第56話・天園神楽《あまぞのかぐら》【ネット通販】・05

 一年A組の面々が異世界に召喚されてから一年が経ち、ついに明日、地球への帰還が行われる事になった日の夜。

 級友との別れを惜しんで話し込む者や、明日に備えて早く寝る者など、各々が屋敷で最後の夜を過ごすなか、オタク少女・天園神楽は帝城にある一室で、ソファーに腰掛けて夜空を眺めていた。


(ついに明日か)


 彼女は地球に戻らない。この世界で生きていくと決めている。

 それでも、両親や故郷との永遠の別れが明日に迫れば、何も思わずにはいられなかった。


(一年間、長かったような、短かったような)


 魔物の討伐や他国との戦争、そしてクラスメートの死といった、多くの事件があったわけだが、神楽にとって一番大切なのは愛する人・皇帝アラケルとの出来事であった。

 出会った初日に一目惚れして、優しくされるうちに本気で好きになって、彼に相応しくない自分の矮小さに悩み苦しみ、そこから脱却するため己を磨き続けた日々。

 その努力はついに実り、神楽はこの部屋――皇帝の寝室からほど近い、側室のために用意されていた部屋の主人となったのだった。


(漫画のヒロインだったら正妻になれたんだろうけど、オタクが皇妃とか似合わないしね)


 自虐的な言葉とは裏腹に、神楽は今の立場に満足している。

 専属メイドのラーナや偉大な教師・頭師智教のお陰で、貴族の作法やこちらの習慣を覚えて、どうにか皇帝の横に立っても恥ずかしくないレディーにはなれたが、それで皇妃になれるかと言えば話は別だ。

 ちょっと綺麗で賢くなっても、神楽の本性は漫画やアニメが大好きなオタク女のままである。

 皇妃として国民の前で演説したり、皇帝の横に座って貴族達と謁見したりとか、胃が痛くなりそうな事なんてしたくはない。

 そういう意味で、皇帝を愛し癒やす事と、異能で買い物をする事以外は特に期待されていない側室という立場は、神楽にとってベストポジションなのであった。


(まぁ、私にしては上出来すぎだよね)


 神楽は笑って自分にそう言い聞かせる。

 側室にはなれたけれども、皇帝には他に最愛の人がいる。それはやはり悔しいけれども、仕方のない事だと納得していた。

 一目で落ちる恋とは違い、愛は時をかけて育むもの。ならば、たった一年しか共に居なかった神楽が、二十年も共に過ごしてきたイリスよりも愛されたいなんて、思い上がりも甚だしい。

