を吐きながらつぶやいた誠に、警備員が鋭く言った。

「今のは、おまえがやったんだな」

「いえ、違います。先輩は私を助けてくれたんです」

純朴そうな少女の顔を見つめた警備員の動きが、一時止まった。当然だが、状況がまるで分からないのだ。爆発そのものが事件だと思い込んでいる。


片腕を掴まれたままの誠の頭の中を笑い声がひっかいた。

『ははは、やるじゃないか。演習課題は合格だよ。それにしても、巡り合わせというものを感じるよ。課題の設置ポイントで、新入生のお嬢さまに出くわすとはな。では、君たちの、そしてわしの教官にも、よろしく伝えてくれ』


『今、そちらに向かっている。三井、無茶はするなよ』

続いて橘教官の思考波が間近に響いた。


厳つい男たちに引きずられ、誠らは非常口から展望室に戻った。

壁一面にはめ込められた窓ガラスの向こうに、高層ビルの間を縫って飛来するオレンジ色のヘリコプターが見えていた。

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