第55話・それぞれの別れ

 内乱と粛正で慌ただしい赤原大王国を余所に、白翼帝国では退屈なほどに平和な日々が続き、気がつけば春を迎えていた。

 そして、一年A組の面々が地球に帰るまで、あと二週間まで迫ったその日、西のクレメンス伯爵領から地味な少年・土岡耕平が帝城の屋敷へと戻って来た。


「ただいま、元気してたか?」

「おぅ、お帰り」


 部屋まで尋ねてきた耕平を、サッカー部員・風越翔太は気軽に出迎える。


「志保の病院を手伝ったりとかで、ちょっと忙しかったりもしたけど、まぁ元気にしてたぜ」

「へぇ~、『志保』ねぇ~」


 呼び方が苗字から名前に変わっている事に目敏く気付いて、耕平はニヤニヤといやらしく笑う。

 それに、翔太は少し照れながらも正直に答えた。


「本人から言われたんだよ、『志保って呼んで欲しい』って」

「はぁ? それだけ? 告白して付き合い始めたとかじゃなくて?」

「仕方ねえだろ! まだ地球に帰ったわけじゃないし、帰ってからどうなるかも分からねえのに、告白とかできねえよ……」


 拍子抜けした顔をする耕平に対して、翔太は珍しく弱気にそう言い訳をする。

 それを見て、耕平は深い溜息を吐いた。


「はぁ~、人にあれだけ見せつけておいてこれとか、七英雄が聞いて呆れるわ~」

「うっせぇ! そういうお前はどうなんだよ?」


 伯爵の娘である双子姉妹からモテている事は、前に会った時に散々聞かされていた。

 翔太がその事を告げると、耕平は何故か目を逸らした。


「まぁ、上手くいってるかな」

「うん?」


 翔太は引っかかるものを覚えつつも、あまりそこを突いて志保の件を蒸し返されても面倒なので、真面目な顔になって話題を変えた。


「ところで、お前は結局こっちに残るのか?」

「あぁ」

「そっか」


 耕平の迷いが消えた顔を見て、翔太は予想していたものの寂しさを覚える。

 だが、それを表に出して湿っぽくならないように、務めて明るく笑った。


「これを逃したらモテない地味男さんは、一生彼女ができねーもんな?」

「うるせぇ!」


 耕平は余計なお世話だと叫ぶが、やはりそれが大きな理由らしく、翔太の指摘を否定する事はなかった。


「それで、姉と妹のどっちと付き合うことにしたんだ?」

「いや、付き合うっていうか、家族になったというか……」

「えっ、結婚したのっ!?」


 思わぬ返事がきて、驚愕のあまり叫んでしまった翔太の前で、耕平は何故か気まずそうにまた目を逸らす。


「それはまだっていうか、皆が帰って落ち着いた頃に式を挙げる予定だけど、もう家族っていうか……」

「うん? もう少しハッキリ――あっ」


 口を濁す耕平を問い詰めようとしたその時、翔太は直感的に気付いてしまった。


「まさか、お前……孕ませたのか?」

「……うん」

「はぁぁぁ―――っ!?」


 観念して頷いた耕平を見て、翔太は思わず人生で最大級の大声を出してしまう。


「お、お前、馬鹿じゃねーのっ!?」

「仕方ねぇだろ! 貴族の美人お嬢様に迫られて、堪えるなんて無理だっての!」


 お前にモテない俺の気持ちが分かるかと、耕平は逆ギレ気味に叫び返してくる。


「戦争の後でさ、血塗れの兵士とかが夢に出てきて、怖くて寝られなくなった時に、優しく慰めて一緒に添い寝してくれたんだぞ? 抱くなって方が無理だろっ!? 避妊とか考える余裕もなかったってのっ!」

「あっ、うん……」


 耕平が自分達とは違い、思ったよりも罪悪感に苦しんでいた事を知って、翔太は反論の言葉を失ってしまう。


(俺は味方を守る事しかしてなかったけど、耕平は敵兵を殺していたもんな……)


 耕平が生み出した土壁に、大王国軍が突っ込んできて勝手に自滅した形だが、それでも大勢の命を奪った事には変わりない。

 自分や仲間を守るためだからと割り切れていた、剣崎武美や金剛力也の方が特別なのだろう。

 そう思い、翔太は優しく耕平の背中を叩いた。


「俺が悪かったよ。お前は悪くねぇ。この歳でパパになるのには驚いたけれど、ちゃんと責任を取るんならイイんじゃね?」


 それに、耕平がこちらに残るように仕向けるため、狙って妊娠したという企みもあったのだろう。


(親のクレメンス伯爵か、それとも皇帝陛下かなー。どっちにしろ、本人が幸せそうだからいいか)


 耕平はうっかり妊娠させてしまった事が後ろめたいようだが、嫁と合わないとか、結婚したくないといった事は全く口にしていない。何だかんだで愛する家族ができて嬉しいのだろう。


