第54話・法木摩耶《ほうきまや》【魔術の極み】・02

 冬の寒さが薄れ、春の足音が聞こえてきたその日、真面目で努力家な少女・法木摩耶は、約一年ぶりに自分達が召喚された場所である、石造りのドームを訪れていた。


「改めてみると凄いな……」


 天井から床までビッシリと精霊文字が掘られたドームの中を見回して、摩耶は感嘆の声を漏らす。

 召喚された当初は、ただの不思議な場所としか思わなかったが、魔術を学んだ今だからこそ、これにどれだけの労力が掛けられており、とてつもない現象を引き起こせるという事が良く分かった。


「これを書き換えるの、大変だったでしょう?」


 摩耶はドームへの同行を求めてきた張本人である、無精髭を生やした中年魔術師・セネクにそう問いかける。

 すると、彼は笑って頷いた。


「それはもう大変でしたよ。文字を掘ったり石を張り替えたりは、何人もの石工が協力してくれましたが、最初に文字を書くのも誤字脱字のチェックをするのも、全て私一人でやる他にありませんでしたからね……」

「お疲れ様です」


 文字の一つ、止め跳ねの一つを間違えただけで、思うとおりに動いてくれない魔術の厳格さを知っているだけに、摩耶は本気でセネクをいたわる。

 だが、セネクは気にする事はないと笑顔を浮かべた。


「摩耶さん達には我らが帝国を救って頂きましたからね。この程度の苦労など安い物ですよ。それに、帰還の魔術は手を加える部分が少なく、三百年前の術式をほぼそのまま使えたので、召喚の時に比べるとかなり楽だったんですよ」

「へー、そうだったんですか」


 摩耶は感心してまた頷く。ちなみに、帝国にとって都合の良い人材を招くため、『平和な国で育った、幼すぎず、大人すぎない少年少女』が召喚されるよう、術式に改良が施されていた事を、彼女だけは知らされていた。


「それでも、これほどの文字となると……あれ?」

「どうしましたっ!?」


 何かミスを見つけたのかと、慌てるセネクに対して、摩耶は誤解だと首を横に振る。


「いえ、ふと疑問に思ったんですけど、そもそも禁術『異世界人召喚サモン・ストレンジャー』ってどこから現れたのかなって」


 三百年前に初代皇帝がお抱えの魔術師に使わせて、帝国を大帝国に成長させ、そして崩壊させたアース人達を召喚した大魔術。そこまでは摩耶も知っている。だが――


「異世界人を召喚するなんて発想が、どこから生まれたのかなって。それに、異世界人が異能を持っているなんて事を、どうして知っていたんだろうなって」


 現皇帝アラケルと同じように、初代皇帝は国を救うためにアース人を召喚した。

 つまり、彼らが国を救うほど強大な力を持っていると確信していたのだ。だが何故、それを知っていたのか?

 考えれば考えるほど不可解な点が思い浮かび、頭を抱える摩耶に、セネクは真面目な表情になって語り出す。


「アース人の再来を恐れた魔術師達によって、当時の記録は殆ど抹消されており、この帝国に残されていた僅かな文献からしか察する事ができません。そして、これは半分以上が私の想像にすぎないのですが……『異世界人召喚』は、この世界に現れたアース人が生み出したのでしょう」

