第4話 不可思議な波動1
カツカツという革靴の音が廊下に響いた。一、二年の時からお馴染みの橘教官が食堂に入ってきた。後ろには紺色のスーツを着た若い女性が立っている。
歳は二十代前半か。すらりとした体型に茶色がかったショートヘア、はっきりした目鼻立ちは、自衛隊の勧誘ポスターから抜け出したようだった。先程ヘリポートに降り立ったのは、この女性だったのだ。
だが…
誠は思わず目を見開いた。
彼女には、人間が一人一人指紋のように持っているはずの固有波動を見ることができなかったのだ。まるで植物のようだ。
『おかしい、こんな異常なことに、なんでさっきは気付かなかったんだ』
生体波動は、人の肉体の周りに七色あまりの層をなして輝いている。そのうち最も強く色付いているのが固有波動である。それは感情の動きによって、他の層を引きずりながら様々な形に変化し、心や体の活力に応じて色の濃さを変える。基本的な色は変わらないが、年齢や経験によって、色合いは微妙に変わる。
だがこの世に生を受けてから一生涯、変わらない部分もある。
それは固有波動に刻まれている微細なリズム変動である。脳の深部にある脳幹と体の一つの一つの細胞の共鳴現象であるともいわれる。このリズム変動は、エレメンタル・ウェーブ分析器によって、脳波のように捉えることができるのであるが、個人が示す変動は、世界にたった一つしかない。
イーエス能力者は、固有波動を人の周りにごく普通に見ている。もちろん、エレメンタル・ウェーブ分析器ほどではないが、波動の音楽的なリズムや
だが、前に立つ女性には、命あるものが持つ生体波動こそあれ、人に特有の固有波動がなかったのだ。
「諸君、新年度が始まった」
橘教官が鋭い視線を、部屋の隅々に走らせた。
歳は三十前で背は一七〇センチ余り、なんのスポーツをしていたかは語られないが、その筋肉質の体からは、活力に満ちた朝日のようなオレンジの波動が放出されている。その波動は、不可思議な女性の登場に
「今の所、国内では我々能力者を必要とする重大事件は起きてはいない。しかし、世界を見渡せば、至る所で戦争や重大事件が起こっている。新年度が始まったばかりだが、学生諸君も決して気を緩めることなく、イーエス能力の強化に励んでもらいたい。
さて今日から、国連に赴任した大川教官に代わって、新しい教官が来られた。紹介しよう。金井教官だ」
橘教官が振り返りながら言った。その波動は優しく波打っている。後ろに立つ女性とは旧知の間柄なのだ。波動の波立ちからは恋愛感情は読みとれないが…。
すらりとした女性が一歩前に踏み出でて、頭を下げた。
「
澄み切った声が壁に反響した。
同時に、これまで見ることができなかった波動が、堰を切ったかのように、体から躍り出た。
「まるでオーロラだ」
二年の誰かがつぶやいた。波動は目まぐるしく色を変化させていた。いったい何色の輝きが固有波動なのか全く掴めない。さらにそれは、滑らかに流れる液体のようだったかと思えば、次の瞬間には、風に舞い上がる砂のようになったりと、リズムや
普通の人なら、彼女の美しい外見に目を奪われただろう。普通とは、視覚を中心に、五感を通して情報処理をしている人たちのことだ。だが、イーエス能力をもつ者は、その内側に秘めた恐ろしいほどの能力に驚嘆を覚えざるをえなかった。
「ウェーブ・コントローラー」
誠は
「そうだ」
橘教官が、誠をちらりと見ながら言った。
「金井教官は、自由に波動をコントロールできるウェーブ・コントローラーだ。しかも、マスターレベルだ」
「うへー、おとろしい」
斉藤が目を剥いた。篠田は尊敬の眼差しを向けている。
ウェーブ・コントロールの力は、イーエス能力者のうち、四分の一ほどの人が潜在的に持っていて成人期あたりに顕在化する。
誠たちのイーエス能力は、心に活性化された思考を読むレベルに留まっているが、ウェーブ・コントロールの力があれば、さらにその奥の潜在意識レベルまで読みとることができる。
固有波動の根本部分を除いて、他人の波動をまねて同調し、心の深い部分にするりと忍び込むことができるのである。また、他者の波動をまねて身にまとうことにより、外見こそ違え、あたかもその人がいるような雰囲気を醸し出すことができる。
しかし、マスターレベルとなると次元が違う。
幼い頃から、固有波動を自由に操ることが可能で、それ故に、個人の生命エネルギーの現れである生体波動が安定せず、死んでしまうこともある。現在、その数は世界にも三十人に満たないと言われている。
運良く生き延びたマスターレベルの固有波動の変容能力は徹底している。まさに他人のものと同じくコピーが可能なのだ。その能力によって、いったんは他人の固有波動に同調しながら、生命エネルギーの根元に触れ、その人の固有波動そのものを変えてしまうことさえもできるのである。
えせ宗教団体がしているマインドコントロールなど、マスターレベルが行う人間の変容に比べれば、児戯に等しい。なにしろ人格の変容を飛び越えて、人間そのものを変えてしまうのだから。
二、三年の生徒たちは、テキストでしかお目にかかったことのない波動の持ち主を、感嘆と畏敬の入り混じった拍手で迎えた。ウェーブ・コントロールのことをよく知らない一年生も、その波動に心を奪われたに違いない。
やがて金井教官の不可思議な波動は、誰もが持っている一般的な生体波動へと変化した。
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