第51話・天園神楽《あまぞのかぐら》【ネット通販】・04

 皇帝に愛される女となる決意を固めてから早くも四ヶ月、オタク少女・天園神楽は今日も己を磨くため、帝城の一室でダンスの練習に励んでいた。


「はい、一、二、三。一、二、三」


 教師役の頭師智教と手を組みながら、声に合わせてステップを踏み、優雅にターンを決める。

 彼の異能『偉大な教師』のお陰で、教えられた動きは一度で覚えたのだが、座学と違って運動では、頭で理解しているだけでは意味がない。

 考えずとも体が動くようにするには、結局の所、反復練習の他に道はないのだ。

 そうして、基礎のパターンを一時間も繰り返し、神楽の足がもつれてきたところで、智教がゆっくりと動きを止めた。


「よし、一旦休憩しようか。それにしても、随分と板に付いてきたね。まるで本物のお姫様みたいだ」

「ありがとうございます、先生」


 生徒を褒めて伸ばすという、それこそ教師らしさが板に付いてきた智教に、神楽は微笑み返しながら、専属メイド・ラーナが持って来てくれたタオルで額の汗を拭く。


「しかし、頭師君ってば体力あるよね。いつの間に鍛えたの?」


 神楽とて一ヶ月で三kgの減量を成し遂げるために、早朝のランニングや筋トレで鍛えてきたので、体力には少し自信がついていたのだ。

 それが揺らいで、少し嫉妬交じりに問いかけると、智教は自慢気に答えた。


「今後、貴族の子息や令嬢も生徒に持つなら、礼儀作法やダンスは必須だからって、メイドさん達に鍛えられたからね」

「へー」

「あと、やっぱ体力がないと……夜がほら、ねっ?」

「うわっ……」


 何となく察してはいたが、やはり教え子のメイドに手を出していたようだ。

 このセクハラ教師がと、侮蔑の眼差しを向ける神楽に、智教は慌てて反論してくる。


「い、いいだろ、合意の上なんだから! だいたい、天園だって皇帝陛下と――」

「何かあるなら、こんな事してないんだけど?」

「申し訳ございません」


 死んだ魚のような目をする神楽に、智教は即座に土下座する。

 それから、彼はマジマジと神楽の全身を眺めた。


「でも、天園ってば綺麗になったよな」

「ラーナちゃん、こいつ衛兵に突き出して」

「変な意味はねえよ! 素直に褒めてんだよ!」


 身の危険を覚えて遠ざかる神楽に、智教は慌てて釈明する。


「昔は自分の身だしなみに全く興味のない、見るからに根暗オタクって感じだったけど、今は本物のお姫様かと見間違うくらいになってさ」

「オタクは辞めてないわよっ!」

「それは知ってる」


 照れ隠しに叫ぶ神楽に、智教は呆れ顔で頷き返す。

 ともあれ、彼女が美しくなったのは事実であった。トレーニングによって贅肉が落とされた四肢は、細く可憐でありながら女性らしい柔らかさも維持しており、毎日のお手入れで磨き上げられた長い黒髪は、まさに烏の濡れ羽色といった艶を放っている。