「……えっ!?」


 あまりにも予想外の答えに、摩耶は一拍遅れて驚愕の声を上げる。


「つまり、三百年前の人達よりも前に、地球人――アース人がこの異世界に召喚されていたとっ!?」

「誰かの意図で召喚されたというよりは、偶然の事故で迷い込んだのではないかと、私は推測していますがね」


 その時はまだ『異世界人召喚』の魔術が存在しないのだから、誰かが召喚する事は不可能だろう。


「とはいえ、原初の女神やそれに近しい存在が、魔術よりも強大な力で異界から招いたという可能性もありますが、そこは詮索しても無意味でしょう」


 神の意志であろうと大自然の事故であろうと、人間には手の届かない強大な存在という事には変わりない。

 セネクはそう言って話を進めた。


「その最初のアース人は、突然知らない世界に迷い込み、何やら不思議な力に目覚めたものの、相当に混乱した事でしょう」

「…………」


 摩耶は無言で想像してみる。もしも彼女が一人きりで召喚されていたら、間違いなく数日で死んでいた事だろう。

 剣崎武美のように強い戦闘系の異能ならばともかく、摩耶のように非戦闘系の力で生き抜けるほど、この世界は優しくない。つまり――


「最初の人って、凄く強い人だったんですね」

「でしょうね。各地に残る竜殺しの英雄譚などは、ひょっとしたらその人がモデルなのかもしれません」


 想像にすぎないがロマンがあると、セネクは楽しそうに笑う。


「そうして、その人は生き残ったのでしょうが、やはり元の世界に帰りたかったのでしょう」

「それで『異世界人召喚』を生み出した」

「はい」


 話の先を読んだ摩耶に、セネクは笑顔で頷き返す。


「おそらく、作ったのは本人ではなく、協力を求められた魔術師でしょうがね。本人は今ここにあるのと同じ『元世界帰還リターン・ワールド』だけで十分なのですから」


 召喚の術式まで作られたのは、帰還の協力をしてくれた事へのお礼だったのか、それとも魔術師がアース人の力に目が眩んだだけなのか、もはや真相は探りようもない。


「ともあれ、そうして生み出された『異世界人召喚』が、どのような経緯か初代皇帝の知る所となり、三百年前の事件を得て、今に至るという事ですね」

「はぁー、歴史ですね」


 長い時の流れを感じて、摩耶はただただ感心する。


「一人の地球人によって、三百年前も、そして今も歴史が大きく変わったなんて……」

「彼か、それとも彼女が稀代の英雄なのか、大罪人なのかは、後世の歴史家が決めてくれるのでしょう」


 最近読んだアースの小説を真似て、そんな小洒落た事を告げてから、セネクは感慨深そうに石造りのドームを見回す。


「二度目は三百年後となりましたが、三度目は何百年後になるのでしょうね」

「案外、数年後だったりして」


 また地球人を召喚しなければならないほどの事態に陥るなんて、帝国の人々は勘弁して欲しいだろうけど、と摩耶は笑う。

 すると、セネクも笑ってこう答えた。


「それはないでしょう。『元世界帰還』の完了後、このドームは解体して封印する事になっていますし、術者の私がいなくなりますしね」

「えっ?」

「私も摩耶さん達と一緒にアースへ行きますから」

「えぇぇぇ―――っ!」


 驚愕のあまり叫んだ摩耶の声が、ドームの中で反響して響き渡る。


「そんな話、聞いてませんよっ!?」

「だから今、話したんですよ」


 そもそも、この話をするために今日はドームに誘ったのだと、セネクは全く悪気のない顔で笑ってから、懐かしそうに語り出す。


「元々、私が禁術を学びたいと思ったのは、異世界人を召喚したいからではなく、異世界に行きたかったからなんですよ」


 この世界とは異なる宇宙の惑星で、とても良く似た人類が、全く違う文化や風習、そして遥かに優れた技術によって暮らしている。

 それは、摩耶から見た魔法の世界よりも遥かに眩く、セネクの瞳に映ったらしい。


「鋼鉄のクロウラーが煙を吐きながら大地を駆け、海竜もクラーケンもいない平和な海を巨大な船が走り、別大陸の人々とも交流が進んでいるなんて、夢のような世界ではありませんかっ!」

「そうですかね……」


 それが当たり前の世界、時代に生まれた摩耶としては、植民地化やら世界大戦といったネガティブな単語も浮かんで、諸手を挙げて賛成とはいかない。


「あれっ? 飛行機は興味ないんですか?」


 陸海ときて空の話がなかったなと、少し引っかかって尋ねてみると、セネクはさらに目を輝かせた。


「今は空を飛べる機械もあるんですよね! ゲーム機などもそうですが、伝承に残るアースよりも、さらに優れた技術で溢れているなんて、ますます行きたくなりましたよ!」

「あははっ……」


 セネクの熱意に気圧されて、摩耶は乾いた笑みを浮かべつつ考える。


(そうか、三百年前に召喚されたのは、まだ飛行機がなかった時代の人達だっけ)


 魔術の勉強をする傍ら、少し読んでいた歴史の文献から察するに、丁度三百年前の地球人が召喚されたという訳でもないらしい。

 少なくとも連発可能な銃――回転式拳銃リボルバーを持っていた事から、それが開発された後であり、飛行機を知らなかったという事は、ライト兄弟が初飛行を成功させる前の時代という事になる。

 そして、『地球』ではなく『アース』という呼び方がこの異世界に定着していた事から、英語圏の人間だった事は間違いない。


(帰ってからネットで調べてみたら、誰か分かるのかな?)


