第5話 不可思議な波動2

橘教官が部屋の中央に視線を投げた。

「さて、新入生の諸君から自己紹介をしてもらおう。では、右端の君から始めてくれたまえ」

新入生たちが硬い表情で顔を見合わせた。身も心もガチガチになっている。波動の輪郭がかなり薄く鋭くなっている。

「君たち、緊張することはない。先輩たちはこの学校のルールを厳守してくれる。興味本位で君たちの思考にチューニングすることはない」教官が言った。

しかし、そう言われても身にまとう波動の動きは丸見えである。話す言葉と抱く感情の矛盾は、すぐに皆に悟られてしまうのだ。

誠たち三年と二年生は、同情の微笑みを浮かべた。

この学校に入学して、最初の試練だった。


新入生は五人、そのうち女子は一人だった。誠たち三年は男ばかり三人、二年は男が二人、女が三人いる。まあ、大体そんなものだろう。全国で毎年、二十名程度のイーエス能力をもった者が生まれ、政府の発するエイジ・ポイント思考波に、まともに応答できるのは、そのうち十名ほど…その中で資質を吟味され、残るのは五名ぐらいというわけだ。


自己紹介は静かに進んだ。話すほどに、新入生たちの放つ波動は穏やかになっていった。


『彼らは、やっと自分の居場所を見つけたんだ』

誠は思った。

他人の思考が聞こえるということが、どれほど孤独でつらいものか。話し言葉、表情の裏に隠された人の思考が、いかに矛盾に満ちたものか。それを口にしてしまったときの結末のひどさといったら・・普通の人には決してわかるまい。

先程のスポーツ刈りの一年生も、その苦しみを経験してきたのにちがいない。彼はきっと、特殊な能力をもつ自分を、神から選ばれた者と思ってきたのだ。そして周りの人を見下してきた。

どうしようもない孤独感の中で育った者が、そう思い込むことによって、辛うじて心のバランスを保とうとしてきたとしても、誰が責められよう。


ーーー誠が、人の思考をはっきりと聞いたのは、言葉を流暢に話せるようになった四才の時だった。劇的なことだったからか、当時のことはビデオに撮ったように鮮明に覚えている。確かにそれ以前にも、もやつく生体波動とともに、頭の中にがやがやと響いていたのだが、それは意味を成さない音の集まりだった。


居間にブロックをいっぱいに広げて遊んでいた時のこと、母が二つの言葉を同時に話した。

「ねえ、おもしろそう。なにつくってるの?」

『こんなにちらかして。いったい、だれがこれをカタづけるの?ワタシのジンセイはこのコにうばわれてしまうのだわ』

「えっ?この子ってだれ?」

誠の問いに、母の表情は能面のように硬くなった。

『ワタシ、そんなことイってないわ。ただ、なにをつくっているのかキいただけ』

「ううん、お母さんは、だれがこれをかたづけるのって聞いたんだよ。それにだれか悪い子のことを話したんだよ.」

『どうして?ワタシはちらっとオモっただけ。いやだ、キモチわるい。このコ、きっとビョウキなんだわ。どうしよう』


母はその翌日、誠をつれて病院を訪れた。一通り、誠を診察した医師は穏やかに笑った。そして使ったのは二つの言葉。

「お子さんには心配ありませんよ。それより、あなたは夜、眠れていますか」

『これはギャクタイによるショウジョウだ!このコは、リソウのハハをケガしたくないために、ギャクタイをするハハをベツジンとみて、こえをキいている。ジドウソウダンセンターにツウホウしなければ。まてよ、さきにこのコのからだにナグられたあざがないか、しらべなくては』

「その前に、せっかく病院に来たのだから、もう少しお子さんの健康状態をみてみましょう」

「ええ、お願いします」

『なんでわたしのことをキくの?チョウシンキなら、いまあてたばかりじゃない。もしや、わたしがギャクタイしてるって、ウタガっているの?』

診察が終わると、母は泣きながら誠の手を引いて家に帰った。


後日、誠は毎週のように、児童相談センターというところに通うようになった。母とは別室の玩具がたくさんある部屋にいき、若い女性と遊んだ。

優しそうな微笑みの裏で、女性の心がつぶやいていた。

『このコはセイシンテキなきずをオっている。プレイセラピーでこんなにヨロコブのは、フダンのじゆうなカンジョウがヨクアツされているショウコよ』

女性の心の声は難しい概念を含んでいて、よく分からなかった。誠は単純に珍しい玩具に囲まれて喜んでいた。

一方、誠が喜ぶほどに、別室から薄い笑顔を浮かべて出てくる母の、心の叫びは大きくなっていった。

『ワタシはナニもしていないわ。もういや。こんなコ、ウまなければよかった!』

そして誠は学んだ。他人の思考が聞こえるということを、決して口にしてはならないということを。


それから十年間、誠は、他人の言葉と思考の矛盾に翻弄され続けた。

中二の時には、親友だと思っていた友人の思考に、殺意を含んだ剥き出しのライバル心を読み取り、自殺まで考えた。それを思い留まったのは、根っこの所で自分を愛してくれている父母の感情を読み取ったからだった。