 顔もスキンケアと化粧によって磨かれたが、何よりも四ヶ月の努力で培われた自信によって、かつての卑屈さが消えて、内側から魅力が溢れ出ていた。


「性格も変わったっていうか、少しタフになった?」

「まぁ、いつまでもウジウジしてられないから」


 ライバル兼師匠とでもいうべきメイド長が、それこそ皇帝のために強くなったのだ。自分も負けてはいられない。

 そう微笑む神楽を見て、智教は感動の涙を浮かべる。


「本当に頑張ったんだな、先生は嬉しいぞ……じゃあ、あと二時間は頑張ろうか?」

「スパルタかっ!」


 神楽は勢い良くツッコミつつも、休憩を終えて智教の手を取る。

 そうして、二人は夕方までダンスの練習を続けるのであった。




「はい、今日はここまで。それじゃあ、また明日頑張ろうな」


 そう言って元気に智教が去った後、神楽はラーナに肩を貸して貰いながら、震える足でなんとか立ち上がった。


「つ、疲れた……今日はご褒美にケーキを食べてもいい?」

「体重が増えて、私の指が減っても構わなければどうぞ」

「くっ、ラーナちゃんの意地悪……」


 すっかり仲良くなったメイドと軽口を叩きつつも、帝城を出て屋敷へと向かう。

 その途中で、前方から歩いてくる俯いた美形の騎士を目にして、二人は思わず足を止めた。


「あれは誰だっけ?」

「騎士団員のルルススですね。子爵家の長男で、次期団長の候補にも名前が挙がっている凄腕の刺突剣使いです」

「分かった、ルルススさんね」


 今後のために名前を覚えつつ、無視をするのも悪いし、どう挨拶をしようかと神楽が考えたその時だった。

 暗く俯いていたルルススが突然、膝から崩れて倒れ込んでしまった。


「ちょっ、大丈夫ですかっ!?」

「武美殿……どうして私では、うぅぅ……」


 慌てて駆け寄った神楽の声も聞こえない様子で、ルルススは何かを呟きながら滂沱の涙を流す。

 その様子に、神楽は困惑してラーナと目を合わせた。


(この人、どうしよう?)

(私が何とかしておくので、神楽様は屋敷に戻って頂いて構いませんよ)

(いや、それは……)


