最終話・日常への帰還

 庭園の花々も美しく咲き誇り、柔らかな春の日差しが降り注ぐ、良く晴れたその日、ついに異世界から召喚されたアース人達が、故郷へと戻る時がやってきた。

 外壁は一年前のままだが、精霊文字が刻まれた中の石版を取り替えられ、『元世界帰還リターン・ワールド』の準備が整った石造りのドームの前に、帰還する者達とそれを見送る者達が集まる。

 そして、最後の別れを告げ合った。


「じゃあな。父ちゃん達への説明もよろしく頼む」

「任せとけ。息子さんは双子姉妹を二人とも孕ませたクズ野郎ですって、ちゃんと伝えといてやるぜ」


 土岡耕平との別れが寂しくならないように、風越翔太はそう冗談を言いながら、笑って拳を合わせる。

 その横では、皇女のリデーレと友達になった境目未紗希が、涙を浮かべて抱き合っていた。


「未沙希、元気でね。あっちに帰っても、ずっと友達だからね」

「リデーレ様、うぅ……」

「…………」


 皇女と抱き合う未沙希に、味岡料助が無言で羨ましそうな視線を送る。

 そんな光景を余所に、社長令嬢の金家成美は今日も今日とて不満を漏らしていた。


「ようやく、こんな田舎臭い所からサヨナラできるわ。さっさとしてくれない?」

「……こんな時くらい、気分良くお別れできないのかよ」


 誰かがつい愚痴ってしまうが、他のクラスメート達はもう慣れたもので、成美の事は気にせずに別れを済ませていく。

 そんなアース人達を見守りながら、皇帝アラケルも長年の友に別れを告げる。


「セネクよ、今もこの白翼帝国が健在なのは、全て其方のお陰だ。改めて礼を言う」

「お礼を言うべきは私の方です。ようやく長年の夢が叶うのですから」


 異世界アースへと旅立つ、全てはそのためにしてきた事なのだからと、魔術師セネクは謙遜する。

 そんな彼の肩を、皇帝は寂しげな顔で叩く。


「其方を失いたくはないが、約束故に止めはせぬ。達者で暮らせよ」

「はい、陛下もお元気で」


 セネクは涙を堪えて深々とお辞儀をすると、皇帝の前を離れて、故郷へと帰るアース人達の元に向かった。


「では摩耶さん、よろしくお願いしますね」

「はい!」


 今日、セネクに代わって『元世界帰還』を唱えるという、大役を授かった法木摩耶は、元気よく頷き返す。

 そうして、アース人達の挨拶が済んだのを見計らって、皇帝は白翼帝国を代表して最後の別れを告げる。


「皆、今日という日を無事に迎えられた事を、改めて感謝する」


 無事に迎えられなかった三人の事は敢えて触れない。故郷に帰る二十二人が暗くなってしまうだけだから。


「長々とした演説など聞きたくなかろうし、別れ難くなるであろうから簡単に済ませよう」


 皇帝は一度言葉を切り、万感の思いを込めて告げる。


「ありがとう。そして、さらばだ」

「「「さようなら!」」」


 アース人達も揃って別れを告げると、こちらに残るクラスメートに手を振りながら、セネクと共にドームの中へと入って行った。

 それを見届けて、控えていた騎士達が石の扉を押して閉める。

 完全に隔離された中の様子は、外で見守る皇帝達には分からない。

 ただ、暫くして摩耶が魔法陣を起動させたのであろう。目が眩むほどの激しい光が、突如としてドームを包み込む。

 一分間ほども続いたそれが、ようやく収まったのを見て、皇帝は騎士達に命じてドームの石扉を開けさせた。

 淡く光る精霊文字に照らされたドームの中に、二十二人と一人の姿はもうなかった。


「無事に戻れたのでしょうか?」

「セネクの組んだ魔術だ、今さら失敗はなかろう」


 心配そうに告げる騎士団長アークレイに、皇帝は笑って答える。

 それから、こちらの世界に残った七人の顔を見回した。


 美味しく多彩な料理で皆を楽しませ、日々のストレスを和らげるだけでなく、青海王国との絆も深めてくれた料理人・味岡料助。


 畑を耕したり道を整備したり、華やかではないが大切な仕事を黙々とこなして、大勢の人を救ってきた土使い・土岡耕平。


 己の手を汚しても無辜の民を守り抜き、そして今は一人の母になろうとしている剣道少女・剣崎武美。


 少しスケベなのが玉に瑕だが、その力を悪用する事もなく、ただ教育に精を出す偉大な教師・頭師智教。


 孤児院の子供達という守るべき家族を得て、良い笑顔を浮かべるようになった鋼鉄の守護者・金剛力也。


 亡くなった英雄の石像を経て、様々な分野に挑戦を始めた天才クリエイター・産形健造。


 そして、国や伝統を守る事に縛られて、一番大切な事を勝手に諦めていた皇帝の目を覚ましてくれた、愛すべきオタク少女・天園神楽。


 彼らはもはや異世界人ではない。この世界で生き、共に帝国を支えていく友なのだ。

 だから、皇帝は――アラケルは優しく笑ってこう告げたのだ。


「さあ、帰ろう」




 数百年後に書かれた世界史の歴史年表を眺めてみると、エスタス平原の戦いを境に、白翼帝国に関する記述が長い間途絶える。

 その空白は、年表に刻まれる価値のある大きな事件が何も起きず、平凡で退屈でつまらない、そして何よりも尊い平和な日常が続いた証であった。

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