 だから、これからもっと沢山の時を過ごして、いつかは追いつき追い越してやろう。

 そう前向きに決意を固めていると、不意に扉がノックされて、今まさに考えていたメイド長の声が響いてきた。


「神楽様、少しよろしいでしょうか?」

「はい、どうぞ」


 神楽が驚きつつも返事をすると扉が開き、ティーセットを手にしてイリスが入って来る。


「眠れないご様子でしたので、安眠作用があるハーブティーを持ってまいりました。如何ですか?」

「ありがとうございます。頂きます」


 神楽が笑顔で頷くと、イリスは優雅にお茶を煎れ始めた。

 そうして差し出されたラベンダーのハーブティーを一口飲んでから、神楽は立ったままのイリスにソファーを勧める。


「どうぞ座ってください。立たれたままだと私が落ちかないので」

「では、お言葉に甘えて」


 イリスは神楽の向かいに座り、彼女がお茶を半分ほど飲んだところで、ゆっくりと口を開いた。


「神楽様、成長なさいましたね」

「何ですか急に?」

「一年前の神楽様でしたら、尋ねてきた私に慌てふためき、目を合わせて会話をする事もままならなかったでしょう」

「あははっ、お恥ずかしい限りで」


 神楽は照れ笑いを返すが、そういう対応ができるようになっていた自分に気がつき、確かに成長したのだなと実感する。


「これもそれも、可愛いメイドさんと、スケベな先生と、怖いメイド長のお陰です」

「お役に立てたようで何よりです」


 神楽の冗談めかしたお礼に、イリスは優雅に笑い返す。

 そうしてから、不意に真面目な顔になって、深々と頭を下げてきた。


「神楽様、どうかこれからも皇帝陛下の事をよろしくお願い致します」

「本当にどうしたんですか?」


 神楽は頼りにされて喜ぶよりも、何からしくないメイド長の様子に動揺してしまう。

 そんな彼女の目を見つめて、イリスは淡々と語る。


「大陸の端に追いやられ、いつ他国に滅ぼされてもおかしくない小国と成り果てた白翼帝国を救うため、陛下はこれまで尽力なさってきました」


 遠くない未来、赤原大王国の侵攻が必ず起きると予見し、それに対抗できる唯一の手段として、三百年前と同じようにアース人を召喚するという賭けに出た。

 そして、いくつかの犠牲を生んだが、その賭けは見事に成功した。


「陛下の苦労は報われ、何よりも神楽様達のお力によって、帝国は安寧の時を向かえる事ができました。本当にありがとうございます」

「今さら水臭いですよ」


 深く頭を下げてくるイリスに、神楽はもう身内になったのだから気にしないで欲しいと笑い返す。

 そんな彼女に対して、イリスは硬い表情で話し続ける。


「陛下はようやく肩の荷を下ろし、自らの家庭を築く余裕ができました」


 皇帝は現在二十六歳。この世界の王族ならば、とっくに結婚して子供がいても不思議ではない歳である。

 なのに、今まで独身を貫いていたのは、帝国の危機を予見していたからこそ、それを回避できるまでは家族を――失いたくない大切な人達を増やしたくなかったのだろう。

 イリスはそう語り、もう一度深々と頭を下げた。


「神楽様を側室に迎えられたのがその証拠です。近いうちに正妻となられる方もお決めになるでしょう」

「正妻さんか、虐められないと良いんですけど」


 神楽は冗談めかして笑う。だが、イリスは顔を伏せたままで、両手を強く握り締めて、血を吐き出すように告げた。


「ですからどうか、陛下を愛し、陛下の子を産み、幸せな家庭を築いてくださいませ」

「…………」


 祝福の言葉に反して、あまりにも痛々しいイリスの様子に、神楽は言葉を失いながらも、つい場違いな事を考えてしまう。


(このシチュエーション、漫画か何かで見たような……)


 考え込み、閃いて思わず叫んでしまう。


寝取られN T Rかっ!」

「えっ?」

「いや、この場合は寝取らせN T S? どっちにしろ、脳が破壊されるような展開はノーサンキューで」

「…………」


 真面目な空気を全力で破壊されて、イリスは驚いて顔を上げたまま、呆然と言葉を失ってしまう。

 それを見て、神楽は自分のやらかしを笑って誤魔化してから、真面目な表情になって告げた。


「私もアラケル様の事が大好きだから、愛して貰いたいし、いつか子供も欲しいなとは思ってますけど、イリスさんから奪い取ろうとか考えてませんよ」


 彼女に追いつけ追い越せという心構えではあるが、本気で奪い取りたいわけではない。何故なら――


「同じ人をこんなにも愛して、とっても努力してきたイリスさんの事を、私は尊敬しているし大好きですから」


 今の百合っぽいな――などと、またオタク臭い事を考えつつも、神楽は正直に本音を打ち明ける。

 すると、イリスは涙を堪えるように表情を強張らせてから、また顔を伏せて呟いた。


「神楽様のお気持ちはとても嬉しく思います。けれども、私では陛下と家庭を築く事が……子供を産み、家族となる事ができないのです」


 だから、貴方がして欲しい。貴方の手で皇帝に家族を与えて欲しいと、イリスは絞り出すように告げてくる。

 そんな必死の懇願に、神楽は――


「えっ、何故ですか?」


 首を傾げて、また全力で真面目な空気を粉砕した。


「皇帝とメイドで身分が違うから、正式な奥さんになれないって話は分かりますけど、私と同じように側室とか愛人とかになって、じゃんじゃん子供を産めばいいじゃないですか?」

「それは……」

「あっ、もしかして、怪我や病気で子供ができないとかですか? 無神経な事を言ってすみませんっ!」

「いえ、確かめた訳ではないので絶対とは言えませんが、体の方は大丈夫かと……」


 慌てて謝る神楽に、イリスは戸惑った様子で答える。


「そういう問題ではなく、私は陛下を支える専属メイド長であるからこそ、体でお慰めする事はともかく、陛下のお子を授かる事は許されないのです」


 常に皇帝の側に仕え、帝国の運命を左右できるほどの立場に居るからこそ、私情に駆られるような要因を作る事だけは、決して許されないと決まっているのだ。

 しかし、そう告げられた神楽の方は、また首を傾げる他になかった。


「なら、メイド長を辞めたらいいじゃないですか」

「えっ……」

「急に辞めたら迷惑が掛かるから、後任の人を育てて、ちゃんと引き継ぎをすれば良いのでは?」

「…………」


 神楽としては当然の事を口にしたまでなのだが、イリスは何故か呆然と言葉を失ってしまう。


「もしかして、仕事も好きだから辞めたくないとかですか? それなら、出産の前後だけ誰かに仕事を代わって貰って、育児の時間も必要だから、やっぱりもう一人くらいメイド長を育てて、交替で休暇を取れるように――」