 寝覚めが悪いというか、泣いている人を放って置くような女が、皇帝に相応しいとは思えない。

 だから、神楽は一つ深呼吸をして気持ちを整えると、淑女らしい笑顔を浮かべて、号泣するルルススの頬をハンカチで拭った。


「どんな辛い事があったのか知りませんが、殿方が人前で涙を見せてはいけませんよ」


 貴族令嬢ならこう言うんだろうなと、漫画の知識から台詞をひねり出しつつ、さらに背中を撫でて慰める。

 すると、ルルススはようやく涙を止めて顔を上げた。

 そして、神楽の黒い瞳を見つめて、呆けた顔で呟く。


「……可憐だ」

「はい?」

「お優しいお嬢さん、私とお付き合いして下さいっ!」

「……はい?」


 泣きじゃくっていた美形の騎士から、急に人生初の告白を受けて、神楽はただ理解が追いつかずに首を傾げるのだった。





 剣崎武美にフラれたルルススが、今度は天園神楽を口説き始めた。

 その情報は当然、執務室で働く皇帝の耳にも届いていた。


「武美様の件が効いたのか、今度こそは逃さないとばかりに、ルルススは熱烈に迫っているようです。今日も神楽様を誘って演劇を見に行っているそうですが?」

「…………」


 メイド長・イリスからの報告に対して、皇帝は難しい顔で沈黙する。


「どうなさいました?」


 皇帝の珍しい反応に、イリスは驚いて問いかける。

 それに対して、皇帝は少し緩くなっていた紅茶で口を濡らしてから、ようやく答えた。


「ルルススの伴侶となった方が、神楽は幸福なのかもしれぬ」

「…………」


 今度はイリスの方が、思わず険しい表情で黙り込んでしまう。

 だが、直ぐにメイド長として進言した。


「神楽様はこれからの帝国にとって、無くてはならないお方です。その身を一介の騎士に任せるのは危険ではありませんか?」


 外なる脅威を退けた今、帝国に必要なのは武力よりも、生産力を上げて民を豊かにする知識。それを神楽の異能『ネット通販』なら与える事ができるのだ。

 こちらの世界に残るアース人達の中でも、神楽は最も有益で重要な人物である。

 だからこそ、皇帝が自ら彼女の心を掴んでいたというのに、今さらそれを他人に任せるのか。

 そう声に棘が含まれたイリスの指摘に、皇帝は痛そうに苦笑を浮かべつつも反論する。


「他の輩ならともかく、ルルススならば大丈夫であろう。あれは良くも悪くも婦人への愛しか興味がない男だ」


 神楽の力を独り占めして、自分だけ儲かろうとか、まして皇帝に反旗を翻そうとか、富や権力に目が眩むタイプではない。本当に女性しか見ていないのだ。


「だからこそ、神楽を幸せにできるのではと思ってな」


 ルルススは子爵の跡取り息子であるため、地位も資産も相応にある。剣の腕も顔も良く、何よりも愛が深い。結婚相手としてこれほど有望な男も珍しいだろう。


「少なくとも、余の側室にするよりはマシであろう」


 正妻にする事はできない。そちらは帝国のため、他国の姫君と政略結婚する事になるであろうから。

 そう告げる皇帝を、イリスはさらに険しい目で睨みつつ、根本的な質問を口にする。


「陛下は神楽様の事をどう思われているのですか?」

「可愛いとは思っているぞ、あれほど素直に慕ってくれればな」


 顔を真っ赤にして、蕩けた瞳で見上げてくる神楽の顔を思い浮かべ、皇帝は優しい笑みを浮かべる。


「それに、己のためにあそこまで努力してくれる女を、嫌いになどなれぬさ」


 会う度に美しくなっていく姿を見るだけでも、神楽の頑張りようが良く分かる。

 その献身ぶりは、イリスなどの直属メイド達とも重なるものであり、皇帝はとても好ましく思っていた。


「けれども、身を焼かれるような恋慕の情はない」


 他に愛している女がいるから、というのが理由ではない。

 彼が皇帝で、彼女がアース人だからこそ、決して愛してはならぬのだ。


「神楽は善良だ。富や権力にも興味がない。彼女が帝国に仇なす存在と化す事は、万に一つもないだろう」


 皇帝に限らず、彼女を知る誰もがそう言うに違いない。


「だが、この世に絶対はない。人の心は変わるのだ」


 それこそ、武美に夢中なあまり、他のアース人の顔をろく覚えてもいなかったルルススが、今は神楽しか目に入っていないように。

 特に女性は母親となり、愛する子供のためとあれば、天使にも悪魔にも変わるのだろう。


「そして、万が一にも心変わりしてしまった時の事を考えると、神楽の力は強大すぎる」


 直接的な武力がなくとも、他国に渡ってアースの優れた技術や物資、特に銃などの兵器を与えれば、帝国を滅ぼす事ができてしまう。


「だから、余は神楽に恋慕を抱いてはならぬのだ」


 情で目が曇り、判断を誤れば帝国が滅びてしまうから。

 強大なアース人である彼女を、心の底から愛する事は許されない。

 ならば、そのような縛りもなく、一人の男として愛せるルルススに任せた方が、神楽も幸福なのではないか。

 そう告げる皇帝を見て、イリスは盛大な溜息を吐く。


「言い訳はそれでお終いですか?」

「別に言い訳では――」


 皇帝が言い終わるよりも早く、イリスはその首に抜き放ったナイフを突きつける。


「人の心が信じられぬと言うのでしたら、陛下をいつでも殺せる危険な女など、側に置くのはお止めください」

「……すまなかった」


 己の非を認める皇帝から、イリスは素早くナイフを離し、深々と頭を下げて謝罪する。

 それから、心の中でまた盛大に溜息を吐いた。


(まったく、甘さが抜けておりませんね)


 若い頃に両親を亡くしたせいか、皇帝は妹のリデーレやセレス達など、身内に対して甘い所がある。

 だからこそ、神楽を身内に――家族に迎えた後で、帝国の統治者として斬らねばならぬ時が来るのが怖いのだ。


(竜司様の件があったから、余計に恐れているのでしょうね)


 身内とまではいかずとも、大恩人であった竜司を謀殺した棘は、どれだけ表面上は取り繕っていても、火傷と同じように胸から消える事はない。


(とはいえ、甘さを完全に失われても困りますが)


 身内さえ平然と処刑するようになったら、それこそ皇帝本人が恐れていた暴君や独裁者と化してしまう。

 結局の所、人としての情も、統治者としての冷酷さも、偏らずにバランスを保つ他にない。


(それはそれとして、神楽様の件は情けないですね)


