第10話 死の演習2

三人はむせるような波動と思考をかき分け、歩行者天国となっている大通りに出た。

ビルの壁面を覆う大型液晶ビジョンに、アイドルグループが大きく映し出されていた。紺色のブレザー、チェック柄スカートの制服を着た少女たちが、踊りながら魅惑するような視線を投げている。

人々はその映像に見入っている。


そして角張ったどす黒い顔が、その背後に投影されていた。もちろん三人を除いて、他の人々は気付いてはいない。

「サブリミナル思考波」  

篠田のつぶやきの横で、彼らは映像に微かに刷り込まれた思考波を見つめた。


昔、清涼飲料で有名な会社が、映画の上映中に、はっきりとは認識できないほどの短時間、自社のジュースの宣伝を入れた。観客たちは、無意識のうちに当のジュースを飲みたくなり、買いに走ったという。その方法を応用したサブリミナル思考波が、目の前の画面に流れていた。


ウルトラワイドレンジ(超広範囲)ウェーブコントロールが可能な能力者は、地上を飛び交う様々な電波にまで思考波を侵入させることができる。つまり、放送局の送信波に思考波を乗せれば、かなり広範囲に渡ってメディアを利用している人々に暗示を掛けることができるのである。また受信機の近くにいれば、そこだけに思考を忍ばせることも可能であった。

思考波を電波に乗せるのは、集団催眠には、まさにうってつけの方法である。だが、人の心の支配を可能にするこの方法を使うのは、大規模な集団パニックを沈静化させる時だけに限られるはず。

当然、目の前に映っているのは、日本イーエス委員会の許可を得ていない違法なものだった。


『到着したな。ふふっ、自分の顔を思考波に乗せて投影するのは初めてのことだが、なかなかの出来映えだ。そうは思わんかね。

さてこれより、先輩から、二つ目のプレゼントをしよう。今度は現代青年の苦悩の紹介ではなく、生のスリルに満ちた演習だ』

「二つ目だって。って、さっきのJRの事件は、あいつが引き起こしたのか」

斉藤が片足を踏み鳴らした。

『その通り。あれで君たちに、演習に参加できる最低基準の能力があることがわかった』

「そんなことのために、人に幻覚を見せて事件を引き起こしたのか」

誠は灰色の地面に言葉を吐いた。

『ははは、幻覚を見せたわけじゃない。彼が心の底に抑えつけていたコンプレックスを解放してあげただけだ。彼は、かの知り合いに会う度に自分の攻撃性が芽生えてしまうのを怖れていた。彼はそれに直面し、もっとも無難な形で攻撃性を表現できたわけだ』

「くっ、訳の分からんことを!」


「あの顔、どこかで…」

宙をにらむ誠の横で、篠田がつぶやいた。

「あれは伊神亮介だ」

「伊神って、あの能力に鍵をかけられたっていう?」

落ち着かない視線を周囲に走らせながら斉藤が聞いた。

「そうだ、あいつだ。俺たちの思考をモニターしているということは、この近くにいる」

うなずきあった三人は、映像に投影されている顔を群衆の中に探した。が、見つからなかった。


その男、伊神亮介は、イーエス能力特殊訓練校の前身である防衛庁特務訓練教場の第五期卒業生だった。彼の顔は思考波で刻まれた記念アルバムに、当時の教官だった野村敬造氏とよく登場していた。

際だった才能を示した彼は、能力者の多くが憧れる内閣調査室に配属された。二年後には、アメリカ政府からお呼びがかかりCIAに所属した。しかし三十代の終わりに、心の深層に危険思想があることが発覚し、イーエス能力に鍵を掛けられ、この特殊な世界から追放されたのだ。

しばらく事務職員として防衛省に勤務したが辞めたらしい。その後、彼は消息を絶っていた。


映像の中で、どす黒い顔が笑っていた。

『わしの経歴を知っているとは光栄だ。では、さっそく演習を始めよう。君たちが映画を楽しんでいる間に課題を設けた。

課題の設置ポイントは三つ。ここを起点として、半径1キロ以内の南、北、西にある。まずは南の代々木駅前コンビニエンスストアの前の電話ボックス。そこにわしの残留思考を残した。そこが始まり、北をはさんで、終わりは西だ。そこでは、なんと君たちのかわいい後輩がまっている。時間は三十分以内。さあ始めたまえ!』