「待って、お待ちください!」


 神楽の発想を受け止めきれなかったのか、イリスは珍しく慌てた様子で言葉を遮ってくる。


「そもそも、神楽様は勘違いなされております。皇帝陛下を支える専属メイド長は、生涯その任を下りる事が許されないのです」


 だから、彼女はメイド長となるために育てられ、皇帝と出会ったその瞬間からずっと、一生側に居る人と決して結ばれない運命だと決まっていたのだ。

 しかし、そんな意地悪な女神の計らいすらも、神楽はあっさりと粉砕した。


「だから、何で辞めちゃ駄目なんですか?」

「それは、そうと決められているので……」

「誰がそう決めたんですか?」

「初代の皇帝陛下だと聞いておりますが……」


 だんだん自信が無くなってきたのか、語尾が弱くなっていくイリスに、神楽は相変わらずとぼけた顔でトドメを刺す。


「昔の皇帝陛下が決めた事なら、今の皇帝陛下が変えたっていいのでは?」


 約二百六十年も続いた江戸幕府を築き、神君と称えられた徳川家康が作った法令とて、後継者達によって追加や改訂がされてきたのだ。

 三百年も続いてきた白翼帝国の決まりとて、変えて何の問題があるというのか。

 それも、民衆に影響のある善い法の廃止や、悪い法の追加ではなく、メイド長の退職を許すかどうかという、たったそれだけの事で。


「言い方は悪いですけど、イリスさん一人が辞めたところで国は揺るがないでしょうし、揺らぐようならそんな仕組み自体が大問題じゃないですか?」

「…………」

「あれっ? 何か変なこと言ってます?」


 当たり前の事を言っているだけなのに、驚愕のあまり固まっているイリスの姿が、神楽には不思議でならなかった。

 彼女は気がついていない。この半年で異世界の作法や習慣を学習したとはいえ、自分達はあくまで地球育ちの現代日本人であり、歴史や伝統というものを尊重はしても、強く縛られてはいない事に。

 そして、中世風の異世界で育ったイリスや皇帝にとって、それがどれほど強固な呪いであったかも。


「あのー、イリスさん?」


 石のように固まったメイド長が不安になり、神楽は目の前で手を振ってみる。

 すると突然、イリスの目尻から大粒の涙がこぼれ落ちた。


「イリスさんっ!?」

「……いいの、ですか?」

「えっ?」

「……私が、陛下のお子を授かっても、いいのですか?」


 まるで十数年も溜め込んできたものが決壊したように、ボロボロと涙を流すイリスに向かって、神楽は親指を立てて満面の笑みで告げる。


「当たり前じゃないですか!」


 美女の笑顔を守るためなら、古いしきたりなんてクソくらえだと断言して、神楽は泣き崩れるイリスを抱きしめた。


「こんな事で悩んでいたなんて、イリスさんって凄く有能なわりに、意外と頭が固いんですね」

「……申し訳ありません」


 優しく背中を撫でる神楽の胸で、イリスは涙声で恥ずかしそうに謝る。

 そうして暫く泣いてから、ようやく神楽の胸から離れた時、イリスの顔は普段の冷静なものに戻っていた。


「神楽様、今夜は誠に失礼致しました。そして、心より感謝致します」

「いいですって。それより、早くアラケル様の所に行ってください」


 メイド長の様子から察するに、皇帝も彼女と結婚できないという決まりに囚われていたのだろう。

 だから、早く今の話を伝えて、二人とも前に進んで欲しいと、神楽はイリスの背中を押した。


「ありがとうございます。それでは失礼致します」


 イリスはもう一度深く頭を下げると、普段より少しだけ早足で部屋から去って行った。

 その背中を見送り、神楽はどっしりとソファーに座り直す。


「イイ事したなー」


 この異世界に召喚されてから、初めて誰かの役に立てたような気さえする。

 そう達成感に浸りつつも、神楽はつい考えてしまう。

 これから、イリスは皇帝に今の話を伝えて、彼は帝国を守る事に囚われて、因習を打破しようとしなかった己の愚かさを悔やみ、愛する者を悲しませてきた事を詫びるのだろう。

 そして、新たな一歩を踏み出した二人は、盛り上がった勢いのまま寝室に――


「なるほど、これが寝取らせ」


 絶対に違うな、と自分でツッコミを入れながらも、神楽は胸が温かくなるのを感じて、すっかり温くなっていたハーブティーを飲み干すのであった。

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