罪の女の句・歌を詠おう ②ダニエリ
平日のデートは、ガブリエルの部屋に行くことが多い。それをデートと呼ぶのか微妙だなあ、とはアナマリーアの意見だ。
ガブリエルの部屋へ行って何をするかというと、まずは勉強させられるのだ。勉強が済んだらお
「待ってて、結婚するまでにはちゃんとした料理にするから」
それまでどれだけの失敗作を食べさせられることになるのか知らないが、ガブリエルは気長に待つのだろう。味つけの微妙なアヒアコをすくって口に入れ、にっこり笑った。
夕食のあと、ダニエリが泊まりたいって駄々をこねるのを諭して、娼館アパートまで送っていくのも定番になっている。ダニエリは不満顔だ。それでも腕を組んでぎゅっと体をよせて歩いていたとき、前から来た集団のなかの一人がダニエリの顔を見て、妙な表情をした。
ふたりは気づかずそのまますれ違ったが、直後、
「ねえねえ、」と声がかかって、しかもダニエリの腕をつかんだ。
「なにすんのよっ」
ぞくっと悪寒がはしっておもわずきつめに振り払うと、腕をつかんでいた男はよろよろ三歩うしろへ下がった。どうやら男も、その連れの集団もみな酔っぱらっているようだ。
「なにすんだはこっちのセリフだ馬鹿野郎。客に乱暴するたぁどうゆうつもりだよ? せっかくかわいがってやろうって声かけたってのによぉ」
にやけ顔でまたふらふら近づいてきた男に、ダニエリは平手を喰らわせた。男はかっと血をのぼらせて右拳を握った。連れの男たちは好奇心たっぷりの眼でダニエリをじろじろ見まわし品定めしている。ここは旧市街の繁華街、まわりの野次馬たちも事情はわからぬながら、めずらしい余興に興味津々だ。
つぎの瞬間、男が動いて、その振るった拳は硬いものに当たって止まった。拳を止めたのはガブリエルの胸板だ。つづけて左拳を振りあげた男を制して、
「なんか勘違いしてるようだけど」とガブリエルは言った。「この子はおれの恋人だ。ほかのだれのものにもならないよ」
男は一瞬まぬけな顔をしたが、すぐ大笑いして、唾をとばした。
「はっ、ばかじゃねえの? こいつがどんな――」
最後まで言わせず、バッグを投げつけたのはダニエリだ。男はおもわずたじろいだ。ガブリエルの口調はむしろ気の毒がるような、衷心から言うような。
「ダニーはいい子なんだけど、乱暴なのが玉に瑕かな。でもあんたもわるいと思うよ。女の子を傷つけるってのは絶対だめだろ」
「ふざっけんなっ」
男は叫んで、いまにも飛びかかる構えだ。うしろの連れの男たちもいまは見物しているだけだが、なにかのはずみで加勢するかもしれない。ダニエリは泣きだしそうな顔してガブリエルを見上げるけれど、ガブリエルは人の好さそうな顔のまま。
そのガブリエルの表情を変えさせたのは、横から聞こえた野太い声だ。
「おうガビ、なにやってんだこんなとこで?」
威嚇するつもりで声の方を振り返った酔っぱらいたちは、だがすぐ目を逸らした。危険を避ける本能が働いて。
声の主はパブロ。裏社会を支配するカルテル『旅団』のナンバー2だが、そんなこと知らなかったとしても、彼の纏う空気は人を凍りつかせるに十分だ。いずれ劣らぬ猛者ぞろいのカルテルの荒くれどもも、容易に彼には近づけない。そんなパブロが、この世界に縁のないガブリエルには心を許しているのが、いつ見てもダニエリには不思議でならない。その一方で、ガビらしいや、って心のどこかで思ってもいるのだ。
いまのいままでさあ色男を殴り倒して溜飲下げてやるぜって気十分だった酔っぱらい男は、数歩あとずさると、仲間たちがこそこそ逃げだすのを見て自分もくるり、体を
「……なんだ、あいつら?」
逃げた連中は歯牙にもかけず、パブロはガブリエルの肩に腕をまわして、殴るほどの勢いでがっしり肩を組んだ。
部屋に戻ると、同居人のアナマリーアとレメディオスがソファにならんでテレビを見ていた。アクション映画らしくってやたら派手な銃声と叫び声。
「おかえりー。ガビとは進展あった?」
首だけこっち向けてアナマリーアが訊いた。屈託ない笑顔だ。
「ないよ。あるわけないじゃん」
八つ当たりと自覚しながらつめたく言って、ダニエリはダイニングチェアにどかっと座った。
「あたし、馬鹿だったの」
「知ってる」
即座に応えるアナマリーアに、レメディオスがうんうんと肯く。恨むような目でにらむダニエリを気にせず、
「いーじゃん、いまは馬鹿じゃないんだからさ」
「ガビがついてるんだから、もう大丈夫だよね」
とふたりとも呑気につづけた。ダニエリだけは呑気になれない。
「やっぱりあたしはガビといる資格ないんだわ。あたしがむかし馬鹿だったせいで、ガビまで汚してしまう」
独り言みたいにちいさな声で言うダニエリに、
「それを決めるのはガビだよ。それにガビは、何があっても汚れないと思うなあ」
とレメディオスが諭すように言う。最近急に大人びてきたレメディオスは、言うこともなんだか年長のふたりよりよほどお姉さんのようだ。
ダニエリは考えこんでしまう。
今日みたいなことはこの先もあるかもしれない。だとしてもガビは、迷惑だなんて絶対思わない。それは分かってるけど、それでもガビにはもっとちゃんとした女の人が相応しいんじゃないかと考えてしまう。たとえばマカレーナだったら――マカレーナだってちゃんとしてはないけど、でもそんなことまったく感じさせないんだろうな。あたしの悩みも、笑ってどっかへ吹きとばしてくれるだろうか。
「もおお、なんでこんなときマカレーナはいないのよっ」
じれったい想いが声になって、泣きそうになったけれどそこは
「しかたないなあ、こっちおいで?」
そう言っときながらアナマリーアは自分が立って、ダイニングチェアのダニエリを両手でつつんだ。
「マカレーナは戻ってこないよ。でもあたしたちがいるよ。なにがあったってあたしたちはダニーの味方だし、ガビだって側にいてくれる。ダニーは大丈夫だよ」
「……うん」
アナマリーアの肩のむこうに、壁に掛かった写真が見えた。子供たちにかこまれた真ん中に、マカレーナが満面の
相談も文句いうのも写真越し ――ダニエリ
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