 戦争の最中に突如として行方不明となり、遺体も見つからなかった小隊の兵士達が、実は異世界に召喚されていた、なんて真実が判明するかもしれない。

 そんな事を考える摩耶に、セネクは一通り熱弁してから、少し冷静になって話を戻した。


「ともあれ、私は異世界アースに惹かれて、そこに行くため禁術を学ぼうとしたのですが、師匠に破門されたうえに冤罪を被せられ、危うく逃げてきたところで皇帝陛下と面会できて、今に至るという事なのです」


 そして、研究の資料や費用を出してくれた恩返しのためにも、帝国を救うために『異世界人召喚』を完成させた。


「アースと何の縁もない私が、一人で転移するのは不可能です。空間の狭間を永遠に漂うのがオチでしょう。しかし、一度アース人を召喚して、彼らが帰る時に便乗する形ならば、私もアースに渡れると思ったのですよ」


 そのような理由で、自分と皇帝の利害は一致していたのだと語るセネクに、摩耶は不安そうな顔を向ける。


「魔術的な事に関しては、セネクさんの事だから心配してないですけど……本当に地球へ行くんですか?」

「はい」

「言葉とか、大丈夫なんですか?」

「日本語と英語を、智教先生から教えて頂きました」

「でも戸籍とか問題が……」

「記憶喪失を装って、無国籍の外国人として登録して頂こうと思っております。働き口などで苦労はするでしょうが、日本から追い出される事はないでしょう」


 摩耶の疑問に対して、セネクは淀みなく答える。天園神楽に取り寄せて貰った本で、地球に行った後の事も徹底的に調べていたようだ。

 そうと理解しても、摩耶の顔は晴れなかった。


「でも、地球に行ったら、もう二度と魔術が使えなくなるんですよ?」


 地球に魔術は無い。ひょっとしたら摩耶が知らないだけで、魔法や超能力といった不思議パワーが存在しないとは断言できないが、少なくともこの異世界における『精霊に特殊な文字で意志を伝えて世界を改変する』という術が通用するとは思えない。

 だから、セネクが生まれ持った魔術の才能も、何十年とかけて学んできた精霊文字も、それを綺麗に間違えず書く技術も、全て無駄になってしまうのだ。

 たった一年足らずとはいえ、魔術を学んできた摩耶だからこそ、それがどれほど辛い事なのかよく分かる。

 けれども、彼女がどれほど心配しても、セネクの意志は変わらなかった。


「構いません。未練がないとは言えませんが、全てはアースへ行くために積んできた事ですから」

「…………」


 少年のように目を輝かせ、満面の笑みでそう断言されては、もはや摩耶に止める事はできない。

 だから、彼女は大きく溜息を吐いて、躊躇いながらも口にした。


「私の家に来ますか?」

「えっ?」

「住む所やお仕事が見つかるまでで良ければ、私の家に住んでください」

「いいのですかっ!?」

「両親を説得できるか分からないので、約束はできないですけど」

「ありがとうございます!」


 感動したセネクに両手を握り締められて、摩耶は少し赤面してしまう。


(一年も行方不明だった娘が、謎の中年外国人を連れて帰ったりしたら、お父さんもお母さんも卒倒しそうだけど……まぁ、仕方ないか)


 こんなにも夢のために頑張ってきた人を見捨てるような真似は、努力家の摩耶だからこそ出来なかった。


「摩耶さん、本当にありがとうございます。ついでにお願いがあるのですが、儀式の当日に詠唱を――」

「はい、はい」


 興奮して早口でまくし立てるセネクに、摩耶は温かい笑みで頷き返す。

 そんな二人の姿を見ている者がいたら、どちらが大人か分かったものではないと、呆れてしまうに違いなかった。

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