「それで結局、姉と妹のどっちを嫁にしたんだよ?」


 翔太がそう尋ねると、耕平は三度目を逸らしながらも答えた。


「りょ、両方」

「はぁ?」

「二人とも、子供ができちゃった」

「はぁぁぁぁぁ―――――っ!?」


 翔太は驚愕のあまり、早くも人生で最大の大声を更新してしまう。


「馬鹿じゃねーのっ!? 馬鹿でしかねえよ! バーカッ!」

「だって、二人揃って慰めてくれたんだぞ? 我慢できるわけないっての!」

「うるせぇ、この二股野郎っ!」


 先程抱いた同情など吹き飛んで、翔太は地味なモテない男改め、姉妹種付けゲス野郎を遠慮なく罵倒する。


「みんな、聞いてくれ。耕平の馬鹿が美人の双子姉妹を二人とも孕ませやがった!」

「ちょっ、やめろって!」


 部屋から飛び出て言いふらし始めた翔太を、耕平は慌てて止めようとするが時既に遅し。

 大声で騒いでいたのを耳にして、屋敷に居た大半のクラスメート達が廊下に集まっていた。


「耕平、パパになるんだってな?」

「おめでとう、死ねっ!」

「最低……」

「ち、違うんだ~っ!」

「違わねーだろ」


 男子からは嫉妬を、女子からは侮蔑を浴びせられて、必死に言い訳しようとする耕平に、翔太は呆れ果てた溜息を吐くのだった。





 屋敷の二階で皆との別れを惜しむどころか、耕平の断罪裁判が始まった頃、剣道少女・剣崎武美は稽古でかいた汗を流すため、一階の大浴場へと向かっていた。


「何をやっているのやら」


 二階の騒ぎに呆れつつ、脱衣所で手早く裸になって、タオルを手に女湯の扉を開く。

 するとそこには、意外な先客の姿があった。


「やほ~、武美っち」


 のんびり湯船に浸かっていた遊び人・鳥羽遊子の姿に、武美は少し驚いて目を丸くする。


「鳥羽か、こんな時間に珍しいな」


 時刻は昼過ぎ。夜遅くまで遊んでいる遊子はもちろん、他の女子が風呂に入る時間からもズレている。

 そう告げると、遊子は恥ずかしそうに頬を掻いた。


「いや~、昨日はカジノのおっちゃん達がお別れ会を開いてくれて、徹夜オールで飲んでたからさ、気がついたらお昼だったんだよね~」


 それで、アルコールや汚物の匂いが染みついたままの自分に気がついて、慌てて風呂に入りに来たという事らしい。


「そうか。こっちに居る間はともかく、地球に帰ったら飲酒はするなよ」

「はいは~い」


 武美が真面目に注意すると、遊子は分かっているのか怪しい笑顔で何度も頷いた。

 それに呆れつつ、武美は体を洗いながら、ふと気がついて尋ねる。


「お別れ会という事は、鳥羽は地球に帰るのだな?」

「帰るよ~。ドルっち達と分かれるのは寂しいし、こっちで遊ぶのも楽しかったけど、やっぱスマホもコンビニも無い生活はねぇ~」


 遊子は素直にそう答えてから、何気ない様子で呟く。


「それに、こんな娘でもさ、いなくなったらパパとママが悲しむと思うんだよね~」

「……そうか」


 不真面目な遊び人だと思っていたクラスメートの、意外と親思いな所を知って、武美は目から鱗が落ちる思いだった。

 そんな彼女に、今度は遊子の方が尋ねてくる。


「武美っちは残るの~?」

「あぁ、大勢の人を殺めた自分のような者が、日本に帰るのはどうかと思うしな」


 人の道を外れた外道に堕ちるのではないか、という不安は、騎士団長アークレイのお陰で消えたが、それはそれとして人を殺した事実は消えない。

 地球に帰ったからといって、人斬りの犯罪者になるつもりはないが、手を汚した自分が平和な日本でのうのうと暮らす事には、どうにも忌避感を覚えてしまうのだ。

 武美がそう告げると、遊子は少し不満そうに頬を膨らませた。


「ウチらを守るためにした事なんだから、気にしなくてもイイのに~。兵隊さんってそういうものでしょ~?」

「まぁ、そうなんだがな」


 これまた意外としっかりした考えの遊子に感心しつつ、武美は困ったように苦笑する。


「戦争の件は半分、自分への言い訳みたいなものだ。本音を言うと――」


 そこで一度言葉を切り、武美は己の腹を愛おしげに撫でた。


「我が子と父親を引き離すのは、忍びなくてな」

「……へっ、マッ!?」


 一拍の間を置いて理解し、遊子は思わず浴槽から飛び出て、武美の肩に掴みかかる。


「ちょっ、マジでっ!? いつの間に、ってか相手はっ!?」

「アークレイだ。ほら、騎士団長の」

「あ~、あのむさい髭マッチョのオッサンね~。へ~、武美っちってばああいうのが趣味なんだ~」

「べ、別に外見で惚れたわけではない!」


 色恋沙汰でからかわれるのなんてほぼ初めてで、武美は羞恥のあまり赤くなってしまう。

 そんな彼女が可愛かったのか、遊子はニマニマと嬉しそうに笑った。


「お堅そうに見えて、武美っちも意外と乙女だったんだね~」

「そういう鳥羽こそ、意外と真面目だったんだな」


 不真面目な遊び人と、真面目な剣道少女。お互いに住む世界が違うと思い込んで、積極的に絡む事はなかったが、それは勘違いであり勿体ない事をしていたのかもしれない。

 二人は同時にそう悟り、揃って笑顔を浮かべて、遊子が武美の背中を洗い始めた。


「ねぇねぇ、何が切っ掛けで付き合い始めたの~? 告ったのはどっち~?」

「共に稽古をしたり戦う内に、少しずつ惹かれてな。告白というか、男女の関係を迫ったのは私の方からなんだが……」

「ひゅ~、武美っちってば大胆~っ!」

「いや、あれはアークレイが悪いのだ! 私が告白しようとする度にはぐらかすから――」


 二週間後、二人は異なる世界へと別れて、二度と会う事はなくなる。

 だから、それまでの時間を惜しみ、これまでの時間を埋めるように、武美と遊子はお風呂から出た後も、夜更けまで話し続けるのだった。

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