「何、あいつ言っているんだ」

「待て!」

篠田が、感情を高ぶらせる誠を制した。

液晶ビジョンに刷り込まれた映像が切り替わった。

・・・・・・

様々な車が道路を走っている映像だった。それらの車がヘッドライトをチカチカさせ、ボンネットをぱかぱか開けて、一斉にしゃべりだした。

『ねえ、時計を見て。これから三十分たったら、僕らの前においでよ。楽しいよ』

次に、金色のアドバルーンが映った。

どこかの高層ビルの屋上にあるらしい。そのすぐ下の階にいる怯えた表情の女の子が、小さな計算機のようなものを押した。同時にバルーンは爆音とともに空に放たれて弾け飛び、輪になった破片の一つが、口のように動いて言った。

『そんな馬鹿な!』

・・・・・・サブリミナル思考波は消えた。


誠は目を疑った。

映像に映し出された女の子は、あの森田美春だったのだ。

「三井、森田さんがどうして登場するんだ」

斉藤が振り返った。

「そんなこと知るか」

誠の青い波動が大きくうねり始めた。


「今の映像の意味がわかったぞ。あいつ、走る車に飛び込むように人々に暗示をかけやがった」

篠田がうなった。

「金色のバルーンが弾けるまで、暗示は解けない」


誠は腕時計を見た。六時ジャストだった。

周りに群がっている人々も、腕時計を見たり、スマホをのぞいている。暗示に掛けられ、無意識の内に時間を確認しているのだ。

「教官に連絡しなければならない」篠田が言った。

「俺たちだけで、問題に挑むのは危険すぎる」

「バカ、そんな悠長なこと言っていられるか」

誠がどなった。

周囲の人が、妙なものでも見るかのように振り返った。


「あいつは、どこかで俺たちを見ながら、サブリミナル思考波をつかった。それなのに、エイジ・ポイント思考波まで使いやがった。どうなってる」

斉藤が二人に目を配った。篠田が続いた。

「考えられることは一つ。あいつは、市ヶ谷の防衛省本部にいる能力者に、思考波を送り、それを増幅してもらって、エイジ・ポイント思考波を俺たちに送ったんだ」

「こりゃ、国家的な大事件だ」

「だからこそ、教官に連絡しなければならない。あいつは防衛省の中枢にいる能力者を丸め込んでしまっている。おそらく、そこに出入りしている能力者たちも」

鼻を膨らませて話す斉藤に続いて、篠田が低く言った。感情の高まりに反比例して、頭脳は冷静になっていく。イーエス能力者に強く求められる資質だった。


「時間がない。僕らにあの映像を見た人たちの命がかかっているんだ。三人ばらばらに行動しなければ間に合わない。僕は行くぞ、西にいる森田さんの波動を探す!」

誠は言い放ち、群衆の中にかき消えた。


「ああー、三井の悪い癖が出ちまった」

斉藤が嘆きながら、ズボンのベルトを締め直した。

「けど、動き出してしまったからには仕方ない。俺は南に行く」

駆けだそうとする太い体を、細長い手が止めた。

「残留思考の読み取りは、俺の方が得意だ」

冷静な表情で言った篠田は、特殊訓練校のある方位、西を向いて目をつぶった。寮の玄関に置いてある直径十センチほどの水晶の玉を頭に描いているのだ。

通称、落書き玉…。

毎年連休前に作られる玉には、生徒たちそれぞれの固有波動の波長が刻み込まれている。遠隔思考波送信がまだ十分にできない生徒たちでも、自分の波動と同調するものには、思考波を送りやすい。そこに思考を残留思考として刻み込み、教官や仲間たちへの伝言をするのだ。

「あとは教官たちが、落書き玉をチェックするかどうかだ」

目を開けた篠田はそう言い残し、南に向いて走っていった。


「おいおい、ってことは、俺は北の課題か。北って言ったって、どこに行ったらいいんだよ」

途方に暮れた表情の後ろで、アイドルグループの映像が華やかに踊っていた。




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