 皇帝は気がついていないようだが、神楽の幸福なんて事を考えている時点で、既に情が湧いているのだ。

 イリスはそれにライバルとして嫉妬を抱きつつも、同士として助け船を出す。


「陛下、全ての女がそうだとは申しません。けれども、私や神楽様に関してだけはこう言い切れます」


 そう前置きした上で、皇帝の耳元で囁いた。


「気のない男に愛されるよりも、好きな男を愛している時が、一番幸せなのですよ」

「――っ」


 皇帝は思わず息を呑み目を見張る。

 そして、暫く沈黙した後で、何かを諦めるように息を吐いてから、決心した顔で立ち上がった。


「少し席を外す」

「行ってらっしゃいませ」


 イリスは笑顔で皇帝の背中を見送ると、自分も甘いなともう一度だけ溜息を吐くのだった。





 街の劇場で恋愛物の演劇を見終えた神楽は、ルルススと共に馬車に乗って、帝城へと向かっていた。


「とても楽しい劇でしたね。特に主人公が村娘を庇って決闘する場面は――」

「えぇ、そうですね」


 こちらを飽きさせないよう、話題を振り続けてくれるルルススに、神楽は笑顔で相づちを打ちながらも、胸の内は曇っていた。


(私にはもったいないくらい良い人だよな……)


 皇帝ほどではないがイケメンだし、女性の扱いも上手く、強くてお金も持っている貴族の騎士様。

 どうしてこんな乙女ゲームの攻略対象みたいな人が、自分に惚れてしまったのかさっぱり分からない。


(普通に考えれば、この人の想いに応えるべきだよね……)


 少し努力したからといって、所詮は一般庶民の女子高生にすぎない神楽には、彼以上の男性が惚れてくれる幸運なんて一生ないだろう。

 惚れっぽいようなので、浮気をしないかは少し心配だが、それでも結婚すればきっと幸せにしてくれると思う。

 頭ではそう分かっているのだ。けれども――


「あの、ルルススさん」


 帝城の前まで帰り着き、馬車から降りたところで、神楽は決心して口を開く。その時だった。


「へ、陛下っ!?」


 ルルススが急に声を上げたので、釣られてそちらを見てみれば、金髪の美青年こと皇帝アラケルが、丁度帝城から現れてこちらに向かって来ていた。


「アラケル様っ!?」


 神楽も驚いて声を上げつつも、特訓で身についた習慣によって優雅にお辞儀をする。それを見て、ルルススも慌てて跪いた。

 そんな二人の前に立ち、皇帝はいつになく真剣な表情で口を開いた。


「ルルススよ、すまんな」

「えっ?」


 何の事かと戸惑うルルススの前で、皇帝は神楽を抱き寄せる。

 そして、驚く彼女の唇に、自分の唇を重ねた。


「「――っ!?」」

神楽これは余のモノだ」


 目を見開き固まるルルスス達の前で、皇帝は平然とそう宣言する。

 それに対して、神楽は顔を真っ赤にしながらも、つい衝動的に反論してしまう。


「わ、私は貴方のモノになった覚えなんてないんですけどっ!」


 ――キスッ? アラケル様にキスされた? ああああぁぁぁこんなの死ぬぅぅぅ―――っ!


 心の中で混乱と興奮の雄叫びを上げつつも、どうせこれも自分を利用するためなんだとか、今まで抱えていた不安が噴出して、表向きは拒絶してしまう。

 そんな神楽に対して、皇帝は優しく微笑みながら、背中と両足に手を回して、お姫様抱っこの形で持ち上げた。


「ならば、今から余のモノだと教えてやろう」


 そう言って、帝城の中へと神楽を連れ去っていく。

 このまま彼の部屋に運び込まれて、何をされるのか分からぬ神楽ではない。


「はっ、えっ、ちょっ、マッ!?」


 訓練で身に付けた優雅な仕草も忘れて、ただただ混乱と羞恥の混じった声を上げる。

 だが、腕の中からは逃げようとしなかった神楽の耳元で、皇帝は甘く囁いた。


「好まぬ女を抱けるほど、余は割り切れる男ではないぞ」

「……はい♡」


 色々と言いたい事があったはずなのだが、「何か、もういいや」と完全に白旗を揚げて、神楽は蕩けきった顔で皇帝に身を預ける。

 そうして二人が去り、一人残されてしまったルルススはというと――


「武美殿だけでなく、神楽殿まで他の男に奪われるなんて……っ!」


 胸が張り裂けそうなほどに痛く、死んでしまいたいくらい辛いはずなのに、何故か口の端が吊り上がり、興奮の笑みが浮かんでしまう。

 そうして、一人の騎士が危ない嗜好に目覚めるなか、オタク少女はついにハッピーエンドを向かえたのであった。

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