食事もとらず自室に閉じ籠もった誠が、果物ナイフを胸に当てているのを目撃した父母の頭の中には、もはや言葉はなかった。彼が赤ん坊の時から二人に贈った様々な笑顔が、何枚にも重なって割れていった。

「ちょっと、どんな感じがするか、やってみただけだよ」

と笑った彼だったが、両親の思考は、半年以上もの間、どこからとも沸き出る黒い雲に占められたままだった。


そして誠たちは救われた。

高いイーエス能力をもちながら、旧防衛庁の幹部になるまでずっと隠し通し、ついには幕僚長にまで登りつめた、野村敬造氏によって創設されたこの学校によって。

充実した毎日を送る中、 何故、このような学校がもっと幼い子にはないのか、誠は憤慨したこともあった。しかし、それにはもっともな理由があったのだ。

イーエス能力が安定するのは十五才前後で、それ以前の子供の心を下手にいじくると、能力が暴走して精神が破綻し、廃人になってしまう危険性が高かったのである。また、能力をもつ子供を探し出すには、様々な検診機関や教育機関の協力が必要となる。

当然、国民にも周知しなければならず、それによって起こるだろう様々なトラブルが予想されたのである。

たとえ子供であろうと、人の心を読める者を、世の人が受け入れるはずがなく、魔女裁判の起こった中世ヨーロッパのように、弾圧、疑念、悪意等々…が、社会に大きなとぐろを巻くことになりかねない。 

悲しいかな、誠たちが聞いたエイジ・ポイント思考波は、不安定な能力をいたずらに刺激する可能性があり、特に幼児には不向きであったのだーーーーーーー



「では、次の君!」

いささか力みがちの橘教官の声に続き、一年の最後の女子が立ち上がった。

小柄で長い黒髪の新入生は、穏やかな黄色の固有波動をもっていた。初対面の人たちを前に、確かに緊張している。だが怖れはなく、状況を楽しんでいるようにも見える。他の一年の派手な波動の動きで見落としていた。


「私、長野県からきた森田もりた美春みはると申します。この学校に来て…」

誠は、彼女の話を耳半分で聞きながら、首を傾げていた。

『どこかで会ったことがある。僕はあれに触れていた覚えがある。まるでカーテン越しに見る春の日差しのようなあの波動に。しかし、いったいどこで…あ』


ふと我に返ると、話は終わっていた。

「じゃあ、二年は後に回してと。三年生、心ここにあらずの三井からやってもらおうか」

橘教官が、誠を指名した。

「うえ、ええと、僕は静岡県の出身で」

いきなりのこと、誠はしどろもどろに話し始めた。

テーブルの向こうから例の新入生の黄色い波が伸びてきていた。疑問と親しさの混じった奇妙な波動だった。誠の空の深い青みを帯びた波動が、そわそわとその前を揺れた。皆の物見高い波動がその周りで踊っている。


「どうしたんですか、三井先輩。私たちが入学した時には、かっちりの波動だったのにねー」

二年のさかき英子ひでこが声をかけた。両隣に座る女子とにやにや笑っている。

「榊の鰹節かつおぶしみたいな渋い色の波動を見たら、誰だってそうなるさ」

「それってひどい。金井教官、なにか言ってやって下さい」

「そうね」

新任の金井教官が、誠のフォローをしてくれた二年の藤本に目を向けた。と、教官の生体波動のなかの赤い部分が見る間に濃くなり、鈍い茶褐色の固有波動ができあがった。

理屈では違うと分かっているが、金井教官は榊英子その人へと変身していた。ただし、その波動の動きは、成熟した女性のように、繊細ながらも広く揺らめいている。見つめられた藤本はうっとりとした目付きとなり、当の榊英子はしっとりと落ち着いた女性の表情となった。教官の波動の動きと同調したのだ。


教官の波動が消えた時、二年生の男女の波動は一瞬、大きく波立ち、僅かに触れ合ったかと思うと、すっと引いた。惹かれあう互いの心の深層を知り、恥ずかしそうな顔をして黙ってしまった。


「それで、続きですが…」

気が散ったせいもあり、冷静さを持ち直した誠は、なんとか自己紹介を終えて席についた。向こうに座る一年生の森田美春は、伸ばしていた波動を縮こませてうつむいていた。


「お疲れさん。じゃあ、俺、次いきます」

斉藤が誠の肩を叩き、エメラルド色の波動を、次々と女子に伸ばしながら、がらがらした声で自己紹介を始めた。

「えー、私は神奈川県出身で、名前は斉藤均。今年三年になったわけでありますが…」


篠田が誠の腕を突っついた。

「どうした、自己紹介ひどかったぞ。まあ、こいつのよりはましだけど」

横を見上げると、鼻の穴を膨らませながら熱心に話し続ける斉藤の顔が見えた。誠は思わず吹き出しそうになるのを、やっとこらえた。


篠田、そして二年生の自己紹介も終わり、カフェテリア式の食事をとったあと、生徒たちは食堂を出た。

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